« 四十八.イブの計画 | トップページ | 五十.心の求めるもの »

四十九.プレゼント

 低い空は冬らしく、東京では夜からひどい風が続いていた。
「雪起こしの風っ、て、言うんだろうな、こういうの」
 朝っぱらから冷たい強風に晒されて、近衛の言葉が思わず詰まる。正面から吹きつける寒風は健康な人間の気管でさえ詰まらせるほどの勢いがある。上品なグレーのコートの裾が、狂ったように舞い踊る。慈恩も思わず目を細めた。その脳裏には、深くマフラーに顔を埋めて、強い風から気管支を守ろうとする斗音の姿が浮かぶ。
「今日は雪が降るってさ。久しぶりだよな、クリスマスイブに雪だなんて」
 ガキの頃にあったっけ、などとつぶやく近衛が、自分に気を遣ってくれているのがよく分かる。ほとんど口をきけない自分の代わりに、雰囲気を暗くさせないように、話題が尽きないように。
「雪が降ってくれんのは悪くないけど、風はちょっとなあ。もう少し弱まってくれりゃいいのに」
 ああ、と言う代わりに小さくうなずく。こんなに強い風では、斗音が苦労するだろうと思った。
「今日、部活が終わったらうちの車を迎えによこすから。それでいいか?」
「・・・・・・ああ」
 小さく答えた慈恩を近衛はちらりと見て、軽く唇の左端を吊り上げる。
「せっかくだ。楽しもうぜ、今日くらい。俺がこんなイベント企画するなんて、ツチノコが発見されるくらい珍しいんだから」
 慈恩の細められていた目が少し開いて、それから儚い笑みが浮かんだ。

「・・・・・・そうだな。・・・・・・ありがとう」

   ***

「雪が、降るそうですよ」
 部屋の中にいても、強い寒風の音が絶え間なく聞こえている。部屋はファンヒーターがつけられ、寒くはないはずだった。しかし、ベッドの中で斗音は小さく震える。
「三十九度四分・・・・・・下がりませんね。薬も点滴も、毎日投与しているのに」
 ふう、と三神が小さく溜息をつく。
「最近はちゃんと眠っている時間もあるはずですが・・・・・・。まあ、気を失うのと眠るのは、似て非なるものかもしれませんけど」
 憐憫の笑みを浮かべて、白い頬に指を這わせる。
「昨夜も私がイくより先に意識を失くしてしまわれましたし。・・・・・・できれば最後まで反応して欲しかったですね」
 虚ろな瞳がぼんやりと三神を捉え、唇が音にならない言葉を綴る。それを読んで、三神は薄く笑った。
「・・・・・・ケダモノ・・・?そうですね。私はあなたに飢えている。知れば知るほどもっともっと欲しくなる。足りないんだ。もっと、もっと欲しい。あなたを俺で埋め尽くして、俺のものにして、俺しか見えなくなるようにして。俺のことだけ考えて俺を愛してくれるまで。それまで俺は、あなたを貪りつくしてあげるから」
 ベッドを軋ませて腰を下ろし、そのまま斗音の唇に己の唇を被せる。小さく首を振ろうとしたが、いとも簡単に押さえ込まれてしまう。
「・・・・・・熱いですね。・・・・・・身体も・・・・・・」
 検温をしたばかりで剥き出しになっている薄い肩から、更にパジャマを引き剥がす。くびれて折れてしまいそうなほど細い腰までが顕わになった。
「・・・熱い・・・・・・ここも、ここも」
 言いながら長い手指で浮き出ている骨と薄い筋肉を探るようにねっとりと撫でていく。
「・・・・・・・・・っ・・・ぅ・・・・・・」
 声帯が震えて、擦れすぎて聞き取ることが困難なほど小さな声が零れる。
「中も、熱いんでしょうね・・・・・・」
 うっとりと陶酔した三神の表情は、斗音の背筋に熱とは別の寒気を伝わらせた。
「・・・・・・こ・・・ろ、す気・・・・・・?」
 ひくり、と喉を引きつらせる斗音に、三神は残酷に優しく笑んだ。
「あなたを壊して・・・・・・俺の手で殺してしまったなら、俺はあなたを抱き締めながら後を追ってあげる。一人になんて、しませんから・・・・・・永遠に」
(・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・慈恩・・・・・・・・・助けて・・・・・・)
 虚ろな瞳に膨れ上がった涙が、一粒転がり落ちた。ゴホ、と濁った力ない咳が喉を鳴らす。

(・・・・・・俺・・・・・・殺される)

   ***

 ショートホームルーム終了のチャイムと同時に、わらわらと校舎がにぎわい始める。
「よーし、さくっと頑張ってさくっと終わらせるか」
 伸びをしながら和田がやる気の意志を表明する。近衛はふっと笑みを浮かべた。正直、この男と同じクラスになって前半は、ウザイ奴だと思っていた。ノリがよくてムードメーカーではあるものの、軽いばかりでいい加減なところがあったし、人をちょっと小馬鹿にするようなところがあって、近衛のことも「いい家柄のできのいいボンボン」といった扱いをしていた。剣道に関しては認めてくれていたのだろうが、和田は近衛家ほどの家柄でもないし、成績も中の下くらい。いろいろ嫉妬の対象になっていたようだった。
「なあ、近衛。楽しみがあるとちょっとやる気が起きるよな」
「めでたい奴だな。まあ、今はそのノリがありがたいか。慈恩に言ってやれよ」
 鷹司の一件以来、和田には完全に本性で接している。こいつに関しては、隠すのも馬鹿馬鹿しいと思うくらい、今はそれが当たり前だ。
「うわー、皮肉きつっ。あいつには、お前の方がいいんじゃねえの?」
「俺ばかりでも気が滅入るだろ。お前だって心配してるんだから」
「そりゃあ・・・・・・あいつは、俺たちを変えてくれた奴だし。なんか悩みがあるなら何とかしてやりたいと思うけどさ・・・・・・」
 和田がカリカリと頭を掻く。
「俺はむしろ、お前があいつのことで悩んでんのが、つらそうに見えるんだ」
「・・・・・・は?」
「だからさ、お前が一生懸命雰囲気明るくしようとしてたりするじゃん。一人で頑張ってんの見てるとさ、ちょっと手伝わなきゃって気がする。今日も、盛り上げていこうぜ」
 ポン、と肩をたたいて教室をあとにする。ぽかんとそれを見送ってから、近衛はくしゃっと表情を崩した。
「マジで?」
 片手を額に当て、栗色の前髪をつかむ。少しうつむいて、くっと肩を揺らした。
「ふ・・・・・・ははっ・・・・・・そう、なんだ」
(・・・・・・俺にも、いた・・・・・・)
 珍しい様子の近衛に、クラスメイトたちが不思議そうな視線を向ける。その視線の前で、近衛は顔を上げた。そして、ちらりとブルガリの腕時計に目をやる。
(予定では、あとニ時間半くらいか)
 キレのない動作でかばんを片付けている慈恩にカツンと革靴の音を立てて歩み寄った。
「慈恩、行こう」
 ふっと浮かべた笑みは、いつもの知的な笑み。けれど、唇の左端を吊り上げる皮肉めいたものではなくて、ただ純粋に優しさを載せたものだった。何気なくそれを見た慈恩は、つられて微笑んだ。

