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三十二.如月祭 その五 (体育祭・後半)

 体育祭の昼食は、文化祭のときのように喫茶や露店があるわけではないので、普段どおり主に弁当か売店か学食となる。桜花高校とは違って学食はリーズナブルなお値段で利用できた。しかし、それですら毎日となると食費がかさむというので、公立高校に通う一般ピープルらしく利用者はさほど多くない。
 
慈恩がいた頃は、さすがに朝早いのに弁当まで作るのは大変だったので、大概売店で適当なものを買って食べるのが斗音の習慣だった。今は沢村が準備してくれようとする。しかし、えらくご大層な弁当を作りたがるし、いつも一緒に昼食をとる翔一郎、最近では時折嵐も加わっているが、彼らが売店愛好者なので、弁当五割売店利用五割といった感じだった。しかし、弁当だと食べきれないので、いつも一緒に食べる仲間に分けることになる。ちなみに今日は売店で買ったが、午前中の団体競技である女子の棒引き、一・二年男子の棒倒し、三年男子の騎馬戦の結果をまとめるために、本部で作業をしていたため出遅れ、売れ残りのメロンパンと自販機のコーヒー牛乳という質素なものだった。しかし、どうせ食欲もないことだし、それが今更減退したって大差ない。
 
一緒に食べる仲間の中で、瞬だけは毎日母親の作った弁当である。彼は小さい頃本当の母親を亡くしているので、今の母親は父親の再婚相手である。非常に瞬のことを可愛がっているし、かなり過保護らしい。毎日丁寧に作られた弁当がその一面を見せているのだが、瞬はよく平気で人のおにぎりなどと弁当を交換したり、中身をトレードしたりする。母親が彼に寄せる愛情と瞬の母親に対する想いには、大きな差がある。
「俺、ちゃんと賭けに勝ったんだから、翔一郎、そのたらこマヨおにぎりとこのご飯、チェンジだよ」
「げ。お前、鬼だな。俺が好物なの知ってて」
「だーめ!そもそも人を見くびるからそういう羽目になるんだよ。じゃ、もーらいっ」
 そんなあ、と翔一郎は切なそうに、ビニールを剥がしたばかりのおにぎりが、瞬の口に入っていくのを見つめた。
「ん~、おいしいっ!やっぱおにぎりはこれだよね~。あ、ほら、おかずもあげるからそんな未練たらしくしないでよ」
 そもそも賭けになった原因は、一週間ほど前の体育祭練習までさかのぼる。個人種目の練習で、百メートル走の練習をした瞬が、調子のいい翔一郎にちょっとぼやいたのだ。
「百メートルならそんなに運動神経いい人いないと思って選んだのに、一緒に走るの結構速い奴ばっかりなんだよね」
 そこで、苦笑した翔一郎が間髪入れず応答した。
「そんなしょうもない理由で種目選ぶからだろ。大体お前、短距離向きじゃないんだから。ハードルとかにすればせめて二位とか三位、狙えたかもしれないのに。あれなら練習次第でどうにかなるし」
 ほぼ翔一郎限定でわがまま姫になる瞬は、むろんふくれっ面になった。
「悪かったね、運動神経悪くて。いいよ、絶対百メートルで一位になってやる」
 そんなふくれっ面のお姫様の肩をぽんぽんとたたいて、翔一郎は笑った。
「無理すんなって。心配しなくても、走りさえすれば1点は入るんだから」
 そこで瞬が吹っ掛けたのだった。
「無理じゃないっ!絶対一位でゴールしてやるからね!その代わり、俺が一位になったら一週間、翔一郎の昼ご飯は自由にならないと思っててよ!」
「お、やる気になったな。その気なら百メートルでも三位くらいは狙えるかもな」
 軽く流してしまった翔一郎だったが、なんと本番、瞬は見事一位を獲得してしまったというわけだ。
「でも、それなりに速い奴そろってたんだろ?よく勝てたな」
 感心しながら鶏五目のおにぎりを頬張る嵐に、瞬は肩をすくめて小さく舌を出した。
「ごめん、小細工しちゃった」
「え?まさか、靴の中に画鋲とかいうレトロな方法でも?」
 どうやら翔一郎も瞬限定で、ややからかい気味の口調になる癖があるらしい。そんな翔一郎をちらりと見て、瞬はまさか、と肩をすくめる。
「そんな馬鹿なことしないよ。ていうか、思いつきもしないよ。翔一郎じゃあるまいし。フライングしただけ」
「・・・・・・わざと?」
「半分はね。でも、用意って言われてからピストルが鳴るまでちょっと長かったから、気合入れすぎでちょっと身体が前に出ちゃったんだ。そのときふと思ってさ。フライングがあったら、みんな次はスタート慎重になるかなって。で、ついでに一歩」
 その瞬間ピストルが鳴ったので、他の選手も焦って飛び出したらしい。そこでもう一度ピストルが鳴らされ、フライングを取られた。しかし、フライングは二度しなければ失格にはならない。最初からそのつもりで飛び出す覚悟を決めていた瞬は、思い切りよく飛び出し、最高のスタートをした。逆に他の選手たちは一瞬躊躇ったせいで、かなりいまいちのスタートとなった。短距離ゆえ、そのスタートダッシュが最後まで響いたのだ。
「まあ、よく言えば頭脳プレーじゃない?一種の駆け引きみたいなもんだし」
 くすくす笑う斗音に、嵐が肩をすくめて見せた。
「悪く言わなくても、かなりせこいけどな」
 如月高校の体育祭で、花形種目のひとつである長距離を、二年連続で制する実力の持ち主には、瞬の気持ちは理解できないかもしれない。
「まあそう言ってやるなよ、嵐。お前には尋常じゃない運動神経が備わってるから、そう思えるんだよ」
 嵐の言葉に笑いをこぼしつつ、翔一郎が瞬の弁当をつつく。言われた方はシニカルな笑みで応じた。
「何言ってんだ。お前にあんな尋常じゃない跳躍力があったなんて、俺は初めて知ったぜ」
「ん?ああ、うん。あれはまあ、正直自分でもびっくりだった」
 やや決まり悪そうな、照れた笑みが、翔一郎らしい。
「直前に頑張れって聞こえたんだ。独特のハスキーボイスで」
 長い指でつん、と斗音の頬をつつく。きょろ、と斗音が翔一郎を見遣ると、くす、と笑われた。
「調子悪いくせに大声出して叫んでるからさ、応えなきゃと思って探したら、こいつぽけーっとしてるから。なんかおかしくて、妙にリラックスできたっていうか」
 斗音は苦笑した。胸がじんわり温かい。
「聞こえるとは思わなかったんだよ」
「爽やかな顔して結構地獄耳?」
「なんか擦れた感じだったから、逆に他とは違って聞こえたんだ!」
 ムキになって言い返す翔一郎の跳んだ1メートル80センチを、結局今井は越えられなかった。弓削はその後二段階を突破し、体育祭新記録となる1メートル90センチという数字を打ち立てた。よって緑団は三年一位としての12点、記録一位としての15点、体育祭新記録の5点と、個人競技最高の32点を得た。団体競技でも一位の団は60点、二位の団は50点といった配点なので、一人で団体競技の最高得点の半分以上を稼いだことになる。そして翔一郎は、二年一位としての12点、記録二位としての10点、合計22点を赤団に加点した。
「おかげで赤団がトップになっちまったじゃねえか」
 ペットボトルのお茶でおにぎりを流し込んでから、嵐が茶化すように付け足す。赤団の三人がそろって、くるりと嵐に向き直る。

