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二十二.インターハイ in 名古屋

「椎名は昨日の発作のことがあるから、長くは出せない。だから最初に出てもらって得点で突き放す。その意味でのこのスタメンだ。各自、自分の役割をきっちり果たしてくれ」
 バスケット部の顧問は、「木下康司(きのしたこうじ)」という比較的平凡な名前だが、大概「クマさん」、特に女生徒からは「プーさん」と呼ばれ、親しまれる、身長177cm体重98kgの気のいい大男だった。バスケットの監督としては審判のライセンスも持っており、厳しすぎず、楽しく教えることのできる貴重な指導者である。その木下の言葉に逆らう者は、如月高校バスケット部内には存在しない。全員が威勢のいい返事で応えた。
 朝一番の電車で駆けつけた斗音を待っていたのは、朝早くから練習の準備を整えていた仲間の、温かい言葉だった。
「電車の中で飯は食ってきたんだよな。じゃあ、軽く身体慣らそうぜ」
「今日もスリーポイント、頼むぜ。俺ら引きつけて、どんどん回すからよ」
 ほっと胸を撫で下ろして、斗音は微笑んだ。ここには居場所がある。必要とされている。そして、同じように待っていてくれた徳本から、木下の作戦を伝えられたのだった。
「お前、今日スタメンだからな。俺、門真、羽澄、東雲、お前で、最初に点を取りまくる。お前は走ることよりも、マークから外れてスリーの態勢を作ることに専念しろ」
「・・・・・・はい、分かりました」
 昨日練習ができていないこととか、体力のこととか、そんなことを弁解よろしく言いはしなかった。ただ、この仲間の、そして先生の期待に、自分のできる限りの力で精一杯応える。今自分にできることは、それしかなかった。
 軽い練習を終え、身体を温めてから、最高の状態で如月高校は二回戦の試合を迎えることになった。
「今先生が言ったこと、忘れんなよ。最初は椎名からマークを外すために、東雲がガンガン突っ込め。お前いろんな意味で目立つから、すぐマークが集まんだろ。そこからが勝負だ。いかに椎名に集めてると思わせずに集めるかだからな。頼んだぜ」
「はいっ」
 威勢のいいスタメンの返事の中で、嵐が一人ぼやいた。
「いろんな意味って・・・・・・」
「ルックスいいってことじゃん。頑張って、嵐。斗音も、頑張れ!公式試合での斗音のスリーポイントの確率、七割あるんだから、自信持っていきなよ」
 ベンチで記録の準備をしていた瞬が、声を掛けてくれた。一生懸命頑張っても、体格的にも能力的にも恵まれておらず、レギュラーの取れない瞬は、試合のときに大抵記録を引き受けている。マネージャーがいないので、誰かがやるしかない。だったら自分で記録を取って、そのデータで少しでも仲間の役に立てれば、と思っているらしい。
「ありがと。とりあえず俺にできること、やってくるよ」
 瞬に微笑み返してから、試合開始を間近に控えて騒然となる場内の一角に目をやった。如月の応援席の一番後ろで、控え目にたたずんでいる制服姿の慈恩が、少し笑みを見せた。すらりとしたその身体には、真っ白のシャツと紺のネクタイが本当によく似合う。その右隣には、如月生徒会長バッジを胸ポケットの校章の隣に付けている今井、立派な体躯の剣道部部長近藤が、肩を並べてなにやら話しているようだ。まさか近藤が来るとは思わなくて驚いたが、近くまで来ていたよしみなのだろうか。でも、もっと意外な人物が慈恩の左隣を陣取っていた。
「頑張れぇ~斗音っ!東雲も、羽澄も、かっこええで~!」
 慈恩にひけをとらない長身の剣道少年の声に、翔一郎が肩をすくめた。
「今の台詞、どう聞いても、俺ら付け足しだったよな」
「かっこよかったら強いわけじゃねえのになあ」
 くすくす笑うのは嵐である。彼のひと際大きな声援と存在のおかげで、如月のスタメンは精神的にかなりリラックスできていた。その逆になってしまったのが、如月の相手校である山口代表の宮野高校だった。力のある学校で、前評判は如月よりも高いくらいである。如月はバスケットで全国大会に出場したことが過去に一度あるだけだが、その宮野高校は三年に一度の割合で全国大会に出場してきている。
「何だあの応援」
「かっこいいからって強いわけじゃねえっての」
「大体あの髪の毛の色、なんなんだ」
 かなり目を吊り上げている状態だ。徳本はやれやれ、と溜息をついた。
「ま、俺たちも外見で売ってここまで来たんじゃねえってことを、見せてやるしかねえんじゃねえか」
 スタメンの五人は互いにうなずきあった。
「見せてやろうじゃん」
 副部長の門真がにやりと笑った。その自信に溢れる笑みが更に五人を精神的な部分で支えた。
「よしっ、行くぜぇ!」
 右の拳をパシン、と左の手の平にぶつけ、徳本が自分の位置へ向かう。
「っしゃぁ!」
 それを合図に残る四人もそれぞれの位置を確保した。
 如月はそれほど高さのあるチームではない。一番高いのは185cmの翔一郎である。宮野高校はどちらかというと高さがあるだろう。大体が翔一郎並み、そしてジャンプボールに出てきたのは軽く190を越えていると分かる長身のプレイヤーだった。
「なんやぁ?あいつ、めっさ背ぇ高いなぁ。あんで羽澄、勝てるんか?」
「俺に聞かれても・・・・・・」
 苦笑した慈恩だったが、それを優しく和らげる。
「でも、俺が知ってる限りでは、翔一郎のジャンプ力に勝てる奴も、そうそういないと思う」