「ああ」

   ***

「わあ、降ってきた!」
 体育館を出るなり、瞬が男子高生にしては高めの声を上げる。続いて体育館から出てきた翔一郎も、ウインドブレーカーをTシャツ姿の瞬に掛けてやりながら灰色の空を見上げた。
「ほんとだ。天気予報って、当たるんだなあ」
 さすがにこの時期は、思い切りハードに練習しても、汗はすぐに引いてしまう。日が短いため、夏より練習時間も短い。その分、今日のような日は遊ぶ時間が増えるというものだが。
「風はおさまったな。けど・・・・・・ちょっとこれは・・・・・・積もりそうだな・・・・・・」
 わずかに表情を曇らせたのは嵐だ。
「クリスマスに雪が積もるなんて、なんか素敵な感じじゃない?」
 見る者の心を奪わずにはいないほど愛らしい笑みを浮かべて振り返る瞬に、嵐は苦笑した。
「そういう見方ができると幸せだな」
 瞬のつぶらな瞳が見開かれる。
「え?何か問題がある?」
 翔一郎が軽く首をかしげた。
「靴が濡れる、とか?」
「まあ、それもそうだけど・・・・・・スリップしそうだと思って」
 お子様並みの答えを出した二人は、顔を見合わせてくすっと笑った。
「車に乗る人間の答えだな」
「大人だねー。ていうか、現実的?夢がないなあ」
「おーい、なんだ?イジメか?」
 苦笑いの嵐である。肩に触れるくらいになったさらさらの髪を掻き上げ、白い溜息を吐き出す。
「それだけじゃないだろ。一番気がかりなのは」
「斗音だろ」
「斗音だよね」
「斗音だな」
 語尾の違う三人のセリフがかぶった。真剣な視線が互いを見つめる。
「とりあえず、着替え終わったらもう一回連絡、だね」
「・・・・・・出てくれるといいな」
「・・・・・・この雪が、どう影響するか・・・・・・」

 嵐の不思議な色の瞳が、憂いを含んで重い空を見上げた。

   ***

(畜生、降ってきやがった)
 舌打ちをして、空を睨んだ。早くしなければ、まずいことになるかもしれない。
(くそ、こんな日にまであいつは何やってんだ。早く終わりやがれ!)
 苛立つ吐息は真っ白だ。かなり冷え込んできている。
(頼むから、早くしてくれ!)
 格技場の入り口の石段で頭を抱えた瞬間、背後から野太い声が掛かった。
「瓜生か?何してんだ、こんなところで」
 呼ばれた瞬間、勢いよく振り返って立ち上がる。
「お前を待ってた。頼みがある」
「俺にか?」
 驚いたのは、いきなり意外な人物に意外なことを言われた方だった。手に持っていた竹刀と防具をどすんと石段に置いて、コキコキと首を鳴らす。
「教室で言ってくれればよかったじゃねえか。随分待ったんじゃねえのか?」
「・・・・・・お前、誰よりも早くいなくなってたじゃねえか」
「練習中でも、呼んでくれりゃいいだろう」
「・・・・・・・・・・・・」
 瓜生は少し言葉に詰まる。そんな瓜生を、元剣道部部長は仕方なさそうに苦笑して見つめた。
「自分が呼んだら、俺のイメージが悪くなるとでも思ってんだろ、お前は」
「・・・・・・っ、それは・・・」
「マイナス思考な奴だな。そんなこと思ってる奴、もういねえよ。いたとしても、その程度の人間、俺が気にするとでも思ってんのか」
 全くもって近藤らしい答えである。それでも瓜生はぐっと眉根を寄せた。逆に近藤は、ふ、と笑みを載せる。
「・・・・・・それだけ、自分のしてきたことを後悔してるってことなんだろうな」
「・・・・・・・・・・・・」
 言葉に詰まりっぱなしの瓜生の前で、近藤は大きな荷物を肩に掛け直した。
「ま、こんな所で立ち話もなんだ。お前電車通学だったな。駅まで付き合う。そこで用件を聞かせてもらおう」

 近藤の気遣いが分かったので、瓜生は無言でうなずいた。

   ***

 漆黒の革の質感の携帯に向かって、安土は広い室内に怒声を響かせていた。
「今日に間に合わなかったら意味ねーんだ。雪で着陸が遅れそうだと?たかがこれくらいの雪で何ほざいてやがる。パイロット首にしろ!俺が操縦してやる」
 「仁義心」の額のある事務所で、その報告を持ってきたかなり年配の組員は首をすくめる。
「若、あまり無茶をおっしゃらんで下さい」
 言った瞬間、携帯に向かって話しているはずの二代目組長は、ギラリと部下を睨みつけた。
「誰が若だコラ!」
「もっ、申し訳ありませ・・・・・・っ」
「いいか、何が何でも今日中だ。管制塔に連絡つけて、最大の努力で着陸させろ。多少遅れるのは構わん。でも、今日中に下ろさなかったら、今度からお前に処方してる通風の薬、百倍に値上げしてやるからな!」
 ブチッと音が聞こえそうな勢いで通話を切ると、白髪混じりの部下を怒鳴りつける。
「お前はいつまで俺をガキ扱いしてんだ!そもそも、本来そう呼ぶべき時期だって、俺はこの組を継がねえって断言してたのに、ずっとそう呼びやがって。仕方なく二代目に就任したら就任したで、いつまでたっても俺はお前の中で組長に昇格はできてねえのか?あ?」
「す、すみませんっ!しかし、長年そうお呼びしておりましたので、癖が・・・・・・」
「お前の癖なんか知ったことか!お前らが失業すんのを防ぐために俺は二代目やらざるを得なかったんだぞ!ちょっとは俺に敬意を払え!」
 払ってるのに!と、この先代から仕える組員は思わなくもなかったが、とにかくこの迫力に押されて頭を下げることしかできなかった。
「あー畜生、腹が立つ!俺の代では絶対に必要以上の組員は増やさねえ!覚えとけ、この野郎」
「あの、若、それで・・・・・・」
 思わず慣れ親しんだ呼び方をまたもや口にしてしまって、あわわ、と組員がたじろぐ。それを、怒りを載せた漆黒の瞳で射抜き、こう見えても組員の誰もに親しまれ、愛されている二代目は、艶のある声にどすをきかせた。
「俺は若くないっ!」
「ももも、申し訳ありませんでしたぁっ!」
 老体に差しかかっている身体に鞭打って、組員は猛ダッシュで部屋を飛び出した。そのためにつりそうになった右足を引きずりながら、ほぅっと深い安堵の息をつく。
「御自分が若く見えることに、コンプレックス持ち過ぎだと思うんだがなあ・・・・・・そもそも若く見えるなんて羨ましいことじゃないか。全く、若も妙なところにこだわりなさる。大体こっちから見たら二十八なんて、実際若いだろう。全く・・・・・・」
 ぶつぶつ言いながら、ふと足を止め、そっと出てきたばかりの部屋を振り返る。
「それにしても、若は一体誰に電話を掛けておられたんだ?・・・・・・変なところで顔が広くていらっしゃるが・・・・・・相変わらず複数相手に同時にしゃべっておられるし」
 東洋医学を研究し、針から呼吸法、気功法、指圧や整体、漢方薬をこの歳で極め、診療院の経営と漢方薬の処方、販売も自ら執り行い、その上先代が立ち上げた組を継ぎ、高利貸しや不動産も変わらず経営し続けている安土は、とにかく忙しい。忙しいけれどプライベートも大事にするため、仕事はできるだけ短い時間で済ませようとする。それゆえ培われたのが、複数の人間と同時に会話する能力である。もちろん、それは安土の能力の高さを示すほんのひとかけらの片鱗でしかないのだが。
「本当に、大した方だ」

