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五十四.卒業式

「今年は寒いなぁ・・・桜咲くとか桜散るとか、まだまだ実感できなさそうだ」
 ちらつく雪の破片を目で追いながら、今井は隣を歩く友人につぶやく。
「どっちかって言うと、散ってるみたいに見えるしな」
 くっ、と笑って、近藤も空を見上げた。今井は思わず苦笑する。
「おいおい、縁起悪い」
「悪いもクソもないだろ、とりあえずセンターは終わったんだ」
「まぁそうだけど」
 一月中旬。偶然同じ大学を受けるのだと知った二人だったが。
「とりあえず試験中に自己採点した分には合格ラインだ。お前もそうだろう?」
「まあ・・・そうだなぁ」
 似たような返事をして肩をすくめる今井に、近藤はちらりと視線を送る。
「一応、第一志望だろ?」
「そうだな。ていうか、それ以外俺、受けないからな」
「・・・・・・自信満々ってところか。さすがだな」
 近藤の呆れたような言葉に、ははっ、と笑うのは、苦笑とも自嘲とも取れる。マフラーを口元まで上げるようにしてその表情を半分覆った今井は、その中で小さく首を横に振った。
「余裕がないんだ」
「は?」
「色々とせわしないっていうか。精神的にも色々と、さ」
 その瞳には、翳りが色濃く潜んでいる。けれど、と近藤は思う。
「それで東大一本なら世話ねえよ」
「ん・・・まあ、そうかな。お前に言われたくないけど」
「俺は私立も二つ受ける」
「慶応と早稲田が滑り止めか?しかも、受験真っ最中でも剣道部に顔出してるし」
「精神統一には俺にとって剣道が一番だ。勉強の邪魔になんてならねえよ。それに椎名・・・慈恩、が、如月のライバルになっちまったからな。ちょっとでもうちの部をハイレベルにしておきたかったっていうのもある。もちろん、大学に入っても続けるつもりだし」
 そこまで言って、大きく白い息を吐き出した。
「お前は・・・・・・執行部、いや・・・・・・椎名斗音・・・か」
 今井が瞠目する。近藤は軽く首をかしげた。
「いつからだ?あいつが来てねえのは。十二月にはもう来てなかったよな。副会長の長期不在は、うちの執行部ではかなり厳しいはずだ。うちは執行部で動いてるところが大きいからな」
 今井は言葉を飲み込む。それは肯定に他ならなかったが、近藤がそこまで気のまわる男だと思ってはいなかった。クラスが同じで親しかった頃は、剣道のことで頭が一杯の無骨な奴だったから。
「お互い、椎名には振り回されてるな」
 笑う近藤を、今井はああ、と納得して頷いた。そうか、慈恩つながりで事情を知っているのか。そんな今井の目線の前で、近藤が笑いを納め、それでもにやっとしたまま続ける。
「あと、伊佐治とも別れたんだったな。執行部も色々ごたごたで大変だったろう」
 思わず眉根を寄せた今井が、口をひん曲げる。
「何で知ってんだよ」
「アホかお前。全校で最も有名なカップルだぞ。情報なんてあちこちで飛び交ってる」
 やれやれ、と今井は溜息をついた。
「それくらい余裕がなかったんだよ。お互いにな。いいんだ、俺はあれ以上あいつを苦しめたくなかったし、あのあと斗音が大変なことになったって分かって、いっそよかったと思ったよ。あの時別れて」
 苦笑しながら近藤に理知的な視線を投げる。
「斗音のことで俺、頭一杯だったから」
「・・・・・・というと?」
「ん・・・・・・俺、あいつを会長にしたいんだ。俺が創り上げたものを、託すことができるのはあいつしかいない」
 はっきりと言い切る今井に、近藤は思わず険しい表情を顕わにした。
「それは・・・・・・可能なのか?藤堂が立候補するって聞いたぞ。もうすぐ俺たちは卒業だ。卒業したら、お前とはいえ何の権威もなくなる。そもそも、あいつは長期欠席で執行部の仕事をおろそかにしてるっていう印象が強いし、そうでなくても会長なんてきつい仕事、こなせるのか?あの身体で?」
 まるで立て板に水状態で、不可能の可能性を並べ立てる近藤に、今井は好感を覚えこそすれ、不快は感じなかった。誰もがそう考えていることは把握していたし、近藤が客観的立場ではっきり言ってくれるのはむしろありがたかった。
「さあなぁ・・・・・・一か八かの賭けだ。あいつが、間に合うかどうか」
「・・・・・・間に合う・・・・・・?」
「ああ。・・・・・・でも、きっと間に合う。あいつには慈恩がついてる」
 今井の言葉は、妙に確信に満ちていて、懐かしい後輩の名に一瞬心を捕らわれた近藤をいぶかしませた。けれど、今井はそれ以上言うつもりがないことを、近藤はすぐに悟った。ならば、と、腕時計で時間を確認し、人の悪い笑みを浮かべる。