「何がいけないのさ」
「何か問題でも?」
「てか、お前に言われたかねーよ」
「あ、ひでえ。俺だけのけ者?あ~あ、慈恩がいたら一緒に非難できたのに」
「「「しなくていい!」」」
 三人の声がそろった。嵐は首を縮こまらせておどける。
「だってなあ、斗音。俺には頑張れって言ってくれなかったし。俺だって寂しいわけだ」
「よく言うよ。朝会ったときに言っただろ?」
「俺も直前に言って欲しかったなあ。そしたらもっといい記録出したのに」
「「「出さなくていい!」」」
 再びハスキーボイスとやや可愛らしい声と低めの透る声が、和音を奏でた。更にやや可愛らしい声が畳み掛ける。
「大体さあ、8分57秒って何?今までの体育祭記録が9分12秒だよ?8分台なんて反則だよ!」
 更に低めの透る声が追い討ちを掛ける。
「二位の陸上部長距離選手、しかも三年生相手に半周の差をつけてゴールだぜ?それ以上何を望むってんだ」
 ハスキーボイスが立て板に水で点数をはじき出す。
「長距離走男子二年生一位12点、記録一位15点、更に体育祭新記録で5点、計32点。弓削先輩と同じ点数を青団に加点。ちなみに個人種目で入れられる一人の点数は最高で32点。何か不満でも?」
「あー、はいはいすいません、ありませんよ。斗音まで冷てえなんて反則だぜ」
 ちぇっと言わんばかりの表情で、嵐が吐息した途端、
「お前のがよっぽど反則だ!」
「反則なのは嵐だろ」
「嵐に言われたくないでしょ」
 今度は同じ内容を様々な言葉で同時に投げ掛けられて、嵐は手を上げた。
「はいはい、降参です。これ以上俺を苛めないで下さい」
 苦笑ながらも茶目っ気たっぷりの嵐に、やれやれと翔一郎が吐息した。
「黄団の森さん、赤団の近藤さん、紫団の福山さんと、三団の団長もいたんだぜ?それを全く寄せ付けないんだもんな。誰も敵わねえよ」
 嵐に続いてゴールしたのは、三年生の元陸上部長距離選手だった加賀という紫団の生徒、それに赤団の近藤、紫団の藤堂・・・・・・と続いた。そして意外にも速かったのが赤団の瓜生だった。藤堂に遅れること4秒、見事三年生の三位を獲得した。思えば冴えない部代表のボクシング部とは言え、部長を務めた瓜生である。ロードワークはお手の物だったのかもしれない。赤団のみ、女子の分の枠として三年生は四人出場していたが、近藤、瓜生の活躍で赤団には大きな点数が入った。ちなみに女子の方では、やはり陸上部の長距離選手が強く、三年生の元陸上部員紫団の選手がトップを飾り、次に入ったのが三年生の黄団応援団員、更に二年生の陸上部員である赤団の選手が入って、莉紗は四位だった。奇しくも藤堂と同じ結果だったのには、斗音も驚いた。
「後半は応援合戦からかぁ。早く食って団ごとの最後の練習行かないと、近藤さんにどやされるな」
 瞬の弁当を半分ほど平らげた翔一郎が、自分の買ったサンドイッチの袋をぱりぱりと剥がす。
「応援団は大変だよね。あ、ありがと」
 顔を出した、トマトと半熟目玉焼きとレタスの豪華なサンドイッチをひとつ、ひょい、と翔一郎の手から取り上げて、瞬が頬張る。一瞬そのサンドイッチを追いかけようとして置き去りにされた手には、お構いなしである。
「おいしー!ほら、斗音もどう?」
「あ、ありがと」
 控え目な一口を、手を引っ込めた翔一郎は、微苦笑しながら見つめた。
「うまい?」
「うん。どして?」
「じゃあこれやる」
 まだ手をつけていないもうひとつを、斗音の手に持たせる。持たされた方は驚いて目を瞠る。
「え、いいよそんな。翔一郎、好きで選んだんだろ?自分の食べる分、なくなっちゃうよ?」
 そんな斗音の反対の手から、たった今サンドイッチを運んできた手が、ほとんど口をつけていないメロンパンを、ひょい、と取り上げた。
「急にメロンパンが食いたくなった。どうせお前、こんなに食い切れないだろ?」

 言うなりかじり付く。ぱさつくそれをもごもごと咀嚼して、一気にスポーツドリンクで飲み込む。それを横目で見ながら、嵐がこっそり微笑んだ。

 応援合戦は各団が、それこそ団の威信を懸けて心血注ぐ、体育祭最高のパフォーマンスである。審査員一人によって十点満点中何点かの点数がつけられ、それを十人分合わせて百点満点中の点数を競うことになる。最高点を獲得した団が、応援優勝の栄誉に輝く。競技の部での優勝がやはり一番の目標なのだが、応援優勝も団がプライドを懸けて臨んでいる分、生徒たちにとっては大きなものだ。更にその二つの優勝を獲得することで完全優勝となり、それこそが全団の欲する最高の栄誉となる。
「こちらが5組連合青団の今年の象徴、青龍を描いた団旗です。ここに描かれた雄々しい青龍と、青嵐の文字。青団がひとつになって怒濤の旋風を巻き起こします。まさしくそれは青龍の起こす大会の青嵐となるのか」
 全校生徒が団席に着き、最後の応援練習が行われている。ここにきて通し練習はさすがにない。手の内を審査員にばらしてしまえば、インパクトは半減してしまうからだ。審査員は来賓九名と校長の、合わせて十名である。現在彼らは団旗紹介を受け、その審査をしている。団旗も応援の点数に加算されるのだ。応援合戦は斗音の担当で、その中の団旗紹介は莉紗が担当している。各団の団旗制作チーフと団旗スタッフが、大きな団旗を審査員全員にしっかり見えるように広げ、莉紗の紹介に合わせてアピールしている。
「こちらは3組連合赤団の団旗です。赤団の今年の象徴は鳳凰。美しい羽を広げ、それでもその炎に包まれた姿に闘志が表れています。飛翔の文字の如く、最高の栄誉を勝ち取るために高みを目指します」
 雷管とストップウォッチ、そして応援時間の記録用紙を手元に準備しながら、斗音は本部から団席の方を見遣る。活気のある応援。赤団の応援の時のみ、莉紗に任せるが、基本的には一番よく見える場所から他の団の応援を見ることができる。応援合戦には付き物の応援団の立ち回りも、もちろん審査に大きく影響する。よって当然、応援団員は運動能力の優れた者やリーダー性を兼ね備えた人気者が選ばれる。2-3ではクラスの話し合いで真っ先に名前が出されたのが翔一郎だった。翔一郎も気さくなので、新部長もあって大変だった時期にも関わらず、快くその役割を引き受けた。そして、同じように応援団用の長い青色のハチマキをしている嵐だが、彼の場合、クラスで話し合いをする前に、三年生からの熱烈なオファーがあったらしい。「青嵐」という言葉に、実力も容姿もふさわしい嵐に、ぜひやって欲しいと頼み込まれ、あくまでクラスで決まったら、という条件を出し、その場は保留したのだが、もちろんクラスでも名前が挙がらないわけがない。クラスからも三年生からも懇願されて、やや渋りながらも引き受けた嵐だった。学生でありながら職を持つ彼は本当に忙しいのだが、それでも引き受けたからには手を抜かず、青団の期待に応えていた。髪の色ももちろんだが、全てにおいて正直な話、団長より遥かに目立っている。
「こちらは一組連合黄団の団旗です。敢えて黄色の段だら模様に黒一色の大きな『誠』の文字。昨日三年一組の演じた新撰組が黄団の象徴。幕末に生を輝かせた彼らの如く、命がけの絆で優勝旗を取り戻すため戦います」
 それぞれの団席の前に立っている応援団たちは、三年生から団長副団長を含めて四名、二年生と一年生から二名ずつ。もちろん女子がその役割を担っている場合もある。各団の色に合わせた応援団の衣装は、それぞれの団らしい工夫が一杯だった。例えば、たった今団旗紹介された黄団の衣装は、剣道部の練習着の上に団旗と同じ黄色の段だらの羽織である。団長森の背中には誠の文字も描かれている。赤団は鳳凰にちなんで応援内容も古風なので、剣道や弓道の袴に、なんと淡い赤色の直衣である。これがなかなか様になっている。嵐たち青団は、如月高校のではない学ラン、しかも長ランでハチマキ以上に長い青のたすきを締めている。そして団長の背中には昇り行く青龍が、副団長の背中には青嵐の文字が描かれ、元祖応援団といった感じである。

