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十九.出そろうベスト8

 ベスト8をかけた四回戦を先に迎えたのは、慈恩の方だった。相手は予想通り出雲第一で団体戦の先鋒を務めていた林である。
「如月の椎名かい。強敵じょ」
 出雲第一の応援席では、部長であり大将であり、今年の優勝候補でもある飛馬が腕を組んで林に声をかけていた。飛馬は身体的にほぼ近藤と互角のサイズで、自他共に厳しいストイックな男である。
「椎名・・・・・・ええなぁ、俺椎名とやりたかったのに」
 またしてもうっかりぼやいてしまった隼が、飛馬に小突かれる。
「アホ。まあちと周り見てもの言わんかい。毎度毎度みんなの反感買いおって」
「あ、あかん、またやってしもた・・・・・・かんにんですわ」
 申し訳なさそうな隼に、仕方なさそうに吐息する。
「俺に謝ってどげすー。ほんねお前は・・・・・・腕立つくせにおかしげなやっちゃ」
 飛馬は笑ったりしない。いつも厳しい顔をしている。おかげで出雲第一高校剣道部、今年は全体的な雰囲気がぴりぴりしていた。でも隼から見て、飛馬は自分を理解してくれる数少ない一人である。
「もし万が一林が負けたりしたー、またなんぞ言われるぢ。気ぃつけい」
「あはは、ほんまですわ。でも」
 隼の目が鋭くなる。
「林さんに万が一つかわはるんやったら、勝つ場合やと思います」
 言った途端、また小突かれた。
「だけん、お前はストレートにもの言い過ぎじょ言うとーだら。アホ」
 そして、飛馬は独り言のようにつぶやいた。
「林は負けらが、俺が敵取って椎名やらかしたるわ」

 隼は切れ長の目と眉を、少し寄せた。

 出雲第一高校の林と慈恩の勝負は三分と十数秒で終わった。結果は2-0だった。この強豪校の先鋒相手に一本も取らせなかったことで、嵐がふと気づいた。
「慈恩って、インハイ来てから一本も取られてねえんじゃねえか?」
 戻ってきて小手と面を外した慈恩が、それを聞いて微笑した。
「そうだな」
「それって・・・・・・すごくない?」
 瞬が嬉しさを隠しきれないような表情になる。翔一郎も満面の笑みでうなずいた。
「慈恩ならこんなもんだよ。去年もほとんど取られなかった」
 言ったのは田近である。淡々と真顔で、出来過ぎ集団を見る。
「特別なんだ。ほんとに、慈恩は・・・・・・格が違うんだよ」
 それを聞く慈恩の表情に、斗音は寂しげな翳を見つけた。
「・・・・・・かぁっこいいっ!俺、慈恩と友達で嬉しい!」
 感激にうち震えた声を上げたのは、瞬だった。大きな目がきらきらしている。
「俺はバスケも大して上手くないし、ベンキョーも大してできやしないし、何にも特別なんてないけどさ、俺には慈恩っていう友達がいるってことが自慢だよ」
 いや、お前は異常に可愛いだろう、という周りの心の中のツッコミを知ってか知らずか、面食らったような顔をしている慈恩に、防具の上から抱きつく。
「剣道がなくったって慈恩は大好きだけど、剣道入れたらもっともっとかっこいい!」
 漆黒の瞳がストロボのシャッターのごとく瞬きの連打で見え隠れして、そのあとちょっと困ったように微笑んだ時には、それが潤んでいたのを、斗音は見た。そして、微かに胸の奥に宿る、羨む気持ち。瞬のように無邪気にその感情を表現する術を、今の斗音は持たない。同じ思いを、いやそれ以上の想いを胸に抱えたまま、全身がわけの分からない巨大な不安に襲われる。ぐらり、と目の前の映像がかしいだ。