「一人、待ち合わせしてんだが、一緒に仏頂面拝みに行かねえか」

 ただでさえも愛想の欠片もない表情が、予想通りの仏頂面になる。それを見て近藤は、おかしそうに今井を振り返る。
「な?」
 な、じゃねえ!と、心の中で近藤以外の二人は同時に叫んでいたが、互いにそれを声に出すほど子供でもなかったので、片やむっつりと黙り込み、片や目を瞠るにとどめた。
「どうだった、手応えは」
 訊かれて、瓜生が仏頂面のまま視線を逸らす。
「どうもこうも・・・・・・とりあえずやれるだけやった。それだけだ」
「自己採点は?」
「できるかよ。答えに確信もねえし、そんな暇もねえ。てめえらと一緒にすんな」
 今井は以前ほど瓜生に悪い感情をもってはいない。けれど、心の中に拭いきれないものがあるのは確かだ。
「・・・・・・どこ、受けるんだ?」
「・・・・・・かっ・・・・・・かんけーねーだろ・・・・・・」
 ありきたりの質問のつもりだったが、瓜生は口ごもるようにして更に顔まで逸らしてしまった。
「ま、センターの結果次第だよな。ところで、あれから何か変わったことあったか?」
 雰囲気を読んでなのか、さらりと流す近藤に、瓜生はちらりと今井を見てから、近藤に視線を移した。
「・・・・・・いや・・・・・・でも、もう数日で退院できるらしい」
「そうか。よかった。だとよ、今井」
「え?」
 突然話を振られて戸惑う今井に、近藤が二カッと笑った。
「知りたかったんじゃねえのか。椎名斗音の現状を」
「え?ああ、それは・・・そうだけど・・・なんで、お前が・・・?」
 その問いには、瓜生は押し黙ってしまった。近藤は苦笑する。
「色々事情があんだよ。こいつにも、な」
 気まずくなりそうな雰囲気だったが、近藤は意に介さなかったようだ。
「さて、じゃあ飯でも食って帰るか」
(えっ!?このメンバーでか!?)

 ぎょっとした二人は、強引に鍛えられた腕で背を押されながら、再び同時に同じことを心の中で叫んでいた。

   ***

 ぎょっとした慈恩の顔を、斗音は微笑んで見つめる。微笑んではいるが、その瞳には芯の通った強い光が宿っている。ほんのひと月前には、完全に消えてしまっていた、意志の光。
「・・・・・・本気、なのか?」
「もちろん」
 擦れた声ではあるが、それには揺るぎない強さがある。ようやく声帯を使ってもいいと許可が出て、斗音が音声にした言葉は、慈恩を困惑させた。
「俺にできるかどうかは分からないけど、やってみたい。・・・・・・その前に、当選するかどうかっていう問題があるんだけど・・・・・・いっぱい休んじゃったし、執行部にも沢山迷惑掛けたし・・・・・・」
 苦笑を、吹きぬける風に踊る髪が縁取る。病室の窓は開け放たれて、まだ冷たい風に侵略されている。すっかり綺麗に片付いた部屋の空気を、最後に入れ替えるためだった。
「・・・それ以前に、まだ手術して一ヶ月経ってないんだぞ?体力だってまだ・・・・・・」
 心配という気持ちをこれでもかと漆黒の瞳に浮かべながら、慈恩が口ごもる。斗音の希望を叶えてやりたい、という思いは、以前と全く変わらない。変わらないどころか、今はもっともっと強く、できる限り支えてやりたいと思う。けれど、今回ばかりはその過酷さを思うと不安でならない。そんな慈恩の前で、斗音は綺麗なカードを慣れた動作で開く。
「『卒業式の送辞にお前が間に合えば、可能性はある。こう言っちゃなんだけど、俺はお前に会長を継いで欲しい』」
「・・・・・・斗音・・・・・・」
 今井と氷室からのクリスマスカード。そこに何が書かれているかは、慈恩もよく知っている。慈恩宛の励ましの言葉も、綴られている。
「『俺はお前ならできると思ってる。お前に如月を託したい。これが俺の・・・如月の生徒会長としての、最後の願いだ』・・・・・・この言葉があったから、俺はこれまで治そうと思って頑張ることができた。俺だって、この一年・・・会長に就くことを考えなかったわけじゃない。今井さんと仕事しながら、色々教わってきたんだ。・・・・・・ほんとに、色々。だから、俺・・・選挙に出る」
 にこりと笑んで見せた斗音に、儚さはなかった。そして、慈恩にもクリスマスカードの文面を開いて見せる。
「慈恩にも、あるよ。選択肢が。・・・・・・慈恩は、どうするの?」
 慈恩は途方に暮れた。いろいろな物の狭間で板ばさみになって、身動きがとれなかった自分。今だって、自分のしたいことははっきりしている。斗音の傍にいたい。護りたい。それは変わらないのに、桜花にも大切なものができてしまった。彼らを切り捨てるのは、つらい。
『慈恩がもし、如月に帰ってくるつもりがあるのなら・・・・・・みんなが待ってる。お前がいてくれたら、これほど心強いことはないんだから』
(今井さん・・・・・・こんなところであなたのカリスマ性発揮しないで欲しい・・・・・・)
 一体どれだけの人間が、この強い言葉に逆らえるというのだろう。慈恩は長い指を、こめかみに当てて軽く押さえた。