「以上で団旗紹介を終わります。団旗スタッフは各団席へ戻ってください」
 
莉紗がマイクを持って戻ってくる。
「時間通りね。じゃあ斗音くん、お願い」

「はい、ありがとうございます」
 
マイクを受け取りながら斗音は時計を見遣り、朝礼台に上がった。
「各団全員がそろったところから団旗を振って合図をしてください」
 グラウンドを囲むようにした団席のあちこちで、団旗が大きく翻る。
「全団準備ができたようです。それではただ今から応援合戦を始めます。順番は団長による厳正な抽選会によって、白団、緑団、黄団、赤団、紫団、青団と決定しています。それでは白団、準備をお願いします」
 白団がざっと立ち上がり、応援団が脇に控えた。団長宍戸の手が真っ直ぐに挙がる。
「それでは四組連合、白団。用意!」
 真っ直ぐに腕を上げながら耳を塞ぐ。人差し指にぐっと力を込めた。引き金が動く。空に雷管の音が弾けた。
「我ら白団ーっ、勝利の化身白虎となりてーっ、この戦いの場にただ今見参致すっ!」
 白団の象徴は白虎。応援団の衣装はハッピと短パンで、ハッピは虎縞、背には全員白虎の文字。五分間で展開されたのは、やや劣勢の白団が一念発起、気合を込め、勝利の化身である一頭の白虎となり、各団の象徴となっているものを次々に打ち倒していくといったストーリー仕立てのもので、そのストーリーの中に団席一体となって白と黒の虎模様を織り成すパフォーマンスや、手拍子、CMなどで誰もが聞き覚えのあるフレーズを上手に使った応援だった。応援団の振り付けもお祭りっぽいノリで、昔からの伝統的な神事っぽくなっており、その中でも最大の見所は、団旗のスーパーキャッチだった。団席の一番高い四段目の中央から、副団長が力一杯大きな団旗を槍投げの如く飛ばし、それを隊形の最先端にいた団長が振り返りざま掴み取るのである。これも相当練習したらしく、見事なキャッチは団席の虎模様と同じくらいグラウンド中を沸かせた。
 ストップウォッチと応援を交互に見ていた斗音は、白団団長が最後に叫んだ
「これでぇっ、白団の応援を終了させて頂きますっ!ありがとうございましたぁっ!」
という言葉に合わせて、団席全員がきっちりそろえて頭を下げ、ありがとうございましたを繰り返したときにぴったり数字が五分を表示したのに感嘆しながら、再度雷管を鳴らした。グラウンド中から拍手が沸きあがる。
「白団の皆さん、ありがとうございました。ただ今の時間、五分ゼロ秒。減点はありません」
 白団から歓声が起こる。応援時間五分を越えると、五秒ごとに審査員の総合点数から五点ずつ減点されていく。短ければ別に減点対象にはならないが、審査員に物足りなさを感じさせるだろう。
「では次、緑団、準備をお願いします」
 言いながら、燦々と降り注ぐ日差しを浴びているはずの身体が、内から寒気を訴えてくるのを感じていた。頭だけは妙に熱い。きっと熱が上がっているだろう。あまりこの日差しの強い場所に長居するのは得策ではない。倒れでもしたら、元も子もない。観戦は本部テントでも構わないだろう。緑団団長の織田がぴっと手を挙げたのを合図に、火薬を詰め替えた雷管を手にする。
「六組連合、緑団。用意!」
 パン、と小気味よい音が響く。しかし、鳴らす方は耳を押さえていないと、鼓膜に少なからずダメージを受けるほどの衝撃だ。それと同時に緑団は全員が伏せた。おや、と思う。緑団の象徴は武田信玄。団旗の鎧兜の武者に並んで団席中央にいた団長が一人、すっくと立ち上がる。

「我ら最強の武田軍っ、孫子の風林火山にてっ、敵をことごとく打ち倒してみせようっ!いざ、出陣ーっ!」
 団席に紛れていた応援団員がその声を合図に飛び出す。団席はゆっくり顔を上げながら、鬨の声を上げ、彼らが定位置につくのを待った。
「これからーっ、六組連合緑団のーっ、応援を始めますっ!礼っ!」
「お願いしますっ!」
 気合の入った緑団の応援は、最初に団長が宣言した風林火山の戦略をそれぞれにふさわしい応援で綴ったものだった。風ではどんどん速くなる手拍子を見事に打ちそろえ、林では全く無音のまま視覚に訴える滑らかなウェーブを見せ付け、火では怒濤の声を上げる激しい応援を響かせ、山では応援団が扮した各団の象徴を、団席移動で下まで降りていた団員全員の動きで飲み込んでいく様子を見せた。どれも完成度の高い応援だったが、団席移動をした場合は、全員が元の位置に戻るまで、応援時間として換算される。雷管を鳴らしてから、すぐ下の本部テントに入っていた斗音は、ストップウォッチとにらめっこしながら、緑団が団席に戻っていくのを見届ける。恐らくこの時間を考慮しすぎ、団員の結束力を甘く見過ぎたのだろう。まだ二十秒残っていた。ゆっくり朝礼台に登り、終了の挨拶とともに雷管を鳴らす。
「緑団の皆さん、ありがとうございました。ただ今の時間、四分四十四秒。減点はありません」
 安堵の声と、やや微妙な気持ちを表す声が緑団からこぼれた。決して悪くはないのだが、十五秒あったらもうひとパフォーマンス入れることも可能である。斗音は背筋の悪寒から来る不快感に軽く身を震わせて、気を取り直す。
「それでは次、黄団、準備をしてください」
 身体を震わせたら、なんだか背中の筋肉が重いような、硬いような気がした。熱による筋肉のだるさだ、と思ったが、黄団団長の森が準備OKの合図を送ってきたので、雷管を構える。
「一組連合黄団、用意!」
 音とともに手に響く振動にもだいぶ慣れた。火薬の匂いは嫌いじゃない。でも、あまり煙を吸い込むわけには行かなかった。鳴らした次の瞬間にはストップウォッチを作動させる。
「局長ーっ!如月高校のグラウンドで、なにやら不穏な動きがございますっ!」
 いきなり応援団の一人が叫び、団長が団旗を杖のようにして、ドンと地を突く。
「何事!」
「此処より東南東にかけての一帯、反乱の様子あり!不穏分子が五つに分かれて集結しております!」
「なんと!ようし、それでは我ら黄団新撰組、今こそこの絆の強さをもって、それらを殲滅せしめん!いざ!」
 団席の声が一つの塊となる。
「おおおおおおおっ!」
 それを合図に、応援団全員が走り出た。それを見計らって、斗音はそっと本部テントに入る。ぞくぞくする寒気で、鳥肌が立った。少し吐息する。その息が熱っぽいのが分かった。それを自覚すればするほど、立っているのもつらくなってくる。椅子に座って、背もたれに寄りかかった。目の前では新撰組を基にした応援が展開されている。応援団は手作りの刀を持ってのパフォーマンスだし、応援席はそれに合わせて隊形移動を中心にした壮大な応援となった。最初は団席ならではの手の動きで審査席を唸らせ、そこからは一気にグラウンドになだれ込み、渦を描いたり、そこでウェーブを起こしたり、『誠』の人文字を描いたり、ダイナミックに動き回るのを、応援団が先導するといった感じだった。最後の隊形は、団席に戻っての声と手拍子の掛け合いに、複雑な手の動きを取り入れたもので、最後に団席にバタバタ戻る手間を省いたものだった。そこで本部の後ろから、莉紗が声を掛けてきた。
「代わるわ、斗音くん」
 うなずいて、火薬を詰め替えた雷管とストップウォッチを手渡した。本部の後ろから回って、赤団の団席に到着したとき、全員の一糸乱れぬ最後の礼が終わった。朝礼台に立った莉紗が引き金を引いて終了を告げる。
「黄団の皆さん、ありがとうございました。ただ今の時間、四分五十七秒、減点はありません」
 おーっ、と感嘆の声がこぼれた。三秒の誤差は大したものだ。
「よし、赤団、行くぞ!」
 大きくてかなり重いはずの団旗を片手で持った近藤が、低い声で控え目に活を入れる。赤団の団席の後ろに用意された台に、翔一郎と、その脇に二人、三年生の男子が控える。
「赤団、準備をお願いします」
 よく透る莉紗の声に、近藤が真っ直ぐに手を挙げた。準備完了の合図だ。斗音は少し息を詰める。
「それではいきます。三組連合、赤団。用意!」
 パァン!と音が弾けた。いきなり近藤が大きな団旗をぐるんと回す。そしてものすごい声量で叫んだ。
「目覚めよ、鳳凰!」
 団席が揺らめきだす。全員が隣と組んだ腕で列ごとに交互になるように揺れるのだ。その波が徐々に大きくなっていく。身体を揺らすほど大きな波になったとき、近藤が今度は大きく団旗を二回回した。
「鳳凰飛翔!」