 曲がりなりにも全国大会に出て一勝しているチームである。長身のチームに対抗できるだけの能力を、如月はちゃんと備えていた。大きい分運動能力に劣った宮野高校のジャンパーの上を、翔一郎は軽々と越え、ジャンプボールをものにした。幸先のよい始まりだったが、相手も全国大会常連に数えられるチームである。そうやすやすと如月の思うようにはいかなかった。
 
作戦通り最初は嵐が攻めまくった。しかし、ワンマンで崩せるほど相手のディフェンスも甘くはない。嵐はもらったボールをパスせざるを得ないことが多く、なかなか自分から突っ込ませてもらえなかった。それでも嵐にボールが集中しているらしいことは、すぐに宮野も気づき、嵐は即座に集中マークされる羽目になった。それでも如月の面々は何とか嵐にボールを集めようという素振りを見せながら、あまり斗音を見ないようにして斗音にパスをまわした。正直動きで目立つ斗音ではない。パスはすんなり通った。スリーの位置、そして斗音自身も更に嵐に視線を向けたことで、敵は一斉に嵐のマークを強化した。その隙を狙って、斗音はフリーでスリーポイントを放った。斗音の綺麗なシュートフォームとボールの軌跡が、その成功を見る者全てに確信させた。嵐が叩き込んでいた6点に、斗音の3点が加わった。しかし、あまりにも正確なそのシュートは、たちまち宮野に警戒されてしまった。マークが嵐に二人、斗音に一人。あとの二人がゾーン周辺で臨機応変に守っている形になった。そこをついて攻めたのは三年生の門真と翔一郎、そして部長の徳本だった。徳本はセンターなのだが、それほど体格的に優れているわけでもない。むしろ攻め込めるセンターといったところだ。ディフェンス力はあまり高いとはいえないが、オフェンス力はかなり高い。
「いい感じやん。敵さんも結構点入れてはるけど、如月高校の攻めに、対応しきれてへん気ぃするわ」