「・・・・・・考えさせてくれ」

   ***

 事務所で巽の報告を聞き流しているかの如く、脇目も振らず、丁寧に銃の手入れを終えた安土は、手にしたものを立派なデスクの引き出しに片付け、鍵を掛けた。
「ふぅん・・・自白剤でも吐かなかったなら、本当に適当な売人から買ったのかもな。適当に売人知ってる時点で、今まで何回か道踏み外してるんだろうが・・・・・・」
 独り言のように言ってから、軽く舌打ちする。
「ルートに関わってるなら、芋づる式で潰してやれたのに」
 巽は思わず、その悔しさののぞいた表情に笑みをこぼしそうになって、慌てて顔を引き締める。こんな所で笑みでも浮かべようものなら、絶対にケチをつけられて叱り飛ばされる。ところが、どう見ても二十三、四の組長はじろりと上目で巽を射た。
「何がおかしい」
「えっ、いや、おかしくなんかないです・・・・・・!」
 慌てて否定するも、ふん、と鼻であしらわれた。
「表情筋が緩んでんだよ」
 本当に油断ならない。でも、巽にはまだ報告すべき事実が残っていた。
「すみません。それから、あの男ですが・・・ちょっと精神的にキているといいますか・・・ずっと妄想をつぶやいてるんです。たぶん、今の自分の状況すら、理解できていないでしょう」
 巽の言葉に、安土は少しだけ眉を上げた。
「へえ?なんて言ってる?」

「何、と言われても、ちょっと難しいんですが・・・・・・泣いてるのか笑ってるのかもよく分からないし、ただ・・・あの斗音、という少年のことを言ってるんだろう、ということしか」

   ***

 厳かな雰囲気の中、朗々と体育館内に響く、擦れた声。如月高等学校の、記念すべき第百回の卒業証書授与式。卒業生の前に立って、在校生代表で送辞を読み上げるのは、学校に復帰したばかりの、ほっそりした色白の少年。それを、全校の生徒は身じろぎもせず見入って、聞き入っていた。
「・・・先輩方が私たちの心に残してくださったものは、計り知れないほど大きな宝物です。この如月高校の伝統を引き継がれ、その重さをものともせず、更に発展させてこられた先輩方は、私たちの憧れであり、尊敬の的でした。特に、今年度の如月祭の大成功は、今井生徒会長初め、全ての先輩方の力と、アイデアの結晶でした・・・」
 静かで優しかった口調が、ふと止まる。あの、怒涛のように過ぎ去った日々の思いが胸に込み上げて、斗音はそれを押し殺すのに、数秒を要した。
 今井に弓削、武知、伊佐治。本当に頼もしかった執行部の先輩たち。如月祭で飛びまわっていた自分をフォローしてくれた徳本に、こんな病気持ちの自分を重宝してくれたバスケット部の先輩たち。団を力強く引っ張っていた近藤。・・・・・・そして、力尽きて倒れた自分に、不器用な手をそっと差し延べてくれた瓜生。
 脳裏に甦る、あの熱狂した熱い思いと、つらかった時に沢山たくさん支えてくれた人たちの温かさ。
「・・・あんなに充実した時間を・・・・・・先輩方と共有できたことは・・・本当に・・・幸せでした・・・」
(あ、ヤバイ・・・・・・)
 無理に続けようとしたものの、声がはっきりと震えるのを感じた。
「・・・・・・執行部の、一員と、して・・・それに、深く・・・関わることが・・・できたことも・・・・・・」
 そんな人たちとの別れ。それは、必然ではあるけれども。
(・・・・・・寂しい・・・・・・)
 ぱたり、と、送辞を綴った和紙が、零れた雫に濡れた。これではいけない、と斗音は自分を叱咤する。教師の間では、送辞はほぼ藤堂に内定していた。本来ならば副会長である斗音の仕事なのだが、それが無理であろうと判断されていたからだ。それが藤堂に告げられる直前に、斗音は執行部の顧問である伊藤先生に申し出た。自分にやらせて欲しい、と。今井の言葉に押されたからというだけではなく、この、卒業式という厳粛な行事で、三年生の残したものを引き継ぐ者の代表として、副会長として、最後の責務を果たしたかったのだ。
 斗音の震える声に、卒業生の幾人かがすすり泣きを始める。同じく熱い思いが胸を駆け巡っているのだろう。
「・・・・・・私は、本当に・・・本当に・・・・・・感謝しています・・・・・・」
 在校生代表だということはよく分かっていた。けれど、心配してくれた人たちに・・・もしかしたら、これっきり、二度と会えない人たちもいるかもしれない。その人たちに、伝えたいことが、あった。それを伝えるまでは、止まれない。涙の伝った跡を拭うこともなく、斗音は、すい、と顔を上げた。
「・・・インターハイの大事な場面で、発作を起こしてしまった時・・・先輩方は本当に温かく・・・こんな俺を、迎え入れてくださいました・・・。そして・・・途中から・・・体調を崩して・・・・・・執行部の仕事も満足にこなせずにいたのに・・・・・・それでも、いつも優しい言葉をかけてくださった今井会長・・・・・・執行部の先輩方。・・・どんな・・・・・・どんなお礼の言葉でも、この気持ちは・・・・・・言い表せないくらいです・・・」
 職員席の最前列・・・三年生担任として座っていた、礼服がちょっと窮屈そうな木下が、その隣の執行部顧問の伊藤にこそっと耳打ちする。
「あれ、こんな内容だったか?」
「いや・・・そんなこと、送辞には書いてないはずですけど」
 なるほど、と「プーさん」の愛称で親しまれる木下は、ヒゲ面でにんまり笑った。
「やっと帰ってきたなぁ、椎名」
 その意味ありげな笑みに、伊藤の方も納得気にうなずいて見せた。
「そうッスね。まさか、気管支喘息から悪性腫瘍に発展するとは思いませんでしたけど、卒業式までに復帰できてよかった。十一月下旬ごろから、やたら頻繁に体調を崩して休むから、何事かと思ったんですけど・・・」
「ほんとになぁ。俺、あんな危なっかしい奴、スタメンに使ってたんだな」
 苦笑する木下に、伊藤は肩をすくめる。
「それを言うなら僕もですけどね。でも、それでもあいつは使う価値ありでしょう?」
「もちろんだ」
「お二人とも。その椎名くんの、こんなに思いを込めた送辞を、聞き逃すおつもりですか?」
 一組担任の伊藤を、机の下からそっと小突いたのは、その隣に座っていた校長だった。その表情は大変穏やかで、その人柄を表すものだったが、言われた二人は慌てて襟を正した。
 何とか込み上げる感情を飲み込みながら、斗音は、卒業生一人一人の顔を目に焼き付けるように、視線を巡らせながら言葉を紡いだ。
「・・・こんな・・・・・・こんなに素敵な先輩方と、共に過ごせたことが・・・俺の・・・・・・いいえ、在校生全員の誇りです。全て自分たちの力で。・・・・・・そんなふうに引っ張ってくださった力強さも、その頼もしさも、私たちには本当に眩しくて・・・誇らしくて。・・・そんな先輩方の姿、決して忘れません。忘れることなんて、できるはずがない。・・・・・・こんなに素晴らしい先輩方と・・・お別れしなくてはならないことは、必然だと分かっていても・・・・・・俺は・・・・・・やっぱり、寂しい・・・・・・です・・・・・・」