 まるで我が子のことのように目を細めて、組員は嬉しそうに笑みを浮かべた。

   ***

 クリスマスイブと言えば、大抵の恋人たちは浮かれるのではないだろうか。高校生でも、その事情に大差ないと思うのだが。
 そう思いながら今井は溜息をついた。受験生である自分たちに、その定義は当てはまらないのかもしれない。志望校はどんな模試でもA判定を取っている今井であるから、さほど心配もしていないし焦ってもいない。が、同じく執行部仲間の弓削や武知、莉紗は、さすがに余裕がなくなってきている。少しでも暇があるようなら、図書館にこもったりこの生徒会室に来たりして勉強している。彼らとて優秀なのだが、目指すところがやはり高いのだろう。センター試験までに、もう一ヶ月を切っているのだから、むしろ余裕で他ごとを考えている自分は、いっそ憎たらしく見えるのかもしれない。
「またそんなふうに溜息つくんだね。そんなに私といると疲れる?それとも、文弥くんを憂鬱にさせてるのは、もう私ですらないのかな」
 大きくて二重の、理知的で可愛い瞳が涙で潤んでいる。まだ、そう思える。でも、その言葉にはうんざりした。
「泣くなよ。何なら今から予定変更するか?いいぜ、一緒に飯でも食ってケーキとか買って、うちで勉強。それならお前の条件にも合うだろ?」
 初めは、そうやって二人で過ごしたい、と莉紗は言った。けれど、彼女は先日の模試で思ったほど結果が伸びず、それに加え、今井はそんな莉紗をあまり気遣ってやれなかったため、やっぱり勉強しなきゃいけないから、真っ直ぐ帰る、と言い出した。それが昨日。ならば、自分は斗音の見舞いにでも行こうと思っていた。最近はメールも電話も通じないし、通じなくなる直前はその応対も斗音らしくない投げやりな感じだったので、ずっと気にしていたのだ。しかし、斗音がいない分仕事も忙しく、とても見舞いどころではなかった。でも、明日からは冬休み。そんな日くらいはそれも許されるだろう、と、そのためにいろいろ考え始めていたというのに、今日になって莉紗は今井に詰め寄ったのだ。なぜ、一緒にいようと言ってくれないのか、と。
 真っ直ぐ帰るという言葉が、自分の気を引き付けるためのものであったことに、今更ながらに気づいた今井だったが、さすがに振り回されている感が拭い切れず、思わず溜息をついてしまったのである。最近、こんなことが増えたのも、分かっている。莉紗に「また」と言われるくらいだから、莉紗だって気付いているのだろう。
「いいぜ、なんて思ってないくせに。条件って、何?私のわがままに合わせてますって言ってるの?もうやだよ・・・・・・こんな状態で一緒にいたって、お互い苦痛しか感じないじゃない!」
 ぽろぽろと零れる涙を、莉紗は両手で顔を覆って隠す。震える肩を、ここは抱き締めてやるべきなのだろうか。それともこれは、別れようという宣告なのか。心に負担を感じて、思わず息を吐き出した。
「なあ、俺にどうしろって言うんだ。俺はお前を傷つけたいなんて思ってない」
「思ってなくても重荷なんでしょ?その溜息がつらいの・・・・・・もう聞きたくないの!」
 はぁ、と息をついてしまって、唇を噛む。莉紗の言うとおりだ。思った以上に、自分は溜息をついている。
「悪い。斗音のこともあるし、俺も色々・・・・・・」
「こんなときに他人の名前持ち出さないでよ!今斗音くんは関係ないじゃない!」
 ヒステリックな声に、今度はカチンと来た。それなりに気を遣っているつもりなのに、こちらの言い分は一切聞かないつもりだろうか。と。
「関係ない、なんてことねえだろ。お前、あいつのこと心配じゃないのかよ」
「心配だよ!だけど、今はそんなことに気を掛けてる余裕、全然ない!受験のことも、文弥くんのことも、心配事で一杯過ぎて、斗音くんにかまけてる隙なんて、私には全くないの!」
 覆っていた手を外し、涙を頬に伝わせながら、莉紗は叫んだ。瞬間、今井は表情が引きつったのが分かった。莉紗の細い手首をつかんでぐいと引き寄せる。
「そんなこと?お前にとってあいつはその程度なのか。大事な仲間のことすら心配してやれないほど、お前小さい人間なのかよ」
 莉紗の涙に濡れた瞳が怯える。つかまれた手首を振りほどこうともがく。
「やだ、やめてよ。何でそんな怖い顔するの・・・・・・?そんなに斗音くんが、大事・・・なの?」
「悩んでたって学校に出てこられるお前と、学校に出てこないはずがないのに出てこない斗音と、どっちが心配かって?そう言ってるのか?」
 ひどいことを言っているという認識はあった。それでもおさまりがつかないくらい、自分の感情が昂ぶっていた。その瞬間。
「生徒会長のセリフとは思えませんね」
 カラカラと戸が開いて姿を現したのは、まだ夏に焼けた肌の色が残ったままの、背の高い少年。腕を組んだまま入り口にもたれて、開いて重なった戸を長い脚で押しやっている。ということはしばらくそこで聞いていた上、行儀悪く足で開けたのだろうか。
「痴話喧嘩はもう少し人が来ないところでやったらどうです?」
 更にその脚を飛び越えるようにして駆け込んできたのは、今や執行部に一人しか顔を出していない二年生。
「莉紗さんっ!」
 二人の予想外の登場に、今井は怒気を殺がれて思わずつかんだ手を離す。離した手は逃げるように今井から離れ、藤堂の制服に縋りついた。そのままその胸で号泣する莉紗を、藤堂はそっと抱き寄せた。
「斗音も大事だけど・・・・・・俺は、あなたのことも大事です」
 優しく、言い聞かせるような声音に、莉紗の泣き声は更に激しくなる。よしよし、とあやすようにしながら、藤堂は氷室に目配せした。