 怒鳴ると同時に団旗を真上に力一杯投げ上げる。
 
三年生二人の組んだ手に足を掛けていた翔一郎が、彼らの手の反動と、自分のバネによって団席を一気に飛び越え、宙で一回転する。長いハチマキが大きく翻り、そのままダン、と立て膝状態で着地する。体勢はほとんど崩れなかった。同時に近藤が投げ上げた団旗を見事にキャッチする。大成功だ。赤団以外の人間がほぼ全員大歓声を上げた。
 
最初に観衆の度肝を抜いて印象付ける赤団の作戦は大当たりだった。そこからは、目覚めた鳳凰を味方につけ、羽ばたき、その最強の力で全ての団を焼き尽くし、包み込んでしまうというストーリーで、応援は展開されていく。羽をイメージした動きを取り入れた手拍子、鳳凰を呼ぶための掛け合いは、陰陽師の呪術をイメージした応援団の動きと、団席の掛け声の絶妙なコンビネーションがあり、鳳凰の姿を包み込む炎をイメージした団席の動きを舞によって操る応援団、そして最後は団席が一気にグラウンドへ二つの縦長の隊形で移動して、それを翼に模して大きく広がり、一気に他の団に扮装した団員たちを包み込み、瞬間芸で赤い扮装へと変えた。そして近藤が勝利宣言をしたところで、応援は終了である。
 
一丸となって全員が今の自分にできる最高の姿を見せる中、斗音も手を抜けるはずがなかった。つい喉の痛みも忘れて声を枯らして叫び、その時は身体のだるさも忘れて精一杯練習してきた通りに動いた。全員の気持ちがひとつになった礼が終わったとき、無理をした自分などどこへやら、やりきった満足感で、斗音の胸は一杯だった。雷管が終了の合図を響かせ、莉紗が朝礼台でストップウォッチを見ながら、やや高揚した声で告げた。
「赤団の皆さん、ありがとうございました。ただ今の時間、五分四秒、減点はありません!」
 今度は赤団から喜びの大歓声が上がった。ぎりぎりセーフである。色々盛り込んであった分、練習のときからかなり時間は気にしていたのだ。斗音もほっと胸を撫で下ろしつつ、そっと団席を抜けて本部席へ向かった。
「では紫団の人、準備をお願いします」
 引き続き、莉紗が司会を務める中、紫団の団長、福山が勢いよく手を挙げた。
「それでは、二組連合紫団。用意!」
 雷管が今度は開始の合図を響かせる。
「ペガサスの下で我らは集いーっ、そして絶大なるその神々しき力によりっ、全てを打ち砕くーっ!」
 福山のセリフから、紫団はいきなり掛け合いの応援に入った。一つの応援を終えてから挨拶をする。丁度それくらいで斗音は本部にたどり着いた。
「伊佐治先輩、ありがとうございました」
 応援のために、かなり擦れてしまった声を掛けると、莉紗がきらきらした目でストップウォッチを渡しながら、興奮したように言った。

「赤団すごかったね!最初、すごくかっこよかった!客観的に見て、全体的にも文句なしでよかったと思うわ」
「ありがとうございます。でも、青団には嵐がいるから、絶対何かやるんでしょう?」
 微笑みを浮かべつつ応えると、莉紗はくすっと笑った。
「そうね。近藤くんや羽澄くんに負けないくらい、あの子の人気は上がるでしょうね」
 今現在、既に抜群の人気を誇るというのに、これ以上上がったら、さぞ彼の周りはにぎやかになるだろう。そしてきっと本人は困るのだ。彼にはあまり人に知られてはならない秘密が色々あるようだから。
「じゃあ、あとよろしくね」
 次に応援を控える青団の莉紗が、目立たないように本部を抜け出していく。斗音は軽い会釈で見送った。
 紫団は天空に瞬く星座の数々を、手の動きを巧みに遣った手拍子で表し、そこからペガサスが羽を撒き散らして舞い降りる様子を、団の全員が団席からまばらに飛び降りることで表現し、その計算された美しさでどよめきを掻き立てた。そして、ペガサスを団員の人文字で表し、そのペガサスが動くという高等技術までやってのけた。ギリシャ神話の神のような衣装をまとった応援団たちは、あくまで主役を団席にし、その周りで打ち倒されるその他の団や、ペガサスを崇める役を演じていた。
(すごいなあ。どの団も、ほんとよく考えるよ)
 感心しきりの斗音である。いっそ審査員が気の毒なくらいだ。
 ストップウォッチが五分に近づいて、朝礼台に上がる。紫団の応援も、最後の盛り上がりといったところだ。羽ばたくペガサスに、応援団員たちが勝利を誓う。その瞬間、五分が過ぎる。斗音は雷管の引き金を引いた。炸裂音が無情にも空を裂く。グラウンド中がどよめいた。
「これで、紫団の応援を終了いたしますっ!礼っ!」
「ありがとうございましたっ!」
 団長の礼に続いて、精一杯の声で挨拶をした団員が、「撤収!」の一言でざっと団席に戻る。最後に団長が完了の合図で手を挙げた瞬間、斗音はストップウォッチを止めた。少しばかり息を飲む。
「紫団の皆さん、ありがとうございました。ただ今の時間、五分九秒。規定により、5点の減点になります」
 ざわざわとざわめく団席を、各団の団長が諫めた。
「黙れ!喋るな!」
 他の団の応援を見る態度も、応援審査の項目にある。たちまちグラウンドが静まり返る。
「青団の皆さん、準備をお願いします」
 その静寂の中、斗音のハスキーな声が響き渡った。すかさず立ち上がった団席を見渡して、青団の団長一宮がまっすぐに手を挙げる。それを確認した斗音は耳を塞いで雷管を上げた。
「五組連合青団、用意!」
 雷管の音が静寂を破る。その余韻も冷めやらぬ中、団長が団席の前に飛び出し、砂煙を上げて片膝をつく。何事かと驚く審査員をきりりと見上げて、声を張り上げた。
「ご覧あれ!凪いだ海に嵐の兆し!これすなわち、青龍顕現の前触れなり!」
 団席は全員がハチマキを取って前に突き出し、隣の生徒のハチマキと自分のハチマキの端を握っている。つまり、こぶしが節になっている、真っ直ぐの青い直線が描かれている状態だ。それがゆっくりウェーブを描き始める。所々に潜んでいる応援団員が、小さな白い布をはためかせては沈め、閃かせては引っ込め、遠くから見るとまるで白波が所々で起こっているようだ。波が大きくなり、白波が弾け始める。そのうち波は大波へと変わり、それが左右に分かれ、ぶつかり合って、巨大な波飛沫に見せた小さな白と青のポンポンが散った。
「昇龍だぁっ!」
 今まで見えなかった団旗が、いきなり団席中央から長い尾をひいて飛び出し、前で控えていた団長がそれを受け取る。団旗の先端に長い長いビニール紐を束にしたものを取り付けてあるのだ。それを追うように同じく中央から副団長が飛び出し、所々に潜んでいた応援団員が一斉に団席から飛んだ。
「我ら青団の応援、とくとご覧あれっ!礼っ!」
 団長の、空気を揺るがすような声に、青団が礼でウェーブを作る。どこまでも、テーマは海と龍なのだ。
「お願いしますっ!」
 勢いのいい挨拶が終わるや否や、青団の団席はやはり波を作りながら深々と頭を下げた。その間に、団旗を持った団長がくるりと後ろを向き、嵐が団席の右側に下がった。その五メートル先に二人の団員が互いに組んだ手を下に構え、更に二メートル先に馬跳びの馬の形になった団員が四人、それを台にして上に立つ団員が、やはり同じように組んだ手を下に構えている。