 ただの剣道馬鹿でもないらしい隼が、つぶやく。実際その通りで、前半は得点を取ると決めた如月はディフェンス3、オフェンス7くらいの割合で攻めまくっていた。よって、相手に点を入れられることも多いが、それ以上に如月の手によってボールはネットをくぐっていた。そして、マークされながらも、フェイクや徳本の身体を盾にしたスイッチでフリーになって斗音が放ったスリーポイントは、最初の一本を含めて計5本。その内4本は見事に決まった。一人で12得点入れた時点で、斗音はベンチに下がった。第2クォーターの終了が間近に迫っている時だった。如月陣が斗音にボールを集めた結果だった。この時点で如月が48点、宮野が32点。油断できる点差ではなかったが、宮野高校にしてみれば16点差が重かった。
「ちっ・・・・・・あのスリーポイントが余計だ。ベンチに下がってくれたみたいだが・・・・・・これをまずどうにかしねえと厳しいな」
「目立たねえのに、あの生っちろい奴、スリー上手すぎ。スリーポイントシューターか?」
「かも。あの紫頭も滅茶苦茶うめえ」
「チームワークもいいけど個々の能力がたけぇ」
 そんな会話が飛び交っていた宮野高校陣だったが、第2クォーターを終えた時点で、斗音の体力は限界にきていた。試合というプレッシャーを伴う中での戦いは、普段よりはるかに体力を削る。荒い息に微かに摩擦音が混じるのに、誰もが不安を感じていた。
「大丈夫か?もう少し早く下げるべきだったか。お前のスリーで点差が開くのについ欲張りになっちまった」
 木下が心配そうに斗音を覗き込む。斗音は乱れた呼吸をなだめるようにしながら、微かに笑みを浮かべた。
「これくらい、日常茶飯事ですよ。ヤバイと本気で思ったら、自分で動くの、やめます」
 門真がほっとしたように表情を和らげた。嵐は斗音の汗に濡れた髪にタオルをかぶせ、くしゃくしゃにした。
「お疲れ。いい仕事してくれたおかげで、後半かなり楽だぜ」
 顔を上げた斗音を、翔一郎も優しく笑って迎えた。
「さんきゅ。お前がいてよかった」
 呼吸がつらいのか、すぐにうつむいてしまった斗音の表情は、タオルに遮られて見えなくなった。第3クォーター開始の笛が鳴る。
「うっしゃ、行くぞ!」
 斗音の代わりにバランスの取れたシューティングガードの佐々が入り、徳本の声で座っていた四人が立ち上がる。
「っしゃぁっ!」
 コートに出ながら、嵐が翔一郎に小声で囁く。
「試合っていう場に出場してる間、あいつがヤバイと思って走るのやめると思うか?」
「倒れるまでやめない」
 考える間をおかず、翔一郎が断言する。嵐は小さく頷いた。そして美声を低める。
「ぜってぇ勝つぞ」
 翔一郎も強い意志を瞳に宿した。
「あぁ」
(・・・・・・泣いてるのか、斗音)
 翔一郎のジャンプ力に歓声が上がる中、慈恩はただじっと、ベンチでタオルをかぶってうつむく斗音を見つめていた。先生や仲間たちに色々声を掛けられていたのは分かった。もちろん内容までは聞き取れなかったが。
「よっぽどしんどいんやろか?斗音、ずっと下向いてるで?」
「・・・・・・そうだな」
 応えるというよりはつぶやくようにして、電光掲示板を見る。斗音が稼いだ点数分の差は大きい。これを埋めようと思ったら、相手は普通に考えて6回余分にシュートを入れなくてはならない。後半は嵐と翔一郎の二人で攻めてディフェンスを強化するであろう如月から、それを実行するのはかなりつらいはずだ。嵐と翔一郎のコンビは個々の能力においても飛び抜けているし、連携も見事だ。それに、スティールされたら俊足でディフェンスに帰るので、なかなか攻めきれない。
(・・・・・・あの二人がきっと何か言ってくれた。つらいんじゃない。・・・・・・斗音、嬉しいんだろう?)
 斗音が全国という場でこれほどの力を見せられるとは。こんなに必要とされる存在になるとは。スポーツを禁止されていた小学校時代からは考えられなかった。いや、それが制限されていた中学校時代でも。走るのを止められるから、ずっとシュート練習をしていた一年生の頃。少し走れるようになって、そのシュートが生きるようになってきた。だから、尚更それを正確にするため、人一倍シュートの練習をし続けた。それが、今ここに来て、制限されながらも見事に花開いたのだ。そして、今ここには、それを必要としてくれる仲間がいる。
(やっぱり、斗音を如月から引き離すことなんて、できない)
 本人がまず、如月を辞めるとは言わないだろうというのは、最初に考えた。でも、斗音から目を離すことが不安で不安で、強引にでも自分と同じ学校へ転入させることも、何度も考えた。一人で早退させて斗音に酷いダメージを負わせてしまったときから、その不安は倍増していた。そして、まだ今でも、迷いは、ある。というより、もしかしたら斗音がついてきてくれるのではないかという、微かな期待だ。しかし、その思いを切り捨てなければならない、と、慈恩は痛切に感じた。
 どこに喘息持ちと分かっていて、こうして温かく見守り、発作のときのために常時その対処を心がけ、その能力を最大限に使おうとしてくれるチームがあるだろう。普通は他に優秀な選手がいれば、そちらを取るだろう。この素敵な仲間の中にいた方が、斗音は幸せに違いない。
「なんや、椎名?お前、ぼんやりして!今の見てたん?」
 急に名前を呼ばれて、慌てて隼に目を向ける。
「え、何を?」
「何をて。今の東雲の攻撃や。会場沸いてるの、気ぃついてへんのか?」
 途端、異世界だった現実が、波のように慈恩の五感に流れ込んできた。興奮しきった会場内の熱気と歓声に包まれる。
「すげぇよ、あの二年生コンビは!最初から動きが違ったもんな」
 隣で今井が熱のこもった口調で褒め称えている。ちょっとやそっとでは人を賞賛したりしない近藤も頷いて感心している。
「会場中の度肝抜きやがった」
 どうやら奇抜なプレーをやってのけたらしい。いかに自分が自分の感情に支配されていたかが分かる。聞くまでもなく、見ていなかったらしいことを察した隼が説明してくれた。
「俺知ってるで、あの技。アリウープゆうんやろ?漫画で読んだことあるで。羽澄があっちでパスもろて、なんかくるくる敵かわしながらドリブルしてってな、その途中で『嵐!』て一言だけゆうてな、そしたら東雲が瞬間移動くらい信じられんスピードでゴール下詰めてん。敵さんがびびって止めにいかはったら、信じられへんくらい高くにパスしよるさかい、一瞬パスミスかと思ててん。したら、ゴール下で東雲めっちゃ跳んでな、あの高いパス、キャッチした思たら、そのままガツンとゴールや。っかー、しびれたで!」
(・・・・・・・・・・・・やる)
 嵐と翔一郎ならできるだろう、と思ったが、見逃したことをちょっと後悔した慈恩であった。
「もういっぺんやってくれへんかなぁ。しかし、東雲、あの身長であれは反則やろ。凄すぎや」
 もう一回やってくれないかな、と思ったのは慈恩も同じだったが、斗音が頑張った分を絶対に無駄にしたくないという嵐と翔一郎の思いが表れたプレイだったとはいえ、そんな大技がそう出せるわけがない。いくつかスーパープレイと思えるようなものはあったけれど、残念ながらそれ以上アリウープはなかった。そして、攻撃は二年生コンビにほぼお任せで守りを固めた如月の最終的な点数は69点、宮野高校の点数は58点。やや追い上げられはしたものの、その差が十点を下回ることはなかった。その数字は、木下の作戦通り、斗音が開けた点数を守り抜いた形になった。
 挨拶を終えてベンチに駆け戻ってきた選手たちが一斉にとりまいたのは、アリウープを決めた嵐ではなく、作戦を立てた監督でもなく、首にタオルを掛けたまま仲間の試合を観戦していた前半の功労者だった。
「やった、斗音!お前のスリーで俺たち、勝ったんだぜ!」
 驚いたように彼らを見上げる斗音の腕を、嵐がぐいっと引っ張った。
「え、な、何言ってんの?みんながずっとその点差キープするために・・・・・・」
「キープするための点差がなきゃ、どうにもなんないだろ?」
 よろけるように立ち上がった斗音に、図ったように全員が群がる。
「お、胴上げ始まる。胴上げされんの、斗音やで。みんな、分かってはるんやな」
 シャープな顔に満面の笑み。慈恩も思わず微笑んだ。如月高校バスケ部は、誰もが斗音の喘息でのつらさや苦しみを知っている。そして翔一郎と嵐は、斗音が感じている仲間たちに対する負い目まで理解している。その斗音がかなり無理をしてでもチームのために貢献しようと頑張ったことが勝利につながったのを、心の底から喜んでくれているのだ。
「・・・・・・ああ」
 かなり慌てた様子で軽々と宙に上げられている斗音を、少し目を細めて見つめた。隼が納得したように頷く。
「あの監督は重すぎて上がらへんもんな」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
「・・・・・・は?」