 言うつもりもなかった本音が、思わず零れてしまい、再び込み上げたものに、言葉が遮られそうになる。その瞬間、近藤と目が合った。いかにも自信に満ちた笑みが、その客観的に見ると男前の顔に閃いた。瞬きの次に瞳に留まった徳本は、こともあろうに、目が合った瞬間に、影でぐっと親指を立てて、片目を瞑って笑った。瓜生は・・・・・・少しだけ笑みを見せたような気がしたが、そうと分かるか分からないかの内に、ふいと視線を逸らしてしまった。それは、実に瓜生らしい仕草だった。
 
そんな姿に、逆に斗音は、背を押された気がした。泣きそうな気持ちに、暖かさが混じって、広がる。震える息を全部吐き出して、次に大きく息を吸った。
「そんな先輩方の創り上げられたものを引き継ぐ責任は、とても大きくて重くて・・・でも、今それを思うと、身が引き締まるのを強く感じます。だからこそ、私たち、一人一人が、先輩方が如月高等学校で輝いてこられた姿を胸に刻み、この如月高等学校の歴史を、更に築き上げていく一員であることを誓います」

 弓削は涼やかな笑みで、武知は苦笑に近い表情で、斗音の視線に応えた。莉紗は、溢れる涙を必死にかわいらしいハンカチで押さえながら、何度もうなずいた。
 
この日のために髪を黒く染められた栃沢や、その取り巻きの志垣・佐藤とは、目が合わなかった。斗音の言葉に後悔の念が溢れて、それが涙となってとめどなく流れる彼らは、顔を上げていられなかったのだ。