「おわっ?」
 その身体を支えたのは翔一郎だった。力の入らない華奢な身体を前と後ろから抱き止めるようにして、そっと床に座らせる。
「どした?」
 心配そうな声が耳じゃないところから聞こえる気がする。世界の重力がおかしくなったんじゃないかと思う。
「斗音・・・・・・大丈夫か」
 藍染の匂いと低い優しい声。胸にじわりと湧き上がる熱が、目頭を濡らす。
(泣かない・・・・・・今心配かけるわけにはいかないんだ)
 天地が逆転したような感覚の中で、斗音はくらくらする感覚を必死に元に戻そうと、自分を支えてくれる腕にしがみつく。
「・・・・・・だいじょ・・・・・・ぶ・・・。ちょっと・・・・・・眩暈・・・・・・」
 しっかりしない視覚を遮るようにぎゅっと目を閉じて、そっと翔一郎だけに聞こえるように囁いた。
「・・・・・・気持ち悪い・・・・・・」
 うん、と小さな返事が聞こえて、ふわりと身体が持ち上がった。
「ちょっと人気(ひとけ)にあたったかも。外連れてくよ。みんなはここにいて。もうすぐ近藤さんの試合だし」
「でも・・・・・・」
「慈恩は見てなきゃ駄目だろ。斗音は心配させたくないってさ」
「そうだな。ここは翔一郎に任せとけよ」
「それに、斗音もあんまり人にいて欲しくないと思う」
「すぐ戻るよ。近藤さんと隼の試合、始まりそうになったら携帯にかけて」
 自分の頭上で展開される会話を、ぐるぐるする感覚の中で精一杯拾いながら、ただひとつ確かな翔一郎の身体につかまった。
 喧騒の中をくぐり抜けてしばらくして、やわらかなところに身体を横たえられた。ゆっくり瞼を持ち上げると、景色の揺れはほとんどおさまっていた。
「気分どう?吐き気とか、するのか?」
 力なく首を振って、ぼんやりと翔一郎の心配そうな顔を見つめる。
「・・・・・・ありがと。だいぶ、いい」
「そっか。ちょっと今日蒸し暑いし、あの中、つらかったかもな」
 言いながら、手際よく制服のシャツのボタンを二つほど外す。
「ほとんど朝飯も食ってなかったし、調子悪いのか?」
「・・・・・・・・・・・・よく、分からない」
「・・・・・・今日は剣道だけど、明日は俺たちだからな。無理するなよ」
「・・・・・・・・・・・・うん」
 気を遣ってなのか、翔一郎はハンカチを取り出してパタパタあおいでくれる。わずかに空気が動いて、心地いい微風が頬を撫でた。
「だいぶ顔色、戻ったかな?最初倒れた時、えらく青ざめてて、びっくりした」
「・・・・・・心配、させたかな」
 翔一郎が爽やか系の顔に、爽やか系のやや曇った笑顔を浮かべた。
「そりゃ、心配するなって方が無理だろ。みんなお前のこと好きだし、大事に思ってるからさ」
 言って、優しく髪を撫でる。
「でも、お前の気持ちも、みんなは分かってくれてると思うよ。心配かけたくなくて、あの場から連れ出して欲しかったんだろ?」
 自分が情けない反面、周りが自分を思ってくれる気持ちが尚更嬉しい。手の甲を眉間に当てるようにして、涙が湧き上がった目を隠した。
(俺にはこうやって心配してくれる仲間がいてくれる・・・・・・例え慈恩が、いなくなっても)
「斗音・・・・・・」