 慈恩と今井と近藤の、一瞬疑うような視線と、やや呆れた視線と、完全に馬鹿にした視線が、一斉に剣道で全国制覇を成し遂げた少年に集まった。

   ***

 インターハイに出場することもかなりの快挙だった如月高校が、まさか二回戦まで突破してしまうとは、如月の生徒ですらほとんど予想していなかった。そのため、急遽ホテルの滞在を延長して、その翌々日の三回戦まで名古屋に留まることになった斗音たちである。帰るのを一日遅らせて試合の観戦に来ていた近藤や、あちこち飛び回っていて一度帰ると決めた今井は、徳本たちを激励して岐路についた。
「俺、今日まで剣道以外のスポーツ、ほとんど知らへんかったけど、バスケもええなあ。羽澄と東雲のスーパープレイとか、斗音のきれーなシュートとか、もう滅茶苦茶感動したわ。三回戦も見たいけど、俺帰らなあかへん」
 整った大人びている顔が、いつも湛えている無邪気さを消し去って。
「俺も、如月に入れたらええのになぁ」
 帰り際にそうつぶやいた隼が、印象的だった。道場の跡取り息子。毎日の修業が待っている身に、決してそれが叶うことはない。
「また、全国大会で」
 そう言って差し出した慈恩の手を握り、少しだけ微笑んだ。翔一郎と瞬がその肩と背中を、元気付けるように叩いて、口々に言った。
「ちょっと遠いけど、よかったら東京にも遊びに来いよ」
「そうだよ!隼なら大歓迎!多分来たら、椎名家が泊めてくれるよ。ここんち、すごく広いんだ」
 勝手に名前を出された斗音と慈恩は、一瞬こわばりかけた顔を表に出す前に無理やり解きほぐした。
「そないなことゆうと、俺本気にしてまうで?」
 苦笑した隼に対して、斗音は優しく微笑みかけた。
「いいよ。待ってる」
 慈恩は何も言えなかった。その時にはもう、椎名家にいないだろう。
 冗談と受け止めたのか、隼はいつもの無邪気そうな笑みを浮かべた。
「おおきにな。お前らといてた時間、俺ほんま楽しかった。けど、勘違いせんといてな。俺、確かに剣道部の中では先輩らに邪魔者扱いされてるけど、クラスとかでは別に友達に不自由してへん。ただ、部活に割いてる時間が大きい分、ちょこっと息苦しいだけや。それに、もう先輩らこれで引退やさかい。次におうた時は、俺もう少し元気やと思うで」
 せやから、俺としては喘息の斗音の方がよっぽど心配やで、と斗音のやわらかい髪をくしゃくしゃなでた。
「なんか、慈恩がもう一人増えたみたいだな」