 そんな様々な表情の卒業生に向かって、溢れんばかりの思いをこらえながら、以前よりずっと擦れた声で、斗音は優しく語りかけた。
「・・・・・・ですから、先輩方、どうか・・・・・・ご自分の道を、堂々と歩んでください。ここで培われた力は、きっとその道において、大きな支えとなるに違いありません。先輩方の輝ける未来を信じ、祝福し、そして精一杯の感謝の気持ちを込めて・・・・・・送辞の言葉と代えさせていただきます。今まで・・・本当に・・・・・・」
 これで最後。斗音の視界が一気にぼやける。
「・・・本当に・・・ありがとう、ございました・・・。・・・在校生代表、椎名斗音」
 ぱたたっ。礼をした瞬間にこぼれた涙の音が聞こえるかと思うほど、体育館の中は静まり返っていた。送辞の紙を折り畳み、そっと机上に置いて、斗音は白い手の甲でぐっと涙を拭った。その瞬間、割れんばかりの拍手が体育館を揺るがした。驚いて顔を上げた斗音は、一瞬戸惑うように視線を彷徨わせたが、その時、三年一組の出席番号二番として、最前列にいた今井が目に止まった。今井が少しだけ目を細めて、優しい笑みで力強くうなずくのに、ふわりと微笑んで小さくうなずき返し、改めて拍手を送ってくれた人々に対して深く一礼をした。
「卒業生、答辞。卒業生代表、今井文弥」
「はい」
 斗音が席に戻ると同時に呼ばれた今井が、重く静かに返事をして壇上に上がる。既にそこに待機していた校長に対して、丁寧に礼。答辞の紙を開く。
「春も間近に歩み寄り、木々も蓄えた力をいざ芽吹かせんとするこのよき日に、我々卒業生二百十名のために、このような盛大な卒業式を挙行していただき、感激の思いが込み上げてやみません」
 決まり文句のような言葉も、今井が感情を込めると、その言霊が胸に届くようだ。教師や来賓、保護者に宛てて、誠実さのこもった言葉を丁寧に織り上げていく。それを面と向かって聴く校長も、感動を呼び起こされているのだろう。何度も何度もうなずいている。
「これまで私たちを温かく見守り、育て、導いてくださった皆様。本当にありがとうございました。まだまだ未熟な私たちですが、ここでの経験を糧に、ここからはまた、それぞれの新たな人生に向かって進んでいきます。皆様の教えが、きっと私たちの原動力となるでしょう。私たちは、この如月高等学校を卒業したことを誇りに、生きていきます」
 一通りの感謝の思いや、今までの思い出を語った今井は、軽く一礼した。校長も、少し短かった答辞にやや焦りを見せながら、それでも落ち着いて礼を返した。今井が答辞の紙を片付けて、校長に丁寧に渡す。
(え?)
 その体育館にいた全員が、その次の今井の行動に目を瞠り、息を飲んだ。目の前にあったマイクをスタンドから取り外した今井は、くるりとステージから体育館の内側に身体を向けたのだ。
「・・・・・・何やってんだあいつ」
 思わずつぶやいた瓜生の隣に立っている近藤は、ふん、と笑った。
「ここからがあいつの答辞だろうよ」
 今までこの会場の荘厳さを身にまとっていたかのような今井に、晴れやかな笑みが満ちる。
「在校生のみんな・・・そして、代表の斗音。送辞、ありがとう!俺たちはその魂の言葉、確かに受け取った!」
 ざわ、と来賓席や保護者席がどよめく。そんなことお構いなしの今井に、職員席や卒業生の面々は、さもありなんと言わんばかりの苦笑。みんな、今井をよく知っている。今井が生徒会長になったときから、今年度の卒業式は何かが起こると予想していた。在校生からは、女の子たちのきゃあ、という小さな悲鳴から、おぉおっという男子生徒たちの野太い声が上がる。下級生の中で、この今井という人物の人柄を認めない者はない。褒められた話ではないが、女子生徒の中には、彼が莉紗と別れたと聞いて喜んだ者も少なくなかったという。
 斗音も、自分が送辞の文章をそっちのけにした分、予想しなかったことではなかったが、このおおっぴらなやり方が今井らしくて、思わずくすっと笑ってしまった。
「みんなとこの如月高校で過ごした時間は、俺たち卒業生にとってもかけがえのない宝物だ。俺自身、かなり破天荒なことやらかしてた自覚はある。こうやってみんなの前に立ったって、ろくに丁寧語も使いやしない。でも、これが俺だ。こんな俺を、生徒会長に選んでくれたみんな、本当にありがとう!おかげで俺は、最高の高校生活を送ることができた。そして、みんなとそれを分かち合えたこと。それが、どれだけ嬉しかったか。ありがとう。本当にありがとう!」
 在校生の中でもすすり泣きの声がこぼれ始める。
「みんながそれぞれ磨いてきた腕を、精一杯発揮したインターハイへの道。輝かしい地区大会の成績は、例年に勝るものだった。その上インターハイには、剣道団体ベスト8の快挙を成し遂げたのをはじめ、陸上・柔道・男子バスケット・男子テニスが出場した。これだって、三年間の努力を支えてくれた後輩がいてくれたからこそだ。現に、剣道の団体戦を引っ張ってくれていたのは、個人戦で全国三位になった二年生だった。俺たちはその献身的な支えを受けて、思う存分力を出し切ることができた」
 個人的な名前こそ出さなかったけれど、今井がこの場に存在しない剣道部の立役者をほのめかしたとき、斗音は息が止まるかと思った。この場にいなかったからこそ、敢えてその存在を示した今井の思いが、痛いほど伝わってきた。
(慈恩・・・!)
 胸がきゅっと締め付けられる。でも、それは、以前とは違う優しい痛み。心の底に、嬉しさが染みこんでいく。
「そして、忙しくて楽しくて楽しくて楽しくて、一日があっという間に過ぎていった如月祭。あんなに充実した日を、俺は初めて体験した。文化祭では一年生や二年生の出し物で、散々楽しませてもらった。本当にレベルの高い出し物ばかりで、来年が楽しみだと思った。ぜひ、今年最優秀を持っていったベルばらを超えるものを創り上げてくれ。それに、全身の細胞が沸騰するかというくらい盛り上がった体育祭。声を枯らした応援、全力を出し切った競技。全力で喜んで悔しがって・・・団席が一体になって。それもこれも、必死だった俺たちに、一生懸命応えてくれたみんながいたからだ。あんなに密度の濃い時間があった。ここに確かに、そんな時間が存在して、そんな思いが存在して。楽しかったな。それを、執行部を中心にして、自分たちの手で創り上げられたこと。・・・俺たちは本当に幸せだった!」
 すすり泣きから、嗚咽に変わる女子生徒も出始めた。男子生徒の中にも、押さえ切れない涙を拭う者が何人も見られる。卒業生ばかりではない。藤堂もこらえきれずに泣いている。
「如月に来てよかった。本当によかった。俺は欲張りだから、この母校の価値をもっともっと上げたいと願って、そのために精一杯を生徒会長として尽くしてきたつもりだ。ここにいる卒業生も、そして在校生も、みんなその思いに応えてくれた。そして、微々たるとはいえ、成果を残してきたつもりだ。だからこそ・・・・・・俺たちニ百十名が如月の歴史に刻んだものを、椎名副会長をはじめとする、在校生全員に託したい!」
 今度は個人的な名前を挙げられて、斗音は思わず大きく目を瞠って、それを瞬かせた。その瞬間に、在校生全体に視線を送っていた今井と、はっきりと視線が合う。今井の笑みが、力強くうなずいた。
「・・・・・・さっきの送辞を聴いて、託すことができると思った。強い確信だった。あんなに心を揺さぶられる送辞を聴いたのは、初めてだ。原稿なんかじゃない本当の思いを、この卒業式で聴けて嬉しかった。だから俺もそれに応えたいと思った。みんなに届いただろうか・・・。これが、俺の・・・俺たちの在校生への答辞だ!みんな、楽しい時間を本当に、本当にありがとう!卒業生代表、今井文弥!」