 ひらひらさせていたハンカチを、翔一郎がさりげなく手の平に握らせて、よしよし、とまた頭を撫でた。

「あ、翔一郎?斗音、どうだ?そっか。今コールされた。始まるぞ。来れそうか?ん、分かった」
 カチリとブラックメタリックの携帯を折りたたんで、嵐が隣の慈恩に灰色がかった瞳を向けた。
「来るって。だいぶ落ち着いたみたいだな」
「・・・・・・そうか」
「よかった」
 瞬もにっこりする。慈恩はずっとわだかまっていた不安を、ようやく軽減することができた。面を装着した近藤が、試合場に向かうところで慈恩に向き直った。
「さてと、一本に抑えて四分戦ってみるか。できたらお前、佐賀南高校の東に勝つ約束をしてもらうからな」
 恐らく高校最後となる近藤の公式試合だろう。慈恩はいつも通り静かに微笑した。
「・・・・・・分かりました。近藤さんの勇姿、期待してます」
「お前に情けねえ試合だけは見せねえよ」
 近藤は目を閉じて天井を仰いだ。それがいつもの、近藤の精神統一方法だった。
 隼と近藤が向かい合い、構えたところで、翔一郎に少し寄りかかるようにして支えられながら、斗音が会場に入ってきた。
「こっちだよ、早く!」
 気づいた瞬が手招きする。
「始め!」
「ぃやああああああっ!」
「やぁああああああ!」
 掛け声の気合で会場全体がびりりっと引き締まった。嵐ですら、思わず息を飲むほどの緊張感だ。おいそれと手出しのできないような緊迫した空気の中で、互いに睨み合う。
 すっと動いたのは、赤の隼の方だった。素早いくせにすべるような滑らかな動き。慎重に構えた近藤の中段の構えに対して、隼は下段の構えである。
(下段なのに、仕掛けるのか?)
 慈恩が凛とした眉目を寄せる。その視線の先で、隼は竹刀の動きもしなやかに、いつでも攻撃にも出られそうな様子なのである。
(探ってるのか・・・・・・それにしても柔軟な動きだ。近藤さんとは正反対だ)
 ゆらりと隼の竹刀が揺れた。そう思った瞬間、隼が間合いを詰めていた。既に竹刀は近藤の面を急襲している。その隙間に近藤がかろうじて竹刀をはさむ。
「は・・・・・・はや・・・・・・」
 斗音がそれだけ言って、言葉を失った。慈恩は詰めていた息をそっと吐き出した。
(いつもながら、竹刀の出所が分からない。あの揺れるような竹刀の動きから、信じられない速さでの切り替え。ますます鋭く俊敏になってる。並の動体視力じゃ、ついていけない)
「翔一郎、今の見えたか?」
「かろうじて。でも俺だったら反応できなかったと思う」
「あんなの、剣道の動きを知り尽くしてる奴でなきゃ、止められねえだろ」
「え、えぇっ?!嵐も翔一郎も、今の見えたの?うそぉ」
 さすが二年生にしてインターハイのスタメンを勝ち取った二人だ。動体視力も並ではないらしい。
「斗音も見えてた?」
 すがるような瞬の目に、斗音は苦笑した。
「ほとんど見えなかった」
「よかった、仲間がいて。どうせ慈恩も見えてるんだ」
「え・・・・・・」
 いきなり振られて、慈恩は思わず言葉に詰まる。
「当ったり前だろ。慈恩を誰だと思ってんだよ。慈恩だぞ」
「田近、それこそ当たり前」
 たった一つの攻防でこんなに盛り上がってしまうのは、瞬がいるからだろう。斗音は苦笑した。
 そのやや緊張感に欠ける会話の間も、力で勝る近藤がつばぜり合いで隼を押し戻し、審判の声が掛かる寸前に撥ね退けた。
(引き技が来る!)