 くすくす笑いながら翔一郎が言った。その場にいたみんなが思わず笑う。一人だけは苦笑を浮かべ、次の瞬間には淡いそれを消してしまっていたけれど。

   ***

 翌日の練習は比較的軽いものだった。当然付き添いの慈恩も雑用を引き受けていた。本当なら如月高校ではそろそろ剣道部の引継ぎが行われるはずだったのだが、慈恩がいなければどうにもならない。もちろん、近藤にはその理由と共に部長になることをはっきりと断ったのだが、その理由をまだ部員たちに話したくない慈恩である。この大会が終わったら、学校側にも言わなければならないのだが、それすら躊躇っていた。口にしてしまえば、現実味を帯びてくる。それが怖くて、それから少しでも逃げていたかった。それを察した近藤は、例外的に夏休みの終わりまで三年生の引退を遅らせることを決めた。最後の最後まで、仲間には言わないでおきたいと思っていた慈恩にとって、やはり近藤は頼れる先輩だった。
『部長を引き受けるわけにはいかなかったから・・・・・・近藤さんにだけは話した』
 昨日の夜、そう話したとき、斗音は思ったより冷静に見えた。
『・・・・・・うん。話長くなりそうだってお前から連絡入ったとき、多分話してるだろうと思った』
 剣道の大会が終わったあと、近藤に呼び出された慈恩は、途中一人部屋に残してきた斗音を心配して携帯に連絡を入れたのだ。発作を起こしたので無理をしないようにと休ませていたはずの斗音は、隼の部屋にいっていたようだが、きっと一人で煮え詰まりそうになっていたのだと、すぐ理解した。
『・・・・・・いよいよ、現実的になってきたね』
 微かな笑みを含ませたような表情でつぶやく斗音に、本当にいいのか、と、何度も確認しようと思った。けれど、そうやって斗音に言わせたいのは自分なのだと思うと、自分の浅ましい考えにうんざりした。それでも斗音の表情に翳りを見つけようとしている自分がいた。そんな慈恩の前で、想いを知ってか知らずか、斗音はそっと微笑んだ。
『そんな心配そうな顔しないでよ。俺は大丈夫だから』
 励ますような言葉にそぐわない、なんだか儚い微笑みに、思わず不安を掻き立てられた。本当においていっていいのだろうか、と。前も感じたことがある。そう思った途端、背筋に寒気が走った。
『な、何・・・・・・?』
 驚くというよりは戸惑うような斗音の声音を耳の後ろで聴いた。自分の中の不安を掻き消したくて、力一杯抱きしめた華奢な身体。自分が本気で折ろうと思ったら、簡単に折れるんじゃないかと思った。
(どうしてついていなかったんだろう)
 斗音に不幸の電話を取らせてしまった時、そう激しく後悔した。一人にするんじゃなかった、無理をさせるんじゃなかった。そう激しく自分を責めた。そして、その時に突き落とされた闇が甦る。自分の傍にいたくないと言われた時の、あの激しい痛み。色々と入り混じって、わけが分からなくて、言葉にできなくて・・・・・・だから、ただひたすら。わずかな距離すら拒否するように、ぎゅうっと腕の中の斗音を抱きしめていた。
 そんな昨夜のことを、まるで何事もなかったかのようにふるまう斗音に、寂しさを覚える。
「パス、こっちだ斗音!」
「椎名、オッケー!」
 パスをするかに見えた斗音のすらりとした白い腕から、ボールが宙に放たれた。
「うぁ、やられた!」
 たった今、マークする相手を決めたばかりの門真がうめくように叫んだ。みんなが見守る中、美しく描いた弧の先が、リングをするりとくぐった。
「単純なフェイクじゃねえか、馬鹿野郎」
 徳本が溜息混じりに言う。シュートに見とれていた門真が、我に返って苦笑いした。
「んな、いきなりシュートするとは思わなかったんだもんよ」
「椎名のシュートエリアじゃねえか」
「そうだけど」
「散々見てる仲間ですらだませるんだから、当然敵に対してだって有効ってことでいいじゃないすか」