「うねる波を巻き起こし、現れし青龍!今此処で、全てを飲み込み、青に染め上げよ!」
 
うぉおおおおっと青団が声を上げる。嵐が団席の前を走り出す。嵐が通過していくと同時に、大きな青い波が団席に起きる。そしてグラウンドを蹴るようにして、嵐が二人の団員の手に足を掛け、大きくジャンプした。同時に団席の波がその場所で弾け、更に大きな波となってつながる。グラウンド中から歓声が上がる。しかし、それはまだ序の口だった。大きくジャンプした嵐は、更に二メートル先に構える団員の手に片足で着地し、今度はその反動で団席をも越える高さに飛び上がったのだ。
「我らとともに!」
 声を限りに叫んだ団長が、その嵐の前方めがけ、団旗を投げる。うおーともぎゃーともわあーとも表現できない叫び声が運動場全体を飲み込んだ。本部テントに入っていた斗音は身を乗り出し、声を出す代わりに息を飲んだ。なんと、その重い団旗を宙でつかみ取った嵐は、その勢いにつられるようにしながら四メートルほど空中を駆けた。もちろん団席はその速度に合わせ、大波を描き出す。団旗を地面に突き立てるようにして着地した嵐は、今度は団旗を振りかざし、速攻で逆方向に駆け出す。大波が今度は逆向きに大きくうねった。グラウンドは最大級の拍手と轟くような歓声で埋め尽くされた。
(すごい、ていうか・・・・・・マジで?)
 翔一郎の大ジャンプも霞んでしまいそうなほどのこのインパクト。やはり嵐は尋常ではない。
(そりゃ三年生も死に物狂いで勧誘するよ)
 はあ、と大きく溜息をつく。熱っぽい息は、興奮しているからだけではないだろうが、今はそれどころではなかった。
 青団の徹底したダイナミックな応援は、会場中の目を引きつけて、一瞬たりとも離させなかった。時間も四分五十七秒。全く問題ない。そう斗音が全校に告げたとき、溜息と青団の歓声が入り混じった。
「以上で全団の応援全て終了いたしました。審査員の皆様、ありがとうございました。ただ今より五分後に、次の一年生学年種目を開始します。一年生と係になっている人は準備をお願いします」
 それだけ放送してから、斗音は朝礼台を降りた。つらいな、と感じた。絶対に熱がある自信がある。しかも結構高いらしいのが自分でも分かる。午前中に比べて、ひっきりなしに寒気が襲ってくる。
(珍しくちゃんと食べた分、消化して熱が上がってるのかも)
 ちゃんとと言っても、翔一郎がくれたサンドイッチひとつだったけれど。なんだかすごくおいしく思えて、全部食べられた。風邪気味だったから、むしろ食欲はいつもよりないと思ったのに、意外だった。栄養が摂れたのだから、少しくらい良くなってもいいのに、と心の隅で思うが、実際のところ、斗音の身体は本人が思うよりずっと、遥かに衰弱していた。本人がこうしていられるのは、精神力が並外れて強いからだ。一般的なそれの持ち主であれば、とうに動けなくなって久しいに違いない。
(でも、あと出場するのは学年種目くらいだし、何とかなるさ)
 そんなふうに考えるあたり、やはりO型の性質を例外なく有しているらしい。戻ってきた審査員たちの審査票を集め、丁寧に礼を言い、早速集計ができるように準備を整える。賞状も作らなければならない。一つの団につき三クラス分必要だし、手間は手間だ。
「悪い、遅くなった」