 撥ね退けられたように見えた隼が、左後方に大きく引いた足に素早く右足を引き寄せ、跳ね上げられていたその竹刀で、素早く柔らかく、右小手を狙う。予測していたのか、近藤が大きく一歩退いて、隼の竹刀は空を打った。そのまま竹刀を流すことなく、中段よりやや下に構え直す。近藤も中段に構えを整えた。
「嘘だろ」
 楠が驚きの表情のままつぶやく。慈恩がきりりと整った唇を噛む。
(近藤さんが退いた)
 超攻撃型の近藤は、とにかくどんな攻撃も跳ね飛ばして打って出るタイプだ。いかに慎重に戦っているかがよく分かる。自分の持つ全ての技術を、今この時間に注ぎ込もうとしているのだ。
「取られないようにしてるな」
「ああ」
 橋本と若園の会話を聞いて、慈恩は身が引き締まる思いに駆られた。自分が言った言葉を、近藤は実行しようとしている。最後になる可能性の高いその試合で。改めて、己の影響力を思い知る。
(近藤さん・・・・・・)
 ゆっくりと相手の動きを互いにうかがい合う中、今度は近藤が先に動いた。力強く右足から踏み込み、隼のやや下段の竹刀を、斜め左下に払い落とす。
「いけっ!」
 楠が思わず拳を握り締めるより早く、強引なまでの面に行く。それに対して、隼は左足を斜め右前に出し、その竹刀をすりあげるように応じた。
(返し!)
 だが近藤はすり上げられそうになる竹刀を、力ずくで止めた。ぎし、という音が客席にまで聞こえるほどのパワーだ。再びせり合いになる。
「いろいろ技が出てるみたいだけど、どっちもなかなか決めさせないな」
 嵐の言葉に、慈恩が浅くうなずく。
「隼の素早い技を、近藤さんは強引に抑えてる。だけど、そのパワーですら、隼には上手に利用されてるし、殺されてる」
「そういえば、隼は吹っ飛ばないね。近藤さんの攻撃でも。どうして?」
「近藤さんのパワーが全開で自分にたたきつけられる前に、隼が技を出してる。だから、近藤さんは止めるしかない」
「返し技とか、できないの?」
 瞬の二つ目の質問には、田近が答えた。
「そんな余裕、ないって。あの神技を止めるだけでもすごいことなんだぜ」
 俺なら今の時点で二本目決められて負けてるよ、とぼやく。瞬は目を瞠った。
「マジ?近藤さんって、すごい人だね」
「もちろんだよ。でもそれ以上に、あの隼がすごいよ。先生の言葉じゃないけど、マジあいつ、化け物だ」

(隼・・・・・・)
 優勝して勇気を分けてやるから、自分を見ていろ、と、そう自信に満ちた笑顔をくれた。斗音は拳を握り締める。心中は複雑だ。当然近藤を応援しているのだが、隼の言葉が実現することを望んでいる自分がいた。
 近藤が技を出せば、隼が返そうとし、それを近藤が止める。隼から技を出せば、近藤が食い止める。その攻防がずいぶん続いた。しかし、如何せん、その繰り返しで明らかに攻められる回数が多いのは、近藤である。三分と五秒が経過した時、またしてもつばぜり合いになったところで、近藤が送り足で斜め後方に退き、面を狙った。隼はそれに対して、左足から斜め後方へ退き、近藤の右肘が伸びたところで、中段に構えていた竹刀を信じられない鋭さで操って、瞬間的に近藤の小手を弾いていた。
「小手ええぇえっ!」
 素早く赤旗が一本を告げる。
「小手あり!」
 如月の応援側から、悲鳴に近いざわめきが起きた。選手が男子しかいないせいか、応援に来ているのが男子九十パーセントなので、女の子の悲鳴はほんのわずかである。残りの十パーセントもほとんどが慈恩目当てだったりするのだから、いたしかたのないところだろう。しかし、そこで応援している生徒はみな真剣そのものだった。
「取られたか・・・・・・」