 斗音のチームだった嵐が楽しそうに言うのを、慈恩は複雑な思いで見ていた。

   ***

 如月高校の三回戦の相手は熊本県代表の東海学園付属高校だった。この時点でともに全国ベスト16である。そして今回の対戦相手は、やはり全国常連校であり、熊本は基本的に部活動のレベルも高いとかで、どのスポーツでも結構上位に食い込んでいる中のひとつである。剣道も、出雲第一が圧倒的な強さを見せているが、少し前までは熊本もかなり上位を占めていた。
「去年の準優勝校だとさ。どこまで通用するかってとこだな」
 ご苦労様なことに、今日もまた来ていた今井が、フロアで軽く身体を慣らしている如月高校のメンバーに目を向けながら言った。
「大体、前回の相手もそうだったけど、みんなでかいよな。あれ、平均で190くらいあるんじゃないか?フロアが狭く見えるぜ」
「・・・・・・そうですね。ここまで来ると、結構集められた選手を抱えてる学校が多いみたいですから」
 冷静に答える慈恩に、今井が視線を戻す。その視線がふとその後ろに逸れる。同時に背後の気配を感じて、慈恩は振り返った。視線が合った途端に、軽く会釈する二人と、その後ろに付き従う男が一人。
「先日はどうも」
 顔を上げて品のよい笑みを浮かべたのは男性の方で、隣の女性は瞳をきらきらさせながら満面の笑みを浮かべた。
「あ・・・・・・」
 思わず今井の反応をうかがうと、こちらはちょっと小首をかしげるようにして同じように慈恩をうかがっていた。
「知り合いか?」
「・・・・・・あ、はい。あの・・・・・・ちょっと失礼します」
 そっとフロアに視線をやる。斗音はこちらには気づいていないようだ。
「すみません、こちらへ・・・・・・」
 軽く促して、フロアからは死角になるところまで速やかに移動する。斗音には絶対に見せたくなかった。もし彼らを目にすれば、間違いなく動揺する。それは九条夫妻も理解したのか、すぐに慈恩に従って移動した。後ろで控えていた三神は、もともとフロアからは死角の位置だったせいか、ほとんど身体を動かさなかった。
 今井からも死角になるくらいの位置まで来てから、ようやく慈恩は足を止めて振り返った。
「あの、ごめんなさいね。急に押しかけてしまって。本当は連絡をと思ったんですけれど・・・・・・」
 絢音が申し訳なさそうにうつむく。
「わたくしたち、昨日インターネットでインターハイの様子を見ていたんですの。あなたの剣道での活躍を見たかったんですけど、二日とも雅成さんのお仕事の都合がどうしてもつかなくて、せめて結果だけでもと思って・・・・・・そうしたら、バスケットボールでまだ如月高校が残っていると分かって、いてもたってもいられなくなって・・・・・・」
 雅成も苦笑いと申し訳なさを微妙に入り混じらせた表情でいる。絢音に拝み倒されて、断り切れなかったのだろう。
「本当に断りもなく来たこと、申し訳なく思ってるよ。私たちのことであの子が傷ついたことも十分分かってるつもりだし、あの子の気持ちを乱すような真似をするつもりもない。ただ・・・・・・私たちの中では、斗音くんも大事な養い子の一人にしていくつもりだから、あの子のことをよく知っておきたいっていうのもあったんだ。君が大切にしてきた、かけがえのないお兄さんだからね」
 慈恩は何度か瞬きをしてから、苦笑した。一途な絢音はともかく、雅成の言葉には、彼の真摯な受け止め方だとか思いだとかが溢れていて、責める気などは失せてしまう。斗音のことを本当に自分の子のように言うのが、むしろ嬉しかった。
「あの子に見えないところから、こっそり見せてもらうよ。絶対に迷惑は掛けないから」
「貴方に挨拶だけはしておきたかったんですの。・・・・・・お会いできて嬉しかったですわ。それじゃ、わたくしたちはもっとあちらの方で見せていただきますわ。貴方はあの生徒会長さんとご観覧になるのでしょう?」
 どうやら写真で見覚えがあったらしい。慈恩がうなずくと、二人は笑みでうなずき返し、慈恩の背後に控える形になっていた三神を視線で促した。
「あの」
 思わず呼び止めてしまってから、それに応えた二人の視線を浴びて戸惑う。まだしっかり自分の言いたいことがまとまっていなかったのだが、少し口ごもってから、凛と整った表情で二人を見た。
「・・・・・・斗音のこと・・・・・・大事に思ってくださって、ありがとうございます」
 雅成は瞬きをする一瞬だけ慈恩を見つめたが、照れたように微笑んだ。自分のことを言っていると分かったのだろう。絢音も満面の笑みで応えた。こちらは慈恩が嬉しいと感じてくれたということが嬉しかったに違いない。そんなふうに、自分の感情ひとつで一喜一憂するこの夫妻が、どれだけ自分を必要としているかを改めて実感する。
「三神」
「はい」
 名前を呼ばれただけで自分が何をすべきかを理解している運転手兼護衛役の男が、慈恩の脇を通りすがりざま、軽く会釈をする。そのまま九条夫妻に付き従って歩み去っていくのを何気なく見ながら、ふと違和感を感じる。付き従いながら、その目が追っているのはあくまでフロアで練習している高校生たち。
(始まるのを気にしてるのか?)

 思わずつられるようにフロアに目をやった慈恩の網膜が、斗音の綺麗なシュートを捉えた。スパッと音がしそうなほどのシュートに、周りから思わず拍手がこぼれる。何だか誇らしくなりつつも、ふと視線を上げると、フロアに目をやっていた運転手兼護衛役が唇に笑みを載せているのが見えた。妙に楽しそうなのをこらえているようなその表情に、慈恩は再びよく分からない違和感を覚えた。そこに、練習終了の合図が鳴る。たった今感じた違和感を頭の片隅に追いやって、慈恩は今井が待っている如月の応援陣の一番後ろへ踵を返した。