「・・・・・・ここにいてもつらいから、少し外に出ましょう」
 
今井に軽く会釈をして、そのまま、莉紗を気遣いつつ部屋を出る。泣き声が徐々に遠ざかっていくのを耳に捉えながら、今井は大きな溜息を吐き出した。
「かっこわりいな」
「そうですね」
 即答されて、思わず苦笑する。
「女の子って、難しいな」
「俺、あんま経験ないんで、それには答えかねます」
「あ、そう」
 能面のように表情を見せない後輩に、再び苦笑を重ねる。氷室はもたれかかっていた長身を起こして、足で器用に戸を閉めた。
「けど、あれは可哀想でしょ。お前の大したことない悩みなんて、知ったことかって聞こえましたよ」
「そう、だな。そんなつもりで、言ってたと思う」
 やっぱり、と言う代わりに、氷室は肩をすくめた。
「会長の気持ちも分からなくはないですよ。同じことを言われたら、俺はムカつくかもしれない。でも、彼女だったんでしょ?好きならあんな言い方、できないんじゃないですかね」
「・・・・・・」
 ああ、そうか、と心がうなずいた。好きかどうか、と聞かれたら、自分は「好きだったと思う」としか、答えられない。その答えは明確とは言えず、それ以上に、過去形でしかない。
「会長は伊佐治先輩より、副会長の方が心配。藤堂先輩は、副会長より伊佐治先輩の方が心配。伊佐治先輩は自分のことで一杯一杯、何より自分を気遣ってくれる人を必要としてる。・・・・・・この構図、まあなるようになるとは思いますけど・・・・・・早い方が、お互い楽なんじゃないですか」
 客観的なその意見に、今井はうなずくしかなかった。自嘲の笑みに、溜息を混ぜる。
「クリスマスイブに別れるってのも、ちょっと切ないけどな」
 氷室の顔に、今井のものに似た笑みが浮かんだ。

「・・・・・・俺的には・・・・・・会長の天秤に近いですよ」

   ***

 粉雪は大気が染められそうな密度で、天からこぼれてくる。美しく立派な日本庭園の見事な松の葉が、うっすらと白く染められ始め、優しい照明の中に浮かび上がっているのは、いかにも幻想的だ。
「・・・・・・素晴らしいね。僕の見たことがある日本庭園の中で、これだけ雪の似合うものは初めてだ」
 鳳が溜息をつく。鳳の家も相当の資産家だから、家も立派である。その鳳が言うのだから、それ以外の部員にしてもうなずくしかない。
「クリスマスって雰囲気に似合うわけじゃないけどね」
 苦笑いしながら近衛が足を崩す。和室だからどちらかというと大晦日が似合うのだろうが、そんなことを言っては申し訳ないくらいの贅沢な景色と部屋だった。既に大きな机が運び込まれ、次々と使用人たちが料理を運んでくる。料理だけは西洋風であるが、その豪華さはやはり半端じゃない。
「うは、うっまそ~!これ、本物の七面鳥だよな。でけぇ~」
 はしゃぐ和田に、東坊城や秋月も嬉しそうに目を輝かせる。
「この前菜は素敵だね。色とりどりの野菜のゼリー寄せと鴨肉を添えたもの、それに、ゴルゴンゾーラとトマトとホウレンソウのキッシュ、この魚は何だろ。ポテトのクリーム煮を添えてあるんだね」
「こっちはフォアグラのムースをカリカリのフランスパンにつけて食べるんだろ?俺、これ好きなんだよね~」
「ローストビーフのキャビア添え、毛蟹のトマトクリームパスタ、和牛ひれステーキのポルチーニ茸ソース、ホタテのガーリックバターソテーとアスパラ、伊勢海老のフリッターに柑橘系ベースのタルタルソース、タンシチュー、サラダはシーザーサラダと海の幸と山の幸の三種。うお、まだ来るのか」

 三人にとっては花より団子というわけだ。確かに、ハードな部活を終えて来ているのだから、育ち盛りの男子高生にとってはどちらが魅力的か、考えるまでもない。ここで外の雅さに気付くというのは、普段の感性の磨き方に違いがあるからなのだろう。別に近衛としては、みんなが喜んでくれるのならそれでいい。そう思いながら、ちらりと一番気がかりな仲間へ目を向ける。
 
慈恩は・・・・・・外を見ていた。見とれる、というわけでもなく、切なそうに、目を細めて。
(駄目かなあ・・・・・・俺では、こいつのために、何もしてやれないのか。俺には何でもできるのに、こいつを喜ばせることができない)

 やれやれ、と小さく吐息する。それでも、豪華な料理が並びきったところで、みんなのテンションは否が応にも高まって、全員が手にしたグラスに注いだ、特別に造らせたノンアルコールのスパークリングワインで乾杯した頃には、既に雪がうっすらと地面を覆い始めていた。