「あの速さは反則だろ。俺でも打ち終わって弾いた竹刀が分かっただけだ」
「うわー、もうあと一分ないよ、厳しいよ」
 出来過ぎ集団も、みんなしてその女の子にもてはやされる顔を歪めた。三年生の剣道部員が、悔しいのと驚きとを交えて囁き合う。
「くそ、やられた」
「なんて速さだよ。近藤のひき面、けっこういい感じで出たのに」
「隼が竹刀を動かして、小手を打ち終わるまでが一瞬の出来事だったな。全然見えなかった」
「こうなったら、近藤はもう、攻撃に出るしか・・・・・・」
「二本目!」
 審判の鋭い声とともに、二人がまた気合の声を掛ける。しかし、そのあとどちらも仕掛けない。様子をうかがって、竹刀を牽制しあっている。
「馬鹿な。時間がないのに、どうして攻めないんだ?」
 楠がぎりぎりと歯噛みをする。近藤らしい攻撃的な試合をしないのが、よほど悔しいのだろう。パワーの楠は近藤をかなり尊敬している。
「・・・・・・うーん、攻めたいのはもちろんだろうけど、おいそれと攻められないんだよ。近藤の攻撃はパワフルだけど、その分隙も多い」
 橋本の応えに、それでも楠は納得いかない。
「それを跳ね飛ばすのが近藤じゃねえか。いくら強いったって、隼もパワーでは劣ってる。押しのけられない敵じゃねえよ」
「・・・・・・近藤さんがパワーを活かし切れない戦い方を、隼は心得てるんだ」
「・・・・・・くそっ」
 壁に拳をたたきつける楠から、橋本は目線を逸らした。
「だけど、諦めてなんかないと思うよ、あいつは」
 彼らの目の前で、主将は慎重に隼の動きを牽制しながら、出方をうかがっている。隼も、全く隙のない動きで、近藤の動きに一つ一つ流れるように合わせている。
「あと・・・・・・三十秒」
 瞬が息を飲む。それでも互いに打ち込まない。
「決まる時は、本当に一瞬で決まる。最後の一秒で決まることもある」
 慈恩の言葉には、そうあって欲しいという祈りが込められていた。ものの十秒が一分にも二分にも感じられる。ゆらり、と動いたのは隼の竹刀だった。その竹刀が瞬間に速度を変えたと思った時、またしても面の直前で近藤のそれと打ち合わされる。そして、近藤は強引に、ねじ伏せるように隼の竹刀をなぎ払い、そのまま身体ごと力任せに、あいた胴へ打ち込みに行った。
「いけぇっ!」
 隼の左足が斜め左前に出て、右足がその左足の右後ろに引き寄せられる。すらりとした長身を左前に開きながら、瞬時に左手を顔の高さまで上げ、竹刀の先を素早く胴を打たんとしていた近藤の竹刀の間にすべりこませて、その左側で応じるや否や、返して近藤の正面を狙った。
(受け流し・・・!)
「うおおおおおおっ!」
 近藤の雄叫びが上がった。軽く右後ろに退き、竹刀を頭上に振りかぶる。
「「めぇええええええんっ!」」
 ほぼ同時に二人の声が上がった。面抜き面を狙った近藤と、それを予測して敢えてワンテンポ遅らせて面を打ち込んだ隼の技は、ほぼ同時だった。ぱしぃんっ!と鋭く厳しい音が会場に響いた。上がった旗は・・・赤。
「面あり、一本!」
 会場中が、おおおおっとざわめいた。慈恩が唇を噛んで、斜め下に視線を落とした。
「それまで!」
 残り時間を示すタイマーの表示は、ゼロが三つ。きっかり四分。結果は、2-0。
「・・・・・・惜・・・しかったな・・・・・・」
「どっちが決まってもおかしくなかったよね、今の・・・・・・」
 翔一郎と瞬が、独り言のようにつぶやく。嵐は小さく吐息した。慈恩は静かに目を伏せた。
(受け流し面を抜かれると読んで、上体をかわしながら一瞬打ち込みを遅らせた・・・・・・すごい攻防だったけど、隼が一枚上手だった)