   ***

 東海学園付属高校、昨年度のインターハイ準優勝校。当時のスタメンは五人中三人が二年、一人が一年、キャプテン一人が三年生という異色メンバーだった。それで準優勝である。更に腕を磨いてきたそのスタメンの彼らは、今年もほとんどがスタメンであった。
「今年はスタメン、三人が三年生、二人二年生だそうだ。三年生の三人は去年スタメンに出てた二年生のままだから、滅茶苦茶強いだろうな」
 開き直っているのか、笑みさえ浮かべている徳本である。木下が資料を捲りながら淡々と伝える。
「そうだな、強いて言えば・・・・・・身長を10㎝プラスした東雲が三年生になって三人いる感じかな。二年生の二人が今の東雲くらい」
「何で俺が基準なんスか」
「お前は俺たちの中じゃ別格だろ?その別格が五人いるってこった」
「あー。それ説得力あるな」
 徳本の言葉にみんなして頷き合う。嵐だけ肩をすくめた。
「俺みたいのが五人もいたんじゃ、まとまるもんもまとまらねぇよ」
「あぁ、それも滅茶苦茶説得力あるな」
 どっと笑う。最初から実力の差は分かっている。ならば気負いなど感じる必要はない。自分たちの全力がどこまで通用するかだ。通用するなら、きっとどこかに勝つための可能性が見つけられる。今までやってきたことをとことんぶつけてやろう。全員がそんな気持ちだった。
 控え室でのそんな会話は、慈恩も今井も知らない。だが、フロアで軽く身体をほぐしながら監督の指示を聞いている選手たちの顔に、プレッシャーというものは感じられなかった。
「さて、どんな試合になるかな」
「相当強いらしいですけど・・・・・・」
「斗音が活躍できるといいな」
 さらりと出てきた今井のセリフに、慈恩は心を見透かされたような気がして、思わず顔を上げた。今井が自分を見ていると思ったのだ。しかしそんなことはなく、今井はただ自分が応援するメンバーたちを見つめているばかりだった。
「・・・・・・はい」
 短く答えて、慈恩も今井の目線を追った。その先で、まさに今、試合が始まろうとしていた。審判がコートの中心でまっすぐにボールを投げ上げる。翔一郎より背の高い選手が、翔一郎の伸びきった指の更に上で、手首を翻した。弾かれたボールが如月のブルーのユニフォーム陣を軽々と越えて、山吹と赤の情熱的なユニフォームの選手に渡った。渡る寸前から、その選手は床を蹴っていた。ジャンプボールの行方を予測していた嵐が食いついたが、その瞬間の差で追いつけず、ひらりとかわされる。
「な・・・・・・」
 かわされたと分かっても尚、持ち前のダッシュで詰め寄った嵐の目の前には、既にボールを持たないで薄く笑う選手がいた。反射的に振り返って目にしたゴールには、ノーマークで放り込まれたレイアップシュートが滑り込むところだった。
「・・・・・・は・・・やい・・・・・・!」
 今井が思わず言葉をこぼす。慈恩も息を飲んだ。あの翔一郎がジャンプで届かなかった。あの嵐が追いつけなかった。上から見ているからまだ動きが見えたが、コートの中でプレイしている彼らには、もっと電光石火の出来事だったに違いない。
「俺にだって分かる。今までとはレベルが違うぜ、ここは」
 生徒会長の言葉が聞こえているはずもないが、コート上の如月のプレイヤーは、全く同じことを痛感していた。
「おい、あの綺麗な髪の毛の奴、上手か。俺がパスするの遅れとったら、ヤバかった」
「ヒガシクモ?あれ?」
「お前、読めとらんたい。あれはシノノメゆうけん。古文で習ったけえ。覚えとけ」
「ジャンプボールに出てきたハネズミも運動能力高いけん、要注意たい」
 たったワンプレイでも、戻るまでの間にそんな会話を交わす敵陣である。名字の読み方は散々だが、格下の相手に手を抜く気は全くないらしい。
「おい、ハネズミ」