 最後まで力強く言い切って、深々と一礼した今井を、場内一斉の拍手喝采が包み込んだ。

   ***

「あ・のカリスマ性は反則だぜ」
 いかにも楽しそうに嵐が笑う。翔一郎もやや興奮気味で、ぎゅっと拳を握る。
「あんなに卒業式で感動したの、初めてだぜ、俺。背筋がぞくぞくしたもんな。中学の時に自分が卒業した時より、ずっと感動した」
 既に、日は傾いて来ている。卒業式の後は、予想通り卒業生にもみくちゃにされた彼らだったが、予想以上に人だかりを作ってしまったのは、斗音と今井だった。その後、生徒会執行部の面々は最後に、在校生の三人で企画したミニ謝恩会を行うということで、生徒会室に集まっていた。その斗音の帰りを待つつもりで、嵐と翔一郎と瞬は、近くのファミレスに来ていた。
「かっこいいよねぇ、今井さんは。でもさぁ、俺は斗音の送辞でも思わず泣けちゃったよ」
 泣けたといいながら、本当に嬉しそうな笑顔は、天使のそれと言っても過言ではない。
「あんなにつらい思いをしてきた斗音がさ。泣くのをこらえながら、一生懸命自分の言葉で言ってて。もうほんと泣けた」
 うなずく嵐と、くすっと笑う翔一郎。
「お前、マジ泣きしてたもんな」
 出席番号の都合上、瞬は翔一郎の後ろだったのだ。そんな翔一郎を、パフェのスプーンをぱくんと口に入れた状態で、瞬がじっと睨む。
「悪かったね、マジ泣きして。翔一郎だって人のこと言えないし」
「いや、だって、なあ・・・」
 困ったように短い前髪を掻き上げる。そんな翔一郎をフォローするように、嵐が割って入った。
「まあまあ。俺だってぐっと来るものがあったさ。その上で、あの今井さんの答辞。すげーよあの人。ていうか、うちの会長副会長コンビがすげーよ」
 嵐がこれほど絶賛するのは珍しい。それだけ心を動かされたのだろう。だが、それで終わらないのが、外見以上に常人離れしている嵐である。頼んでいたコーヒーを一度口に運んでほっと一息ついてから、その灰色がかった瞳に鋭い洞察の光が宿る。
「今井さんは、斗音が会長に出ること・・・知ってるよな、もちろん。役者だぜ。感動させながら、不利だった斗音の印象、きっちり拭ってくれた」
 翔一郎が少し目を細めて笑みを浮かべる。
「そうだな。ま、今は全校のほとんどが、斗音が体調を崩して休み始めた理由を、気管腫瘍だったためっていうの、分かってるんだけど・・・・・・やっぱ、身体が弱くていつ休むかわかんないっていうのはいい印象じゃ、ないからな」
「それを補うだけの器があるって、アピールしてくれたんだね」
 とろける生クリームのように、ふんわりと瞬が微笑む。翔一郎と嵐は顔を見合わせて、思わず肩をすくめた。
「お前はほんとに、パフェが似合うね」
「斗音と並んでパフェ食ってたら、さぞ見目麗しい光景だろうな」
「・・・・・・・・・・・・」
 言われた瞬は、せっかくの笑顔を引っ込めたが、しばし無言で考えたあと、いきなりテーブルに設置されたコールボタンを押した。
「?」
「どうした、瞬?」
 如月バスケット部を支える部長とエースが首をかしげる中、そそくさと駆けつけてきたウエイトレスに、瞬はパフェより甘い笑顔で追加注文する。
「あのね、チャレンジパフェに、この二人が挑戦したいんだって」
「えっ」
「なっ」
 目を見開いた二人が抗議するより早く、店員は嬉しそうに伝票に注文を追加して、少々お待ちください、と笑顔を残して去っていった。
「・・・・・・な・・・んで、チャレンジ?」
 恐る恐る聞いた翔一郎に、瞬は再びにっこり。
「斗音待ってる間、暇だし?いい男二人が並んで、でっかいパフェにかじりついてる光景も、面白いんじゃないかと思って」
 思わず翔一郎が、隣の嵐を肘でつつく。嵐も、しまったという表情を隠しきれない。
「悪い、不用意だった」
 自分のセリフが、瞬を天邪鬼な行動に駆り立てたことは、疑いない。翔一郎が、更に縋るような目を向ける。
「俺、あんま甘いの得意じゃないんだけど」
「偶然だな、俺もだ」
「ふふっ、楽しみだね♪どんなのがくるのかなぁ」