 斗音はどくどく脈を送り出す心臓をつかむように、制服のシャツをぎゅっとつかんだ。
(・・・すごい・・・・・・)
 見るだけで、剣道の本質が分かるわけではないが、それでも最後の攻防がどれだけ激しく、集中力や鋭さ、読みが要求されたかは、斗音にもよく分かった。そして、それでも実力者の近藤をねじ伏せた隼。
 最後の礼まで堂々とこなして帰ってきた近藤を、如月高校剣道部全員が取り囲んだ。
「惜しかったなぁ!」
「すげえ試合でした!お疲れさまっす!」
 面を外して、ひどく汗をかいていた近藤は、大きく息を吐き出した。
「やっぱ相手にならねえ。あいつ、強すぎる」
 そして、やや外巻きにいる慈恩を、苦笑しながらも輝きを失わない目で捉えた。
「一本に抑えられなかったな」
 慈恩はそっと首を振った。手ぬぐいを取りながら近づいてくる近藤を、微笑で迎える。
「俺は一言も、一本に抑えろとは言ってませんよ」
「何言ってんだ。それくらいの力はあるって・・・・・・」
「そうですね。四分戦い抜く力はある、とは言いました」
 高校での最後の公式戦を終えた男は、一瞬言葉に詰まる。慈恩は苦笑した。
「時間、見てなかったんですか?最後の一本を取られた瞬間に、残り時間がなくなった」
 近藤はニ、三度瞬きをする。そして、気が抜けたように笑った。
「あんな、一瞬も気の抜けない試合で、時間なんか見てる余裕があると思うか」
「そうですね、ないかもしれません。でも、約束は約束です」
 慈恩はあちこちで繰り広げられているレベルの高い戦いに、凛とした目を向けた。
「次の試合、勝ってきます」

 静かな決意のこもった声に、近藤はにやりと笑った。

 如月の関係者が全員近藤に気を向けていた時、斗音は一人だけ、隼が試合場から退場していくのを見ていた。全員に囲まれた近藤に比べて、隼を待つ人間は、誰もいない。勝って当たり前だというのか。だから気にする人間もいないのだろうか。それとも、出雲第一はたくさんの出場者がいるから、みんな他の試合に出払っているのだろうか。どんな理由があるにしろ、あの激戦を見事勝ち抜いた功労者を、誰一人称えもしないその様子にひどく寂しさを感じて、如月の集団から抜け、斗音は思わずそのあとを追った。反対側の出雲第一が陣取る応援席へ戻るため、慣れた手つきで面を外し、一度外側の廊下に抜けた隼に、ようやく追いつく。
「隼っ!」
 その声に振り返った隼が、驚いたように追いかけてきた相手を見る。
「なん・・・・・・斗音?なんや、どないしてん?」
 慌てて頭の手ぬぐいを取る。やや汗に湿った短めの髪が、更にボリュームを少なく見せている。そう言われて改めて斗音は、どうして自分がここにいるのかを考える羽目になった。
「どうってことはないけど・・・・・・今の試合、見てたから・・・・・・」
 隼がにこっと笑った。大人びたシャープな顔が優しくなる。
「相手が近藤さんやったから、如月みんな見てくれはったんやな。近藤さんの応援で」
「そ、れは・・・・・・」
 もちろん、と言おうとして、果たしてどうだったかと己の心を振り返る。しかし、嬉しそうに笑う隼は、特に答えを求めたわけでもなさそうだった。
「こんでようやっとベスト8や。あと三回勝ったら優勝や。見とってくれたら、俺も気合入るし、絶対お前にも元気分けたるさかい、見とってや」
 小手をつけたままの手で、くしゃくしゃと斗音のアッシュの髪を乱す。まるで子猫のように首をすくめて片目を細めた斗音に、隼はますます優しい顔になる。
「ほんま可愛ええな、お前は。髪の毛やらかいし。そんな顔されたら俺、ぎゅうってしたなるやん」
「な、何言ってんだよ」