 嵐が鋭い視線を翔一郎に送る。
「なんだよ、シノノメ」
 ふざけるつもりは全くない翔一郎が返す。
「俺たち二人で突っ込んで引きつける。あいつらには通用しないかもしれねぇけど、斗音にやらせよう。本番前にシュートフォーム見せちまってるから、シューターってことはばれてると思うけど、たぶん」
「少なくとも一回はいけるかな」
 ゾーンから少し離れて攻撃に備え、腰を落とす。
「・・・・・・昨日、なんか壊れちまいそうだった。自信つけさせてやりたい。いいよな、ハネズミ」
「りょーかい、シノノメ」
 言ってから、翔一郎はぼやいた。
「なんか、ネズミっぽくて気にくわないなぁ、その名前」
 などとのんきなことを言っても、思い通りにはなかなかいかせてもらえなかった。嵐と翔一郎はガンガン攻めていったが、それを止めるのは嵐級が二人とスーパー嵐級が三人である。一人相手でも難しいのに、絶対に手を抜かない東海学園付属高校は必ず二人三人で止めに来るのだ。かといって、他がフリーになるわけではない。その二人三人が食い止めるために、絶対にパスの出せない位置には誰も行かず、少しでもパスの可能性のある位置にいれば誰かがつくという方法だった。しかも、そのディフェンスの位置が絶妙で、パスの出せる位置が極端に狭くなる。後ろに目でもついていない限り、パスを出すのは困難な状況に追い込まれていた。
「・・・・・・攻めあぐねてるな。あの東雲が」
「隙を見せれば速攻で攻められるし、こっちの主力が通用しない。パスも出せない」
 電光掲示板には28対16という数字。如月側は既に12点離されている。ここで第1クォーター終了の合図が響き渡った。それぞれのチームが控え席に帰っていく。どっしりと構えた木下が、にこりと笑った。
「さて、とりあえずファーストインプレッションはシノノメとハネズミでしっかり押さえてきたな。次は」
 徳本、嵐、門真、翔一郎、斗音の順でゆっくり視線を合わせる。
「本物のお前らで行くぞ。徳本と門真で切り崩せ。東雲と羽澄で両サイドから攻める。敢えて第1クォーターはほとんど動かなかった椎名は常に徳本か門真にくっついて影になれ。ちょっと激しい動きになるけど、できるだけやってくれ。目立つ奴等から上手くボールを受けてフェイク掛けて自分からいけ」
「はい!」
 第2クォーター開始の合図が鳴り響く。やはりジャンプボールは、相手が一枚上手だった。ち、と翔一郎が舌打ちする。今年度の公式試合では、まだほとんど負けたことがなかったのだから、仕方がない。ダッシュでゾーンに戻ろうとする。その目に映ったのは、なんと、斗音のスティールだった。観客がどよっとざわめく。
「行け、二年コンビ!」
 徳本が怒鳴って、同時に中央を突破せんと走り出す。門真は敢えて斗音の前につき、ボールを取りに来る情熱的ユニフォームから斗音のボールの位置を分かりづらくする。たちまち囲まれるが、門真を盾に斗音が後ろから擦り抜けた。
 実は斗音も取れるとは思っていなかったので、かなり驚いた。相手チームの身長はかなり高くて、コートの中で斗音は実は一番小さかった。おまけに第1クォーターでかなり地味だったので、見事なファーストインプレッション効果、誰も気に留めていなかったのである。たまたま叩き落されたボールを受け取ったプレイヤーの、すぐ斜め後ろにいて、速攻で攻めに行こうとした瞬間、まるでスローモーションのようにボールの下ががら空きになっているのが見えたのだ。反射的にそこに手を伸ばして弾いたら、いとも簡単にボールが跳ね上がり、目を見開いた山吹と赤の似合う選手が、スタートしかけた身体を戻すまでの一瞬に、これまた身に染み付いた動作でボールを捕まえた。その選手の後ろを、身体を低くしてするりと擦り抜けたとき、徳本の声が嵐に飛んでいた。
 作戦通り、徳本が中央を切り崩して、信じがたい速さで戻ってきた相手チームのゾーン内に入り込む。そしてそのサイドを翔一郎と嵐が陣取った。その三人にすかさずマークがつき、バックパスの可能性を考えて、門真にもマークがつく。そして長身のくせに全身バネですばしっこい敵のシューティングガードが斗音の前に滑り込む。斗音がドリブルしたままきゅっとブレーキをかけ、ガードが邪魔にならない位置にいる嵐に視線を投げた。それを敵は見逃さなかった。すかさずその視線を遮るように、キュッと床を鳴らしてパスコースを遮った。その瞬間、ガードが歯を食いしばる。しまった、といったその表情の前で、斗音はくるりと背でかわしてガードを抜き去った。そして、今度こそ嵐にバウンドパスをせんと、ボールを片手に乗せる。しかし、そこはさすがの優勝候補校のガードである。必死の形相でそのパスコースを両手で再度塞いだ。同時に、その未完成のディフェンスをカバーしようと、ゾーン内の緊張が高まる。
「かかった・・・!」
 思わず慈恩が両手を握り締める。彼を含め、会場全体が見守る中、斗音は慈恩と如月バスケットボール部員以外の全てを裏切った。スッとシュートフォームを整え、全く無駄のない動きでそのまま高くシュートを放ったのだ。
「なに・・・・・・!」
 審判の指が三本掲げられる。ボールがネットをくぐった瞬間、その指が振り下ろされた。鋭い笛の音が響く。
「スリーポイントっ!」
 会場がわあっと歓声を上げた。嵐が斗音の後ろからぐいっと首を抱え込む。
「いきなり最大の武器出しやがって!お前最高!」
 わしゃわしゃとさらさらのアッシュの髪をかき乱す。
「うゎ、嵐っ!」
 それに翔一郎が加わる。
「見事に出し抜いたな!痛快だったぜぇ!」
 門真が華奢な背中を軽くはたく。
「よし、もう出し惜しみするなよ。このクォーターでできるだけ点を取ってやれ!」
 そして、ゾーンディフェンスにつく直前、徳本がポン、と頭を小突いた。
「これからが勝負だ。もうファーストインプレッションは通用しないぞ。俺たちがお前をフォローする。シュートに行け!」
 斗音が珍しく力強い笑みを浮かべた。
「はい!」
 嬉しそうな斗音は、遠目にもよく分かった。複雑な思いのまま、慈恩は心の底から湧きあがってくる喜びを押さえるのに必死だった。そして、唐突に理解する。斗音が嬉しいことが自分の喜びだった。今までも、今も、そしてきっとこれからも。
(・・・・・・頑張れ、斗音)
 この笑顔を守りたいと思った。無理に環境を変えることなく、このままの状況に斗音を置いておくことで。それがきっと、ベストだ。斗音にとっても、自分にとっても。
 そんな思いを決意に変えつつあった慈恩と同じ会場内で、慈恩と同じように心の底から湧きあがってくる高揚感に身を震わせた人間がいた。
(・・・・・・周りからあんなに愛されて・・・・・・それを俺が独占できたら・・・・・・俺以外見えないようにしてやろう・・・・・・ああ、早く手に入れたい。俺しか見えなくなったら・・・・・・存分に愛してやるから)
 歪んだ思考というフィルターを通して、まるで獲物を眺めるようにじっと見つめ、舌なめずりをこらえる。ここまで培ってきた九条家の信頼を、一ミリグラムたりとも削るわけにはいかなかった。彼を手に入れるためには。声を上げないようにはしゃぐ主人とその夫を前にして、三神はごくりと唾を飲み込むに止まった。

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