 無邪気とは言いがたい瞬の天使の笑みに、バスケ部の主将と副主将は、げんなりと肩を落とした。

 とけかけた大量のアイスクリームに、たっぷり飾り付けられた生クリームも崩れかけ、突き立てられたフルーツのいくつかはなくなっているものの。
「・・・・・・・・・・・・何、この惨状は」
 その巨大なパフェの前に討ち死に状態の、イケメン高校生二人。
「・・・・・・よぉ、斗音。あとは・・・頼んだ・・・・・・」
「・・・も、俺、ダメ・・・・・・・・・」
「斗音!待ってたよ。この二人が潰れちゃって、暇でさ」
 その前に、女の子でもそうそう敵わないような、それはそれはかわいらしいスマイル。何となく状況は察したものの、思わずこぼした。
「何を言われたのかは知らないけど、この二人にこのパフェはないだろ」
「ん~、まあ、細かいことはいいじゃん。食べかけで悪いけどさ、よかったら一緒につつかない?もったいないっしょ?」
 ほら、とスプーンを差し出されて、斗音は瞬の隣に腰を下ろし、スプーンを受け取る。
「そこの二人も。まだ全然食べてないじゃん。とけちゃうよ」
 瞬の誘いに、何とか身体を起こした嵐は青い溜息を返す。
「無理」
 突っ伏したままの翔一郎は、歯切れの悪いこもった声で呻いた。
「せめてコーンフレークが出てきたらにしてくれ」
 斗音は、昼食をかねていたはずのミニ謝恩会で、準備していたジュースを少し口にした程度だったので、空腹といえば空腹だったのだが。
「・・・・・・胸が一杯で食べられない?」
 うかがうような言葉に、はっと目を向ける。笑みを含んだ視線は、淡紫色の髪の友人。
「・・・嵐・・・・・・」
「今日の答辞、お前へのメッセージが含まれてたろ。今井さんは、お前を応援するつもりでいるんじゃないのか?」
 相変わらずの鋭さに、斗音は諦めたように笑った。彼に隠し事は、するだけ無駄。そんなことは、嫌というほど分かっている。
「そう、言ってくれてる。もちろん、謝恩会では藤堂もいたし、おおっぴらにはそんな話してないけど」
 少しはにかむような笑みが、細面の綺麗な顔にふわりと浮かぶ。ミニ謝恩会での今井の姿が、斗音の記憶を優しくくすぐる。
「慈恩が抜けて、あの卓越した力を補って進めてくるのは、本当に大変だったと思う。だけど、斗音は倒れるまで無理をしながら、俺たちを支えてくれた。斗音が倒れてからは、藤堂。そして、氷室。二人が、本当によくフォローしてくれた。ありがとう。卒業式の大役も果たしたことだし、俺としては、もう思い残すことはない」
 そう、みんなの前で、全てを包み込むような笑みを見せた。泣きっぱなしの藤堂と、涙の一つも見せずにクールな態度を崩さなかった氷室。斗音は・・・・・・送辞で抑え込んだ思いを、今度は抑えなかった。
「斗音と藤堂が、会長に立候補するんだから、如月生徒会執行部も安泰だな。どっちが会長になっても、もう一人が執行部員の一人になって、会長を支えてくれればいいと思う。弓削や莉紗みたいに」
 くすっと笑ったのは、弓削と莉紗だった。この二人は、一年前に今井と会長の座を懸けて、選挙戦を戦った間柄だった。今井が出るというのは分かっていたけれど、会長が信任投票では、その責任の重さが変わってしまうという理由で、敢えて対抗馬に立った二人だった。この二人を落選させた責任を、今井が背負っていくために。
「俺はここにいられてよかったと思ってるよ。最初から負ける気で立候補したわけじゃないから、選挙で今井に負けたのは悔しかったけど、でも、今井とやってこられて、やっぱこいつは会長の器だったと思ったし、何より楽しかったから」
「私は紅一点ってところで票の獲得を狙ったんだけど、男女どっちにも人気の高い文弥くんには、やっぱり敵わなかった。つらいこともあったけど、やっぱり楽しかったわ。藤堂くん、斗音くん、氷室くん・・・それに、慈恩くんとも一緒に仕事ができて、嬉しかった。だから、二人とも・・・きっと執行部を支えていく一員になってね」