「手伝うわ、斗音くん」
 執行部員たちが集まってくる。応援集計は執行部全員、更に顧問の伊藤がついて行われる。表向きは不正がないようにするためだったが、もちろん執行部員がそんなことをしたりはしない。むしろあとから、評価がおかしいなどのバッシングを執行部員が受けないようにすることが、一番の目的だった。
 応援合戦に続くのは、一年生の学年種目「愛は無敵!!」は、二人三脚の障害物リレー、二年生の学年種目「トライ!トライアスロン」は、四人組みで100M四人五脚ダッシュのあと騎馬で猛ダッシュ、最後はクラス全員の馬の波を飛び越えるといった三種の競技を一周に取り入れたもの、三年生の学年種目は「羽ばたけ!未来(ゴール)へ」で、三十三人三十四脚で大縄をしながら一気にゴールまで駆け抜けるというものだった。足を縛る人数が多ければ多いほど、団結力が必要となる。よって、難易度は学年が上がるのに比例している。どの競技もすごい盛り上がりを見せたが、中でもやはり三年生の競技は迫力があった。これだけ足を縛ってあれば、その中にいるのが男子でも女子でも大差ない。それでも今年の赤団は強かった。
「今年の男クラは侮れねーよな。普通むしろでかいガタイが災いするもんなんだけどなあ」
 本部席に戻ってきた武知が溜息混じりにぼやいた。観戦していた斗音が苦笑する。
「怖いくらい息が合ってましたからね」
 その声は、いつもの擦れ具合を五割り増しほどにしたもので、聞いた方は思わずその声の持ち主を凝視した。
「何だお前、発作起こしたのか?」
 その驚き方にむしろ驚いて、斗音は慌てて首を振る。
「いえ、大丈夫です。ちょっと喉を使いすぎたみたいで」
 疑いをありありと浮かべた視線で斗音を見た武知だったが、ふうん、とつぶやいた。
「まあ、応援合戦があったからな。けど、もうほんと、無理すんなよ」
「はい」
 次は最終種目の団選抜リレーだ。選りすぐりの団の精鋭たちで、団の威信をかけて争う最後の競技。盛り上がらないわけがない。執行部からも今井、弓削、莉紗、藤堂が参加している。もちろん、運動神経抜群の嵐、翔一郎も出場メンバーだし、各団団長はアンカーを努めることになっている。各学年四人代表を出し、その内一人は必ず女子でなければならない。もちろん赤団は三年生から女子を出せない分、二年生から一人余分に女子を出す形となり、かなり不利である。が、総合的に見て有利不利は、それで丁度釣り合いが取れるようになっている。
「赤、強いな。羽澄がいるし近藤がいるし、大穴で岡崎がいる。あいつ、スタートダッシュが遅いだけで、滅茶苦茶俊足だぜ。リレーはスタートダッシュがねえからな。相当速いと思うぜ」
 対戦したことがある武知の言葉には、素晴らしく説得力があった。斗音が苦笑する。バスケは瞬発力だ。スタートダッシュが遅いというのはどうだろう。だから彼はスタメンになれなかったのかもしれない。
「さあっっ、ラスト勝負!泣いても笑ってもこれが最後です!あとは自分たちが選んだ選手を信じるのみ!いよいよ運命の懸かったレースが・・・・・・」
 放送部の中継にも熱がこもっている。出発係が雷管を頭上に掲げた。
「位置について!用意!」
 高らかに空を割る音が響き、選手たちが同時に地を蹴って飛び出す。それにかぶさるように、F1レースのB.G.Mとして有名な曲が流れ出す。合わせて中継が再開された。
「スタ―――――ト!どの団も素晴らしいスタートを切りました!」
「いい演出ですね」
 思わず感心した斗音がつぶやく。つぶやくような声は、周りがうるさい上にかなり擦れているせいでひどく聞き取りづらい。それでも武知はうなずいた。
「今ので出場者のかっこよさが倍増したな」
 スタートは一年生男子。一周走ってそれほど差もつかず、ばらばらと一年生女子ランナーにバトンが渡る。
「第二走者、スムーズな走り出しです!今のところほとんど差はありません!さあ、どうなる!」
 スピードは落ちるものの、差がない分激しい順位の競り合いが展開され、再び一年生男子の第三走者につながっていく。この辺りから、やや差がつき始めた。先頭は白団である。やや距離を置いて紫、黄、赤、青と続き、少し緑が離された。
「頑張れ一年!離されんのは早いだろ!」
 武知の喝が入るが、聞こえたかどうかは怪しい。再び本部テント前で、怒濤のバトンタッチラッシュが行われる。一年生最後の第四走者にバトンが渡る。彼らが四分の一周走り終える頃には、青団のすさまじい歓声が沸き起こっていた。
「速ーい!青団が速い!あれは応援団員の氷室くんです!高跳びでも見せてくれた脅威の一年生、ここでも真価発揮ーっ!」
「はえーなあいつ。一年にしとくの惜しいくらいだ」
 感嘆する武知だが、一年にいるからこそ価値があるのではないかと、密かに思う斗音である。そうこうする内に青団の長いハチマキをなびかせながら、長身の氷室という一年生が一人抜き二人抜き、最後にもう一人抜いて、なんと二位まで追い上げてしまった。
「すごい・・・・・・。どこの部活だろ」
「ああ、あいつ?野球部のルーキーらしいぜ。今年野球部がいい線いったの、あいつのおかげなんだと」
「そうなんですか?確かにあの俊足なら、盗塁はお手の物でしょうね」
「それだけじゃねえ。えらく腕の立つピッチャーらしい。一応今年は控えだったけど、それでもほとんどの試合で投げてる」
「足腰がしっかり鍛えられてるってことですね」
 恐らく本部テント以外でも、同じような会話が繰り広げられていたことだろう。それほど彼のインパクトは素晴らしかった。その間に、バトンは二年生男子に渡る。白団の田近が一番にバトンを受け取った。部長になった彼は剣道も比較的強いというが、足も速いらしい。きっと慈恩がいたら、彼も間違いなくこのレースを盛り上げる一人であったに違いない。慈恩の場合滅茶苦茶速いという印象はないが、何せ脚が長いので、大して速く走っているように見えなくても百メートルは確か十二秒をギリギリで切るくらいのタイムだった。インターハイ選手が十一秒前半から十秒台というものだから、一般の高校生としてはかなり速い方だ。翔一郎は十一秒八七、嵐は十一秒一五の自己ベストを持っている。徐々に差は広がったり、逆に縮まり、入れ替わったりして、その度に割れんばかりの歓声が上がった。二年生の二人目にバトンが渡ったときには、順位が白、青、黄、紫、赤、緑となっていた。そこでまたもや青団で陸上部所属の中野が登場し、順位の入れ替えこそなかったものの、白団のすぐ後ろまでつけた。そこで二年生の女子がバトンを受けた。そこでまた一気に流れが変わった。
「おおっと、これはすごい!黄団の応援団員、澤村さん、そして紫団の加賀さんが速い!赤団の矢島さんも速いですねえ。さあ、たちまち順位が入れ替わります!先ほど順位を上げた青団、どうなるか!そして、遂に二年生の最後の走者に渡ります!ここは激戦区!個人種目で恐ろしい結果を残しているメンバーが待ち構えているっ!一番白、二番が黄、三番赤、四番紫と青がほぼ同時!そして緑と続きます!さあ、赤と青の長いハチマキが翻る!そして追いかける紫!青団速い速い速いっ、圧倒的だ!」
 青団、赤団、紫団から魂を懸けたような絶叫が上がった。女子で一気に抜かれた分を、嵐がみるみる追い返していく。抜かれまいとする翔一郎もぐんぐん順位を上げていく。必死に二人に喰らいつくのは藤堂だ。徐々に離されてはいくものの、離れていた黄団を抜き去り、白に迫る。
(すごいすごい!うわぁ、嵐速っ!頑張れ翔一郎!)
 斗音は思わず手の平に爪が食い込みそうなほど、拳を握り締めた。嵐の走りには感動すら覚えるが、ここはやはり同じ団の翔一郎の応援に、自然と熱が入る。