 昨夜のことを思い出して、思わず頬に朱を走らせる斗音を、笑顔のままのぞき込むようにする。
「おおきに。だあれも来いへんと思てたし、嬉しかったで」
 ほな、と行こうとする隼に、斗音は思わず言った。
「俺、お前に勝って欲しいと思って見てた」
 驚いたように、すっきりした眼を大きく見開く隼に、斗音は痛ましさを抱えながら微笑んだ。
「お前、言ったことは絶対本当にするから。元気、分けてくれるって言ったから、勝ってくれると思ってたし、勝って欲しかった。・・・・・・隼から見て、近藤さんは強かった?」
 隼は微笑してうなずいた。こういう顔をすると、とても大人びて見える。
「力任せの剣道しはるかと思てたけど、それだけやない。かなりのスキル持ってはったし、正直ヤバイと思たことも結構あったで。当たったのがうちの先鋒の林さんくらいやったら、勝てとったんちゃうかな。俺は椎名とやりたかったし、ほんま逆やったらよかってんけど、俺去年三位に入ってもうたし、春の大会で島根(おれら)が上位独占した上に、予選でも飛馬さんに続いて二位で通過しとるから、シードかかってしもたんや」
 名誉なことだと思うが、シードがかかるとかかからないとかいうことは、隼にとってさほど問題ではないのだろう。そして、それは例えトーナメントのどこにいても、勝ち抜く自信があるからに違いない。
「飛馬さんって確か・・・・・・」
「あ、うちの部長や。昨日大将務めてはった人、覚えてるやろ?」
「・・・・・・うん。予選ではその人に、負けてんだ?」
 斗音の何気ない言葉に、隼は笑みを曇らせた。
「実力はそう変わらへん。勝ったり負けたり、五分五分や。けど、うち先輩えらい厳しいさかい、そのせいで負けたとは言わへんけど、先輩に勝ってしもたら、上の人ごてくさ言わはるし、めんどいんや」
 やっぱり、と斗音は形のいい唇を噛んだ。前の試合での出雲第一の態度が、まさしくそうだったのだ。
「せやから、きんのうおうたばっかでも如月のみんなとか、お前が見とってくれると嬉しいわ。今の試合は敵対しとったからちょっと寂しかったんやけど」
 にこっと笑う。
「お前が勝って欲しかったてゆうてくれたさかい、めっちゃ救われてん。おおきにな、斗音」
 心から笑っているのだろうが、その笑顔がなんだかすごく痛く思えて、ずきずき痛む心臓をなだめながら、斗音も微笑んだ。
「とりあえず、ベスト8、おめでと」
 隼の笑顔が、ぱあっと明るくなった。
「おおきに。もし万が一、決勝で当たるのが椎名やのうて飛馬さんやったとしても、俺は絶対勝って見せるさかい。そのための秘策も、準備したるしな」

 斗音は、その明るい笑顔の中に、確信と自信を垣間見た気がした。

 ベスト8が決まって、一度昼食のための休憩時間をはさんでから、再び試合が始まった。それぞれがベスト4をかけた戦いで、かなりレベルの高い選手がそろっていた。全国から集まってきたつわものたちの中でも間違いなくトップクラスのメンバーなのである。そしてそこには見事なまでにシードのかかった面々が勝ち残ってきた。第一シード島根県出雲第一高校・飛馬要、第二シード香川県光徳学園・加納水樹(みずき)、第三シード島根県出雲第一高校・隼刀威、第四シード佐賀県佐賀南高校・東漢人 、第五シード東京都如月高校・椎名慈恩、第六シード山形県新庄商業高校・刈谷知典(とものり)、第七シード熊本県日大付属住吉高校・関博政(ひろまさ)、第八シード群馬県桜フロンティア高校・朝比奈泰臣(やすおみ)の八人である。この中に同じ県の同じ高校が入っていること自体、かなり異常であるが、伝統的に強い県であるため、出場枠が他より多く、春の大会や去年の結果も考慮してシード枠にも入っているのである。対戦は第一シード対第八シード、第二シード対第七シード、というように、なるべく強い候補が勝ち残っていけるように組まれている。