 まだ莉紗の目は潤んでいる。卒業式で散々泣いて、みんなで写真を撮るときに散々苦労したのだが、感情がまた昂ぶっているのだろう。それを見て、藤堂がまた隠すこともなく涙を流す。
「俺、小学校も中学校も、ずっと会長やってきて、高校でも・・・って当たり前に考えてたんです。けど、ここの執行部は、やってることも何もかも、全然レベルが違ってて・・・・・・先輩みんなが、俺の目標でした。ほんと俺楽しくて・・・だから、やっぱり高校でも会長やりたいって、改めて思って」
 涙を拭って、てへっと照れ笑いをする。
「斗音が相手だったら、勝ちたいけど、でも負けても悔しくないっス。俺、こいつがどれだけ頑張れる奴か、知ってるっスから」
 その人懐っこい笑みに、みんなが苦笑しながら、頑張れ、と声を掛ける。莉紗が自分のハンカチでその涙を押さえてくれたのに、真っ赤になって、更にからかわれる。
「・・・・・・副会長も、なんか言ったらどうです?」
 笑わない唯一の後輩が、チラッと斗音を見下ろす。一番年下なのに、このメンバーの中で一番背の高い氷室は、視線の高さを合わせるなんてことはしないので、大体見下ろされる羽目になる。斗音は目尻にたまる涙を、そっと指で拭って微笑んだ。
「俺、言いたいことは送辞で言ったつもりだから」
「な~に遠慮してんだ」
 全く別のところから、頭をわしゃわしゃと乱されて、斗音は慌てる。
「た、武知先輩・・・」
 そのまま肩を力強く引き寄せられた。振り返るより前に、強面がにやっと笑いながらのぞき込んでくる。
「お前にはな、頑張れよ、なんて言ってやらねえぞ。お前はそんなこと言わなくても頑張りすぎるからな。どの道執行部に関わるつもりなら、お前はもうちょっと自分を大事にしろ。それくらいで十分だ」
 大きな茶色の瞳を瞬かせて、斗音は思わず言葉に詰まる。
「いや、でも俺は・・・・・・」
 続けようと、思い切って顔を上げた瞬間、今日でその役目を終えた生徒会長の真摯な視線にぶつかった。
「迷惑掛けた、なんて、この後に及んで言うんじゃないぞ、斗音」
「・・・・・・・・・・・・」
 ズバリ言い当てられて、言葉を取り上げられてしまう。
「俺は、副会長にお前を指名したこと、一片たりとも後悔してない。お前でよかった、斗音。この大変な仕事、受けてくれて嬉しかった」
 ニッと笑みを載せる。その笑顔に、斗音の涙が思わずこぼれる。武知の手が離れた肩を、今度は今井が正面から強く抱き寄せた。
「最高の相棒だったよ、お前は」
 まだ回復しきらない身体が折れそうなくらい、その力は強くて、耳元で囁かれた言葉の熱さと優しさが、身体中に流れて、斗音はなす術なくその腕に包まれたまま、込み上げてくる思いを涙に託すばかりだった。
 目の前でとろりととけていくアイスクリームを見るともなしに、斗音はぼんやり目に映す。
「・・・・・・正直、選挙に出るって決めてから、それでも・・・・・・体調の不安も、俺に務まるのかっていう不安も、選挙で勝てるのかっていう不安もあって、その上現執行部に散々迷惑掛けたっていう負い目があって。だけど、そういうもの、みんな全部どうでもいいって思わせてくれるような・・・そんな感じだった。俺たちが開いた会だったのに、結局励まされたのは俺たちでさ。やっぱり、みんな最高の先輩たちだったなって」
 少し目を潤ませて話す斗音を、三人は優しく見守る。如月祭で見せた精神的な不安定さは、今の斗音にはあまり見られない。本当に心を動かされたその様子は、三人にとってはとても心温まるものだった。
 その三人の柔らかな視線を感じたのか、斗音は白い手の甲でごしごしと目をこすって、ニコッと笑った。
「さあ、じゃあみんなでパフェ食べようか。さすがにこれを残したら、バチが当たるよ」
「りょーかい!」
 元気よくスプーンを構えたのは瞬だけで、あとの二人は再び突きつけられた現実に、うっと言葉を詰まらせてしまった。

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