   ***

 駅ビルの中で、瞬、翔一郎、嵐は沈痛な面持ちのまま様々なコーナーを巡り歩いていた。
「ねえ、やっぱり斗音は寒さに弱いから、マフラーとかそういうのにしようよ。あっ、でも紅茶好きだから、色んなお茶とティーサーバーなんてのもいいかな?」
 無理に明るく振舞う瞬だが、いつもの声のトーンに届いていないのは、自分でも分かっている。
「・・・・・・そうだな・・・・・・」
 翔一郎は一応相槌を打っているが、明らかに上の空である。嵐は何度も携帯でどこかに掛けようとしているが、掛からずに舌打ちをしている。それが斗音でないことは分かるのだが。
 部活が終わってから、メールも電話も何度もした。けれど、なかなか返事は返ってこなかった。仕方がないので、押し掛ける口実にクリスマスプレゼントを持っていこうということになり、選び始めたはいいが、その矢先に、瞬の携帯にたった一言、メールが来たのだ。
『ほんと勘弁して、頼むから!』
 やっぱり駄目か、と思う反面、その言葉に何か切羽詰ったものを感じて、不安になった。押し掛けていいのだろうか。押し掛けた方がいいのだろうか。何かギリギリのところに斗音がいるような気がした。自分たちが選択肢を間違えれば、斗音を壊してしまう。それは、嫌な予感でしかなかったけれど。
「あの馬鹿、肝心な時に何やってんだよ!」
 声を荒げる嵐に、瞬はますます不安になって、翔一郎のコートの袖をつかんだ。それに気付いた翔一郎が、気遣わしげな瞳を嵐に向ける。
「どした?誰に掛けてんの?」
「悪ぃ、何でもねえよ」
 何でもないってことはないだろう、と思うのだが、嵐には時折こんなことがある。自分たちを関わらせないようにしている、そんな世界をもっている。たぶん、その世界の人につなげようとしているのだ。普段自分たちの前ではなるべくそういうところを見せたがらないのだが。
「あの、さ、クリスマスカードも、添えない?もしかしたら、会って話すこと、できないかもしれないし」
 ぎゅっと袖をつかんだ手に力を込めると、翔一郎が優しく頭をたたいた。
「・・・・・・うん。そうしようか」
 言って、嵐を振り返る。
「いいだろ?」
 突然振られた嵐は、眉間に寄せていたしわを消して、ああ、とうなずいた。そして、少し躊躇ってから迷う瞳を上げる。
「なあ・・・・・・俺、どうしても今日あいつのところへ行っていいのかどうか、判断できねぇんだ。行かなきゃいけないとは思う。でも、俺たちだけは今のあいつを知らないでいてやらなきゃいけない気もする。これまで俺は、ずっとその思いの狭間で葛藤してた」
 瞬は驚きに瞳を見開く。嵐のこんな弱気な言葉は、聞いたことがなかった。翔一郎は少しだけ、目を細めた。
「知ってしまえばもう戻れない。あいつが帰れる場所をなくして、もっと追い詰めちまうかもしれない。それが怖かった。・・・・・・それでも、もうほっといていい時間はとうに過ぎちまった気がして、今日は行く覚悟を決めてた。でも、さっきのメールを見てそれがまた分からなくなった。・・・・・・だから、俺に一晩、時間をくれないか。俺は・・・・・・一人で斗音のことを背負うのが怖い。・・・・・・どうしても、相談したい奴がいるんだ。そいつの言うことなら、俺は自信を持って信じることができるから」
 うん、と小さく言ったのは、翔一郎だった。その顔には、微笑が浮かんでいた。
「ずっと俺たちはお前に頼ってた。お前一人の判断に任せて、お前の言うことは、自信を持って信じてた。ごめんな、重かったろ。お前一人に背負わせるつもりはなかったけど、俺は自分に自信が持てなかったから。・・・・・・お前も同じ人間なのにな。でも、なんかほっとした。・・・・・・俺も同じように、迷ってたから」
「・・・・・・俺も、思ってた。なんか、俺たちはどっちかしなきゃいけないけど、間違えたら斗音を失っちゃう気がして、怖かった」
 みんなが同じ不安を感じていた。あの、嵐ですら。不安は、一人だけのものではなかった。だからこそ、迷った。どうしても間違えられなかったから。
「どっちにしても、プレゼントは選んじゃっていいよね?俺たちはどんなことがあっても、斗音のことを大事に思ってる。それを伝えるだけでも、いいよね?」

 瞬の言葉に、嵐も翔一郎も微笑んで深くうなずいた。

   ***

「・・・・・・そんなにつらそうな顔をしないで・・・・・・これは、わたしからあなたへの、クリスマスプレゼントですよ・・・・・・」
 ギシ、とスプリングの軋む音が、耳元の囁きに混じる。同時に耐え難い負担が身体に襲い掛かった。
(・・・・・・・・・・・・あ・・・・・・また・・・・・・)
 意識にもやが掛かる。幾度も経験させられたこの瞬間。もう、ろくに息ができていなかった。苦しみから解放されることへの安堵と、二度と目が覚めない可能性への恐怖が入り混じる。
(・・・・・・・・・・・・こんな・・・・・・なのに・・・・・・・・・まだ・・・・・・死にたくない・・・・・・・・・・・・)