「何だあいつ、ほんとに高校生か?畜生、緑!しっかりしろ!」
 隣で武知が喚いている。緑は最下位に落ちてから、一度もその順位を変えていない。放送部の実況中継も声が裏返っている。
「なんとーっ!赤団青団、一気に集団を振り切っていくーっ!ここで青が並んだ!並んだ!赤団抜かれまいと必死!その間に紫が上がってくる!白団を抜いた!トップ争いはものすごいデッドヒート!ゾーンには赤団のアントワネット岡崎が待ち構えている!しかし、ああ、ついにっ!青団がトップに立った!なんと東雲くん、たった三百メートルの間に前代未聞の四人抜きーっ!」
 嵐に続いて翔一郎が先輩にバトンを渡す。やや間を置いて、藤堂がバトンタッチを終えた。わずかに距離を置いて、白が三年生走者に変わる。
「順位は総入れ替え!トップは青!続くは赤!そして紫、白、やや遅れて黄、緑となっています!」
「緑だけ入れ替わってねえっつの」
 熱を帯びた放送部の中継に、武知が仏頂面でツッコミを入れる。そんな執行部の仲間を、斗音はなだめるように言った。
「弓削先輩に期待しましょう」
 言いながらも、手は握り締めたまま。熱い。熱いのに、なぜか汗ばんではいなかった。むしろ乾いている。しかし本人はレースに目を奪われていて、そんなこと微塵も気づいてはいない。
「おおっと、赤団、たちまち青団を捉えて・・・・・・今、抜きました!速いです!少しずつ差ができていきます!」
 抜いたばかりの赤団に抜き返されたのを見た嵐は、ゼイゼイいいながら悔しそうだった。同じくゼイゼイと息の荒い翔一郎も、やはり悔しそうだった。こちらは嵐との勝負に負けたことが悔しいらしい。
「さあ、三年生の二番手、女子ランナーとしては最後の走者!赤団は三年生に女子がいないので、二年生の日向さんですが、千五百メートルでは三位入賞を果たしている実力者!今トップで赤にバトンが渡る!続いて青の伊佐治さん、紫はこれも千五百メートルでトップを取った女子陸上のエース桜井さん、黄も長距離で二位になっている応援団員仁科さん、白の葛西さんがほぼ同時!緑の応援団員渋谷さんがやや遅れたか!しかしここも素晴らしい運動神経の持ち主の集まりです!第一コーナーを回るっ!これはやはり陸上部の先輩の意地か!紫の桜井さんがぐんぐん追い上げる!伊佐治さんも懸命に逃げる!赤団日向さん、二年生とは思えない走りで、なかなか抜かせない!そして、黄も追い上げてきた!おおっと、ここで初めて緑が上がってきた!」
「ようし、行け渋谷!せめて弓削が一人でも抜けるようにしてくれ!」
 武知はもはや怒鳴っているに近い。その思いが届いたのか、緑が白に迫る。莉紗は紫団につかまり、抜かれる。それでも懸命に離されないように駆ける。紫、赤、青、黄、白、緑の順でバトンが渡る。
「なんと、初めはトップだった白団、遂に最後尾の緑と並んだ!そして最後のバトンタッチに向けて三年生の男子走者が走ります!紫は加賀くん、二年生の女子ランナー加賀さんのお兄さんです!奇しくも兄弟そろって紫団!長距離では一位でした!赤は元ボクシング部部長瓜生くん!長距離では三年生の三位になっている!ここは紫、やはり速い!青は応援団員小野くん、黄は生徒会長今井くん!白団は元サッカー部部長の木更津くん!そして高跳びで素晴らしい記録を打ち立てた執行部員の弓削くんが緑団のランナーです!」
「ようし、行け弓削!抜けるぞ!」
 最後にバトンを受け取った弓削に、力一杯武知ががなる。弓削はそれに応えるかのようにぐん、とスピードを上げた。しかし斗音の視線は赤団の走者を捉えている。
(瓜生さん・・・・・・すごいな。如月祭であの人がこれだけ活躍することになるなんて。何事にも反発して、協調性には縁遠かった人なのに)
 赤団頑張れ、と叫びたい気持ちを抑えながら、斗音は思った。無駄に携帯を使っていると因縁をつけ、如月の学力について行けずに卑屈になり、力で権威を示そうとしていた彼。最後には仲間全員の分の罪を被った彼。その後一度、遅刻してきてホームルームを保健室でサボるところにも遭遇した。そんなはみ出し軍団のボス的存在だった瓜生に、一体どんな心境の変化があったのだろう。
「緑団弓削くん、遂に白団を捉えた!そして今、抜いたーっ!緑団、初めて順位を上げました!」
「ようし、ついでに今井も抜いてやれ!」
 意気込んでいる声が届かなくても、きっと弓削はそのつもりだったに違いない。しかし今井も負けない。紫がややリードしてバトンを最終ランナーの団長に渡した。ギリギリ二位をキープした瓜生が、近藤にバトンを渡し、青、黄、緑はほぼ同時にバトンタッチした。やや白が遅れながらも、その差はわずか二メートル強。
「先が読めません!如月祭最後を飾るにふさわしいこのレース!最後は団長対決!現在身体ひとつリードでトップは紫福山団長!続く四団はほとんど順位が分からない!赤の近藤団長が身体半分リードか!青団一宮団長、黄団森団長、緑の織田団長、激しい争い!白団宍戸団長も諦めるには早すぎます!まだまだ捉えられる距離だ!」
 グラウンド中の熱気が、声援となって空中に放出されているようだ。そんな膨大な視線と声援を集めた団長たちは、渾身の力を振り絞って駆ける。塊がほどけ、少しずつ順位が見えてきた。近藤が紫に迫っている。追いつけるかどうかギリギリのところだ。青がひとつ抜け、黄と緑が激しい四位争いである。白は必死だが、なかなか距離が縮まらない。
「さあ、最後まで独走はない!紫か、赤か!」
 決勝審判の係が目を凝らす。二色のハチマキがほぼ同時にゴールテープの白と交わった。雷管が先頭のゴールを告げる。本部テント前でのゴールを目の当たりにして、斗音は思わず息を飲んだ。ほんのわずかだが、近藤が先にテープに触れたように見えた。ほとんど間をおかず、青がゴール、黄と緑もほぼ同時のままゴールしたが、こちらははっきりと黄が先にゴールラインを越えた。そして最後に白が、それでも決して速度を緩めないままでゴールした。最後の雷管が高く鳴り響いた。全ての競技終了である。
「決勝審判の判定は・・・・・・?」
 全員が固唾を呑んで見守る。一位の旗の隣で、赤いカードが上がった。そして二位の旗のところで紫。
「赤が勝ったーっ!あの接戦を制したのは赤でした!紫惜しくも二位!しかし、最後までの粘りは感動すら覚えました!三位が青、四位が黄色、五位が緑、六位白という順番でした!なんとも凄まじいレースでした!冷めやらぬ拍手がそれを物語っています!」
 斗音の顔がぱっと輝く。自分が出ていなくても、やはりチームの勝利は嬉しい。自分の大切な友人が走っているのだから、尚更だ。無意識にガタン、と立ち上がった。その瞬間、目の前の活気溢れる風景が、色を無くした。
「おいおいっ!」
 何かにドン、と身体ごとぶつかって、力ずくで重力に逆らわされ、それでも重過ぎて自由にならない身体が三半規管を揺すぶる。何がなんだか分からない。
「しっかりしろ!」
 ぐらぐらする三半規管に響いてくる強い声。

(ヤバイ!)
 
本能的に目の前にあるはずの机に手をつき、重心を掛ける。視界に映るものはまだ混乱している。それでも必死に身体を支えた。今触れられてはまずい。熱があるのがばれてしまう。そう思った。
「大丈夫か、お前」
 武知の声だ。分かる。大丈夫だ。必死に言葉を紡いだ。
「あ・・・・・・はい・・・・・・。ちょっと・・・・・・立ちくらみ・・・」
 背筋を這うような寒気。気が緩んだせいだろうか。一気に押し寄せてきたような気がする。知らず、身震いした。まるでカメラのピントが合うように、すっと視界がクリアになる。何とか戻ったようだ。
「つらいなら休んでろ。何なら閉会式も」

「大丈夫です。すみません、ほんとにただの立ちくらみです」
 そっと笑みを載せる。ゆっくり隣を見上げると、武知のいかつい顔がかなり不審そうで、笑みを苦笑に変える。
「最後の点数が来ますね。これまでの得点は間違いありませんでしたから、集計結果が届き次第確認して、賞状を作りましょう。応援の分と一緒に」
 団選抜のメンバーが退場して、執行部メンバーがそろった。
「よし、じゃあ閉会式だ!」
 今井の一声で、一人一人が持ち場に着いた。弓削の声がグラウンドに響く。
「これで全ての競技が終了しました。これから閉会式を行います。各団、開会式で入場した隊形で集合してください」

 その声を耳にしながら、斗音は応援優勝の賞状に「五組連合青団」、応援準優勝の賞状に「三組連合赤団」と、そして総合準優勝の賞状には「五組連合青団」、そして最後の総合優勝の賞状には、ともすると震えそうになる手をなだめながら、ゆっくり、丁寧に「三組連合赤団」と、筆ペンを走らせた。