 意識が途切れる瞬間、白い頬をまた一つの雫が滑り落ちた。

   ***

 にぎやかな部屋の中で、そっと使用人から連絡を受けた近衛が、和田を手招きした。
「あいつが着いた。俺、迎えに行って来るから、とりあえず慈恩の気を逸らしといてくれ」
 和田の目が嬉しそうに輝いた。
「オッケー、任しとけ。よかったな、間に合って。雪で遅れるかもって、連絡あったんだろ?」
「ああ。もう少し早く着く予定だったけど、まあいい。慈恩以外にも、こっそり伝えとけよ」
「分かってるって。九条の驚く顔が・・・・・・いや、喜ぶ顔が見られるといいな」
 純粋な言葉に、近衛は一瞬どんな表情をしたらいいのか、戸惑った。それを隠すように、視線を逸らして小さく笑った。
「・・・そうだな」
 その視線の先で、慈恩は表面的な笑みだけ浮かべて、仲間の雑談を聞いているように見せていた。少なくとも、四ヶ月彼を見続けてきた近衛には、そう見えた。
(奴なら、慈恩の心を開いてくれる。そんな気がする)
 こっそり部屋を抜け出して、客人が通されている応接室に、早足で向かう。
「あ、かんにんな、遅なってしもて」
 部屋のドアを開けた瞬間、ソファに居心地悪そうに座っていた隼が、そそくさと立ち上がった。
「いや、済まなかったね。急にとんでもないことを頼んでしまって。でも、どうしても君に来て欲しくて」
 握手の手を差し伸べると、大人っぽい顔が無邪気に笑った。遠慮なくブンブンと握手する。
「何ゆうとん。全部費用出してくれはったやんか。俺、グリーン車で東京来たの初めてやで」
 普通の高校生なら当たり前だ。なんてツッコミは、優等生の近衛は入れない。胸の内に収める。
「いや、それでも、こんな雪になるなんて、大変だっただろう。今晩はうちに泊まっていってくれればいいし、ゆっくり楽しんでくれたら嬉しいよ。このこと、慈恩にだけは知らせてないんだ」
「ああ、サプライズ企画なんや。けど、あいつ喜ばしたろゆうて、俺のこと思い出してくれはったのが、俺は嬉しかったわ」
 そう言ってから、隼のきりっとした眉が寄せられた。
「全国大会の日、あいつと少し話ししてん。事情も聞いてたんやけど・・・・・・あんた、あいつに双子の兄貴いてること知ってはる?」
「あ、ああ、聞いたことは、ある。確か、喘息の・・・」
 隼は真剣な顔でうなずく。こんな表情をしていると、この日本一の剣道少年はとても大人っぽく見える。
「せや。慈恩と斗音・・・・・・ああ、兄貴は斗音てゆわはるんやけどな、ほんま綺麗な顔しとって、俺小学校で初めて見よったとき、女の子や思たくらいで。まあ、そらあんま関係あれへんかもしれんけど、あいつらは、ほんと信頼し合って、支え合って生きとる感じがしたもんや。せやけど、あの時話してて、転校してからあいつ、斗音に全然会うてへんてゆうてたから、おかしいとは思てたんや。慈恩ももちろんやけど、斗音が慈恩と離れて平気やとは、俺には到底思われへんねん」
「・・・・・・そう、なのか」
 初めて聞いた。転校してきてから三週間目だったあの日、あの弱音の中でその存在を知り、鼓の練習のときに、携帯電話で話していた相手が恐らくそうだったはずだ。
『俺が守らなきゃと思ってた』
 そういえば、あの時の言葉は過去形だった。ひどく懐かしむように。確かに、連絡は取っていたように思うが、会ったという話は聞いていない。新人戦の関東大会では、変わった髪の色の友人たちとは会ったようだったが、そこにその斗音という少年はいなかった気がする。そして、慈恩は・・・・・・確かに少し、元気がなかった。
 しかし、近衛の胸に重い鉛が沈む。また聞いてやれなかった。打ち明けてはもらえなかった。慈恩にとって自分は、その程度か。それを突きつけられた気がした。この隼は知っていたのに。
「・・・・・・俺、慈恩は唯一認めたライバルやさかい、いつも元気でいて最高のコンディション保っとって欲しい。あいつと竹刀合わせる時は、俺にとって至福の時なんや。・・・・・・そんで、斗音は・・・・・・俺の一目惚れした初恋の相手やった。あはは、もちろん、その日のうちに初失恋やったけど。でも、今見ても、やっぱかわええし、なんか一生懸命なとこは男とか女とか関係のうて、ほんと守ったりたいて思うような奴やねん」
 ところどころで自虐ネタで笑いを取ろうとするところは、やはり隼らしい気がするが、その言葉は誠実で、この少年がこれまでどれだけ真剣な思いで慈恩たちと関わってきたのかを感じた。付き合い四ヶ月の自分では、足りなかった。それだけのことだ。そう、それだけ。
「なあ、あんた・・・・・・なんでそんなしかめっ面してはるん?パーティーやろ?もっと楽しそうにしな、慈恩かて楽しめへんやろ」
 のぞき込むようにして言われ、はっと顔を上げた。
「しかめっ面、してたかな」
「してたで。うちの姉ちゃんがひくひくっと怒ってるのを抑えてはる感じに似てるわ」
 言われた瞬間、昨夜の隼との会話を思い出して、思わず吹き出してしまった。
「般若の一歩手前?」
「ああ、そうそう。次は絶対怒鳴り声飛んでくんねん」
「そりゃ気をつけないとな。さ、こんな所で話してちゃもったいない。僕の部屋に案内するよ」
 気を取り直して笑みを浮かべると、隼はにこぉっと笑った。
「俺な、実はパーティーてあんま経験ないねん。駅にでかい車来よったときもそらびびったけど、この家着いて、もっとびびったわ。なんで門くぐってから車で移動せなあかんねん、て。こんなでかい家、俺見たの初めてやさかい。そんな家のパーティーに参加できるなんて、光栄やわ」
 何て屈託ない笑みだろう。人に対して、何の憶測もなく素直に自分の思いのまま触れられる、そんなタイプの人間だ。常に体裁を考える自分とは、全く違う。心の壁がなければ、誰だって気軽に心を開ける。歩きながら、その差に気付く。慈恩には心を開いているつもりだったのだが、それでも気を遣っていたのかも・・・・・・
「なあなあ、それより、あんた彼女やなくて許婚がおるてゆうてはったやろ?やっぱ、いい家ゆうのは、世界がちごてんねんな。けど、許婚とはデートせんでええの?将来、結婚すんねやろ?」
(ちょっとは気を遣えよ、ちょっとは!)
 開けっぴろげすぎる隼に、近衛は少々頭を抱えたくなったが、そこはポーカーフェイスのベテランである。笑みを浮かべて応対した。
「さあ、どうなるかは分からないけど、まあ今日はそういうの抜きで楽しもうって企画なんだよ」
「ふうん。それにしても、廊下も広いわぁ。うちやったら、これ、部屋やで。天井も高いし。けど、基本的には和風で、俺的には親近感やなあ」
 身構えて答えた言葉は軽くかわされた上、どうでもいい感想を思いつくままに口にされると、時折隼にもちそうになった尊敬の念などがガラガラと崩れていく。一体この男の本心はどこにあるのだろう。
(何か考えてるのかと思ったら、なんも考えてないし。よく分かんない奴だな)
 それでも腹が立ったり憎らしく思ったりする気になれないのは、この人柄のなせる業なのかもしれない。

(全国大会の、あの日みたいに・・・・・・こいつなら慈恩を心から笑わせることができる。・・・きっと)

   ***

『俺も連絡したいのは山々なんだが、なんか事情が複雑そうだしな。俺にしてやれるのは、あいつの連絡先を教えることくらいだ』
 そう言って近藤がくれたメモには、現在彼が住んでいる住所と、携帯電話の番号が記されていた。
(もう、あいつしかいない。・・・・・・椎名を救えるのは)
 その住所を頭に叩き込んで、ぎゅっと小さな紙切れを握り締める。寒さに耐えられるように、黒い革のパンツとジャケットで身を固めた。そのポケットに紙切れをねじ込み、瓜生は勢いよくバイクのエンジンを吹かした。明るく点灯したヘッドライトに照らされてひっきりなしに降ってくる雪を、フルフェイスのヘルメット越しに睨む。こいつのおかげで、タイヤ交換に時間が掛かってしまったが。
(何が何でも、力ずくで引っ張ってきてやる!)

 ドルルル、と派手なエンジン音を残して、黒いバイクは勢いよく闇を切り裂いていった。

   ***

 プレゼントは瞬が持って帰った。
「明日、持っていこうね。本当のクリスマスに・・・・・・」
 瞬の笑顔がつらそうだった。翔一郎が思わずその肩を抱かずにいられないほどに。
「・・・・・・ごめんな」
 そうつぶやいた嵐のことも、翔一郎は手を伸ばして抱き締めた。
「お前が謝ることじゃないよ」
 そんなふうに、同級生に慰められたのは初めてだった。そんなふうに、同級生に慰められるとも、思っていなかった。
「よく来たな」
 彼らと別れた嵐は、いつもの事務所ではなく、かなり立派な和風の一戸建てで、安土に出迎えられた。ここが安土の本当の家だった。部下が何人か世話係として住んでいるものの、それでも広すぎるくらいだ。
「・・・・・・いつまでそんな顔して雪の中に突っ立ってる気だ。早く入れ」
 腕をつかまれて力一杯引っ張られた瞬間、肩や髪に薄く積もっていた雪が零れ落ちる。やすやすとその腕の中に引き寄せられて、思わず鍛えられた胸板に拳をたたきつけた。安土の漆黒の眉が訝しげに寄せられる。
「何だ、いきなり」
「何で出ないんだよ!何回も携帯に掛けたのに!」
 言葉を吐き出す嵐に、暴力団の二代目組長は軽く目を見開く。
「ああ・・・・・・そうか、悪かった。ちょっとあちこちに電話してたからな。電話中になってなかったか?」
「なってた。全部そうだった」
「まさかあの時間にお前が掛けてくるとは思わなかった。何だった?」
 たたきつけた拳で、その胸のシャツをくしゃっと握り締める。洒落た薄手でありながら毛織のシャツは、その肌触りのよさから、聞かなくても高級なものだと分かる。それをぞんざいに扱われても、安土は何も言わなかった。
「どうすべきなのか・・・・・・俺には判断できなかった。お前の言葉が欲しかった」
 シャツを握り締めた手が震える。それを、少し目を細めて見つめた安土は、濡れた髪をそっと撫で、182㎝の嵐をすっぽり包み込むようにして抱き締めた。
「あの、斗音て奴のことだな」
 嵐がうなずくのを確認して、安土はそうか、とつぶやいた。

「とりあえず、その濡れた髪を乾かせ。中で事情は聴く」

   ***

 雪はしんしんと降り続いている。街はきらきらとクリスマスイルミネーションで輝いているが、その並木ですら、かなり雪で覆われ始めている。
「せっかくのクリスマスに、彼女と歩けなくて残念でしたね。それなりに綺麗な風景なのに」
「もういいんだよ。莉紗にはあいつがいる。ひどいことを言ったんだから、俺が貧乏くじを引くべきだろう?」
「すみませんね、貧乏くじで」
 軽く舌を出して見せる背の高い後輩をちらりと見上げ、今井は苦笑した。
「お前って、意外にお茶目なのな」
「初めて言われましたね」
 肩をすくめて、氷室はマフラーに顔を埋める。ちらりとも話す相手を見ようとしない様子に、今井は更に苦笑を重ねる。
 一時間ほど前になるだろうか。今井は莉紗に別れ話を切り出した。莉紗も、既に覚悟していたようだった。
『俺は、お前のことが好きだったよ。でも、これからも一緒にいて、お前を笑わせてやれる自信がない。お前の望む答えが、出せないと思う』
 一般の生徒はとうに下校している時間だった。廊下にへたり込んで、藤堂にその肩を抱かれたまま、莉紗は小さくうなずいて、はらはらと涙を零しながら、途切れ途切れに言葉を紡いだ。
『分かってたの。・・・・・・斗音くんが、来なくなって・・・・・・文弥くん、ずっと心配してたことも・・・・・・受験にカリカリしてる私に・・・・・・影で溜息ついてたことも・・・・・・。だから、それを・・・・・・見たく、なかった・・・・・・』
『うん。・・・莉紗・・・・・・ごめんな』
 その言葉には、さすがの莉紗もうなずけずに、代わりに声を上げてまた、泣き出した。その傍らに片膝をついたままで、今井は静かに、そして優しく語りかけた。
『・・・・・・彼女なんかじゃなくても、お前は大切な仲間だから。これからも、ずっと』
 泣き続ける莉紗の耳に、そっと藤堂が囁いた。
『・・・・・・莉紗さん・・・・・・』
 恐らく、この二人の間でも、今井と氷室が交わしたのと似たような会話があったのだろう。莉紗は、泣きはらした目で藤堂を見て、ぐっと唇を噛み、そして小さくうなずいた。目線の高さを合わせている今井を、ようやく見る。
『振り回して・・・ごめんね、文弥くん・・・・・・。今まで、楽し、かった・・・・・・ありがとう・・・・・・』
 最後はまたうつむいてしまった莉紗の髪を、今井は優しく撫でた。それでまた莉紗は泣き出してしまったけれど、恋人として最後にしてやれることだった。心の底から、優しくしたいと思った。思えば、最近はずいぶんこんな気持ちにはなれずにいたと、そこで初めて胸に染みた。
「俺が別れ話してるときも、俺たちから見えないところでこっそり聞いてたろ」
「見えたらやりにくいでしょ、そういうのは」
「莉紗にはちゃんと藤堂が付いてたじゃないか」
「あなたはサポートなんて要らないでしょう」
「じゃあいっそ、完全に聞こえないところにいればいいじゃないか」
「まあ、今後の参考に」
 ちぇ、と今井は形のいい唇を曲げた。そんな今井を、氷室は一瞥した。そして、珍しくくすっと笑う。
「いいセリフでしたよ。伊佐治先輩でなくても、ちょっとぐっと来た」
「へえ、どの辺が?」
「さて、クリスマスカードなんてもの、俺は買ったことも贈ったこともないんですが、どんなところに売ってるんですかね」
 思い切りあからさまに話を逸らされて、今井はもう幾度目かの苦笑をした。
「文房具を扱ってる書店とかじゃないか?あと、雑貨屋とか」
「じゃ、書店で決まりですね」
「どうして?」
「雑貨屋に男二人で押しかけて、クリスマスカード一枚買うなんて、ちょっと嫌じゃないですか?」
「・・・・・・ああ、まあ、そうかもな」
 氷室は雪の積もってきた黒い髪を掻き上げて、それを振り払うように首をふった。そして、ぼそりとつぶやく。
「・・・・・・副会長、受け取ってくれるといいですね」
「・・・・・・ああ」
 ちょっぴり皮肉屋の氷室だが、言うことは大概的を射ているし、相手が先輩であろうと生徒会長であろうと、ずばずばと思ったことを言えるというのは、稀有な才能だ。何より、人を思う気持ちを深いところに持ち合わせている。

(こいつは、きっと二年後に生徒会長になるだろうな)