 完全に青団と赤団で痛み分けとなった今回の大会は、点数でもかなり僅差で、全員を見事に悔しがらせた。それでも、先日の今井の宣言どおり、「みんな、本当にお疲れ様!」という生徒会長の言葉に、自分たち自身がどれだけ頑張ったかを改めて確信し、拍手喝采を送ったのだった。
「一番おいしいのは赤団だったかな。総合が一番重いからな」
 本部テントの書類を片付けながら、溜息混じりの今井である。黄団は昨年度総合優勝をしていただけに、それを取り返せなかったのは悔しいようだ。
「赤団はあの男クラパワーだよな。ていうか、この如月祭で一番いい思いしたのは3-3だろ」
「ああ、間違いねえ」
 緑団の弓削と武知は肩をすくめている。
「すごいっス!青団、応援優勝おめでとうございます!それに、総合も準優勝で」
「うふっ、ありがと。総合がほんの十五点差で準優勝っていうのは惜しかったけど、悪い気はしないわ」
 負けたくせに笑顔満点の藤堂と、控え目ながらも喜色を抑えきれない莉紗の会話も弾んでいる。
「テント下ろすぞーっ!下にいる奴、早く出ろー」
 本部テントの柱を抱えながら、テント片付けの生徒が声を張り上げている。執行部の面々は、それぞれ記録や資料、ストップウォッチや筆記用具などの細かい道具類を抱え、武知と藤堂が机と椅子を慌てて運び出した。その上に大きな屋根がかぶさり、砂埃を上げる。とっさに斗音はそれらを吸い込まないように腕を上げて庇った。抱えていた小道具類がばらばらとこぼれる。
「あ、悪い!大丈夫だったか?」
 テントを下ろした生徒の一人が、斗音の落とした道具類を素早く拾ってくれた。
「あ、すいません。ありがとうございました」
「いや、こっちこそ、悪かったな」
 
そんなやり取りの間にも、テントはたちまち剥ぎ取られ、パイプの骨組みになっていく。
「武知と藤堂、悪いけどそのままそれ体育館へ運んでくれ。あとは生徒会室に運んで片付けよう」
「りょーかい」
「はい、すぐそっちに合流します」
 手にいっぱい荷物を抱えながら生徒会室に到着した四人は、朝来てそのまま置いてあった荷物から制服を出して着替え(莉紗だけは準備室で着替えたが)、早速自分が持ってきたものを片付け始める。
「この記録は?確か毎年綴じてるファイルがあったよな」
「この電卓、弓削先輩のでしたっけ?」
「そう、こっちは武知の」
 てきぱきと片付けていくので、たちまち抱え込んできた荷物は綺麗にあるべきところへ収まっていった。その頃に武知と藤堂も生徒会室へ到着する。彼らも着替えを済ませ、片づけを手伝い始める。
「月曜の朝には各クラスに賞状届けなきゃな。今日中に書いて、各クラスの担任の先生に渡しておきたい」
「はい、じゃあ今から書きますね」
 筆ペンを執ると、小刻みに震える乾いた手を何度も握ったり開いたりして、斗音は丁寧に丁寧に一枚一枚の賞状を書き上げた。閉会式で渡したのは一枚だけなので、それを教室に飾れるのは三年生だけである。よって、二年生と一年生の分合計八枚を書くのに、十分ほどもかかってしまった。その間に、メンバーはすっかり片づけを終えてしまっていた。そして、斗音が書き終わるのを待っていてくれた。
「よし、完成!じゃあ、それ渡しに行こうか」
 今井が言うのに、斗音は慌てて首を振った。それだけで目の奥がぐらぐらしたが、我慢する。
「ただでさえも待ってもらったのに、これ以上待たせるわけにはいきませんよ。渡すのなんて、職員室行くだけで済むんですから。もうみんな下校してますし、あとは俺がやっておきます」
 みんなが顔を見合わせる。いつも斗音はこの調子なので、つい任せてしまうのだ。
「でもお前、調子悪いだろ」
 武知が太い声で心配そうに顔色をうかがっている。
「ちょっと顔、赤いような気がするけど・・・・・・大丈夫?」
 莉紗も小首をかしげている。しかし、日焼け止めを塗っていたであろう莉紗でさえ、頬はほんのり色づいている。あまりの天気のよさに、みんな多かれ少なかれ日焼けをしているので、斗音はくすっと笑った。
「日差しが強かったですからね。日焼けはしてると思います。心配掛けてしまってすみません。でも大丈夫ですよ」
 ここまで言うのを更に拒んでしまうのは、斗音のプライドを傷つけてしまいそうな気がして、再び執行部の面々は顔を見合わせた。仕方なさそうに今井がうなずく。
「分かったよ。お前の責任感の強さは、俺が見込んだところでもあるからな。任せる。じゃあ、明後日の打ち上げ、遅れるなよ。何時か覚えてるか?」
「二時ですね?」
「よし。じゃ、お疲れのところだけど、藤堂、明日試合頑張れよ。明後日、いい結果待ってるからな」
「あはは、ありがとうございます」
「明後日会おう。今日はこれで解散だ」
 今井の声に、お疲れ、の声が飛び交い、ばらばらと部屋を出て行く。斗音も賞状を手にしてから、ふと自分で持ってきたはずのストップウォッチを片付けた覚えがないことに気づく。
(あれ?どうしたっけ?)
「斗音、鍵掛けるぞ?」
 入り口で今井が声を掛ける。慌てて斗音は応えた。
「あ、俺、職員室に行くとき鍵も一緒に持っていきますから、さしておいてください」
「さんきゅ。じゃあな斗音。お疲れ様」
「はい、お疲れ様でした」
 何とか笑顔で送り出してから、寒気に身を震わせながらストップウォッチをしまうはずの箱を開けてみた。やはりない。確かにテントを出るときには手にしていたと思うのだが。
(あれぇ?何で?おっかしいなあ・・・・・・もしかして、どこかで落としてきた?)
 探しに行くべきだろう、と思った。でも、ものすごく身体が億劫だった。実は歩いていてもなんだか浮遊しているような感じがするくらい、頭も熱でやや朦朧としている。とりあえず、賞状だけでも渡しに行って、そのついでにたどった経路を戻ってみよう、と思った。
 とはいえ、熱に浮かされた身体も思考もかなりおかしくて、とりあえず職員室での責任は果たしたものの、ストップウォッチを探し回る気力はあまり残っていなかった。荷物を肩に掛け、ふらふらと階段を下りる。ニ、三段降りただろうか。ふわふわしていた足が急に行き場を失った。
(あ、れ?)
 ぐら、と身体が傾く。いくら体育祭で持ち物が少なくても、荷物を掛けた肩に重心が掛ってしまう。
(これ、やばくない?)
 でも、手をつくところもなければ、重心を戻すことも最早不可能。落ちる、と確信する。衝撃を覚悟する。
「危ねっ!」
 どこかで聞いたような声がした。しかし、それを確かめる間もなく、鈍い痛みが左足首を襲う。そして全身に激しい衝撃が・・・・・・あった。確かにあった。でも、覚悟したほどは、痛くなかった。その代わり、その衝撃で気管に遮蔽物が発生していた。げほ、と嫌な音を立てて咳が込み上げる。
(あ・・・・・・やな感じ・・・・・・)
「つっ・・・・・・おい、椎名・・・?」
 自分の下で、人が起き上がるのが分かった。誰かを巻き添えにしてしまったのだ。いけない、と、とっさに動こうと思ったが、身体がいうことを聞かない。硬く身体を縮こまらせて、濁った音で咳を繰り返す。呼気が笛のように細い音を出す。まだ呼吸ができる隙間はあるらしい。これなら、じっとしていれば大丈夫なはず。でも苦しい。じっとりと汗がにじむ。苦しい。薬が欲しい。でも、自分で出せる気がしない。身体が動かない。苦しい。苦しい・・・・・・クルシイ・・・・・・
「・・・・・・椎名、しっかりしろ」
 ぐい、と力強く身体を起こされたのが分かった。そして口に当てられたものからよく知った薬の匂いがする。それが気管を通る。数分ほどなのか、十分以上たっているのか、それともそれ以上なのか、全然分からなかった。でも、本当に苦しくてつらいのが、ほんの少しずつ楽になっていくのが分かった。呼吸が戻ってくるに従って、今度は背筋を這い上がる寒気に全身が震えだす。歯がガチガチ鳴る。止められない。
「・・・・・・っ、お前・・・・・・すごい熱じゃねえか・・・・・・!」
 震えながら、ぼやけた視界に映った人影を見て、斗音は、ああ、と思った。この人だったのか。不意に安心感のようなものが駆け抜けて、ぷつんと意識の糸が途切れた。

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