   ***

 慈恩は、息を飲んで瞠目した。
「・・・・・・なんで、ここに・・・・・・?」
「いや、俺も昨夜ここの大将から電話もろてん。クリスマス会やるさかい、来いへんか、ゆうて」
 ちょっと照れながら、みんなに迎えられた隼がにっと笑う。鳳がにっこりと微笑む。
「ようこそ、隼。やっぱり九条には、高いレベルで話ができる相手もいいかなって」
「みんなで考えたんだぜ。九条に内緒のサプライズゲスト」
「そ、近衛がさ、何とか九条に元気になってもらいたいって」
「僕だけじゃないだろ」
 部員たちにちらりと視線を投げる近衛の頬に、わずかに朱がのぼる。一乗寺がくすくす笑った。
「まあ、近衛が発案者には違いないけど。俺たちも文句なしで賛成した。なんか、雰囲気盛り上げるキャラだし」
「天然だけど、また笑えるんだよね、これが」
 秋月の付け加えに、隼は短い髪に手をやってカリカリと頭を掻く。
「いやぁ、そない褒められると、ほんま照れるわ」
「え、いや、今のは褒められたのか?」
 思わず問い返した慈恩に、隼がにかっと笑う。
「当たり前や。笑えるゆうんは、関西では褒め言葉やろ」
「お前、関西人じゃないだろ」
「ええねん。東京よりは関西寄りや」
 二人の周りで爆笑が起きる。
「いいね、二人、結構いいコンビになってるよ」
 鳳のコメントに、隼は嬉しそうに笑い、慈恩は不思議そうな顔をした。
「あ、やっぱ?」
「え、どこが?」
 和田が更に爆笑する。
「ほら、その辺。隼がボケで九条がツッコミじゃん」
 言われて慈恩は苦笑した。上辺ではなく、思わずこぼれた笑み。それを見た瞬間、近衛は心の底からこの男を連れてきてよかったと確信した。やっと心から笑ってくれた。
「ほら、せっかくだから、永遠のライバルの隣に座りなよ」
 藤原に勧められて、そんなら、と隼は慈恩の隣に腰を下ろす。何気に気が利く東坊城が、色々と料理を皿に盛り、近衛が乾杯したものと同じスパークリングワインを新しいグラスに注ぐ。
「じゃあ、改めて乾杯しよう」
 知的な笑みを浮かべて、グラスを掲げると、みんなもそれぞれにグラスを掲げた。
「剣道界のナンバー1高校生との再会に乾杯!」

「乾杯!」

   ***

 暖かい居間は、洋室になっている。大きなソファにうずくまるように座る嵐のしなやかな髪には、柔らかい大きなタオルがかぶせられている。
「・・・・・・お前なら、どう判断する?」
 事情を語った最後に、力なく、そう付け加える。弱っている、と安土は思った。精神的に磨耗している。無理もない。命に代えても惜しくない愛しい人間と離れることになったときも、互いにこれでもかというくらいつらい思いを味わった。その最中に大切な友人を一人、手放し、拓海と散々傷つけ合って離れたばかりだというのに、今度はもう一人の大切な友人が地に貶められることになったのだ。
 
人を愛することに臆病な嵐は、それでも人の優しさをどこかで欲していた。人を、何かを大切に思えば、失うときにつらい。それを嫌というほど、魂の底に刻み付けられているこの少年が、それでも不器用に人に惹かれていく。その、痛々しいほどの無垢な人間らしさを、安土は愛していた。
「・・・・・・行く。俺は、隠し事をされる存在ではありたくない。それに、お前だって分かるだろう。俺に隠し事は通用しない」
 こくり、と、タオルで陰になっている憂いを含んだ顔が、より伏し目がちになった。安土は癖の強い煙草の煙をゆっくり吐き出す。
「お前も俺と同類だ。洞察力がある。現に、あいつに起こっていることも、気付いている。斗音だって聡い奴だ。きっと、お前に悟られてることくらい、感づいてる。あのバスケ部の仲間には知られない方が救われるかもしれないがな」
「俺一人、特別でいろって言うのか」
「もともと奴らの中では、お前は特別だろうが」
「・・・・・・そんなつもりはない」
「特別なんだよ。お前がどんなつもりでもな」
 嵐の頭が更にうなだれる。友人という存在と対等でありたい。そんなものは、人であれば誰でも思うだろう。それが本当に大切だと思う友人なら、尚更だ。煙草の火を灰皿に押し付けて、軽く吐息する。
「一度電話してみろ。お前の思ってること、ぶつけてみろよ」
「それができたら苦労してない。通じないんだ」
「今回は通じるかもしれんぞ。いいか、樋口や羽澄がいちゃ駄目だ。お前でなければ。あいつが本当に切羽詰まって助けて欲しいと望んでいれば、特別な存在のお前からの連絡に、応えるかも知れない」
 嵐は深く溜息をつく。
「・・・・・・応えてもらえる、自信がない」
「応えないのなら、奴はお前の助けを必要とするところまでは堕ちてねえのかもな」
 ばさっ、と大きなタオルが舞い上がったのを捉え、安土はすかさず腕を伸ばした。襲い掛かってきた腕の手首をやすやすとつかむ。
「・・・・・・何だ?」
「言葉に気をつけろよ。斗音を侮辱するな」
「そのつもりはないが」
「っつ!」
 つかんだ手首を軽くひねるようにして、嵐の身体を足元に組み伏せる。もがく嵐の下敷きになったタオルがよじれる。
「お前が俺に敵うはずないだろう。疲弊しきって、判断する気力さえ失くしているお前が」
 秀麗な顔が悔しさに歪む。それでも尚、整って美しい。低くて渋みのある甘い声で、耳元に囁く。
「それともいっそ、全部忘れちまうか?斗音のことも、滝のことも。楽になるぜ」
「ふざけんな」
 ギリギリと睨みつけてくる美しい瞳。その力は、まだ残っている。安土はにやりと笑う。
「身体も心も蕩けてなくなっちまうくらい、気持ちよくさせてやるよ」
 ぐぐっとつかんだ手首をねじ上げ、もう片方の手首も床に縫い止める。
「馬鹿っ、こんなときに、何を・・・ふざけっ・・・・・・!」
 抗え。そうだ、お前はこんなもんじゃない。強引に唇で嵐の言葉を奪い取る。その端に熱い痛みが走る。口中に鉄の匂いと味が広がった。そう思った瞬間、覆い被さっていた身体が押し返されていた。威嚇する美しい獣のように、うっすら灰色がかって見える瞳の光が、自分を射抜く。自力で自由を得た美しい手の甲が、優雅にも思えるような仕草で唇に滲んだ血を拭った。
 いい瞳をしている。
 安土はわずかに目を細め、唇の端を吊り上げた。同じように、手の甲で唇を拭う。ちくりと傷が痛んだ。思わず顔をしかめる。
「・・・・・・逃げるなよ。あいつを救いたいなら。・・・・・・俺はこれ以上、お前の苦しむ姿を見たくない」
「・・・・・・安土・・・・・・」
 微かに嵐の瞳が揺らめいた。白くて長い指が、そっ、と痛む傷に触れる。
「・・・・・・紛らわしいんだよ・・・・・・馬鹿」
(口のへらねえ野郎だ)
 苦笑したら、また傷が痛んだ。

|

« 四十八.イブの計画 | トップページ | 五十.心の求めるもの »

十字架の絆」カテゴリの記事

コメント

とても魅力的な記事でした!!
また遊びに来ます!!
ありがとうございます。。

投稿: 職務経歴書の書き方 | 2012年7月 3日 (火) 13時50分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1084546/30774706

この記事へのトラックバック一覧です: 四十九.プレゼント:

« 四十八.イブの計画 | トップページ | 五十.心の求めるもの »