 五回戦は全ての試合が同時に行われた。負けても八位まで決めなければならないので、ベスト4に残らなかった面子も再度組みなおされたトーナメントによって再び順位を争うことになる。
 飛馬と朝比奈の対戦は最初にこれでもかと言う激励の言葉が双方から掛けられた。そんな中、2-0で飛馬の圧倒的勝利となり、ものの二分足らずで終了してしまった。加納と関の対戦はなかなかの接戦ではあったが、関が一歩及ばず、三分強で2-1と加納が勝利を収めた。隼と刈谷の対戦は、三分弱ほどの時間をかけたものの、2-0で隼がまた圧倒的な強さを見せた。しかし、新庄商業の応援以外はほとんど見られなかった。
 隼の勝利を知った如月高校の面々は、ベスト8に残っていた刈谷より近藤の方が隼に時間を費やさせたことに喜んだ。
「ほんとに惜しかったな。トーナメントの組み合わせ次第じゃベスト8になっててもおかしくなかったんだ」
「すごいじゃん、如月って。ベスト8に二人いるところって、出雲第一だけだろ?」
「こうなったら、椎名バリバリ応援して、何が何でも勝ってもらいてえよな」
「今んとこ、第三シードまで順調に勝ち残ってるからな。ここで番狂わせだ!」
 大いに盛り上がり、まだ試合中であった慈恩に当社比一・五倍ほどの期待をかけた視線を送った。剣道では、始まる前や終わりはともかく、試合中にあまり大声で応援する雰囲気ではないからだ。
 既に一本取っていた慈恩は、何とか取り返そうとして猛然と襲い掛かってくる東に、やや苦戦していた。最初の一本は、まだ相手が油断して力任せに攻めようとしたところを、鋭く小さな竹刀さばきで決めた出ばな小手だった。それが一分ちょっとすぎた辺りであったから、それから二分以上、ずっとその猛攻に晒されているわけである。近藤より、パワーも技術もひとまわり優れた相手である。さすがの慈恩も防戦一方で、返し技すら跳ね飛ばされてしまい、わずかでも隙ができれば狙われるといった状態であった。
(慈恩、頑張れ!早く時間進んで!)
 見ていろとは言われたものの、隼と慈恩と同時に試合が始まってしまったので、斗音は当然慈恩の応援をしていた。しかも、目を離せない試合展開なので、隼が勝ったことしか分からなかった。そして今も必死に祈っている。
(何が何でも守り切れ!)
 近藤も厳しい顔をして真剣に見ている。時折力強く睨みつけているようだが、慈恩が今苦しい状態であることは百も承知だった。
「東は近藤より力がある。椎名の練習相手では近藤が最強だったわけだから、かなりつらいところだな」
 篠田もさっきからずっと拳を握り締めたままである。嵐たちバスケ部のメンバーは、独語のようにこっそり応援していた。
「いけるぞ!慎重に守り切れ!」
「頑張れ、頑張れ!あとちょっと!」
 如月陣営にとってはなかなか過ぎない時間でも、世界の標準時間に合わせて刻々と過ぎていき、残り時間数秒となった。これが最後だと、東の攻めもかなり強引になってきた。力任せにつばぜり合いから慈恩を突き飛ばし、体勢が崩れた瞬間にその反動を利用して、そのまま小手を狙ってくる。
「うわ」
 思わず如月応援席で何人かが声を漏らした。かなり苦しい体勢のまま、慈恩は竹刀を振りかぶった。おかげで東の小手は空を打つ。バランスが崩れているため、慈恩は無理やり浅く踏み込んだ。残り時間でこれ以上相手の竹刀が使い切れない距離まで詰め、その勢いで鋭く相手の面を打った。慈恩の一本を示す白旗が素早く上がった。
「面あり!それまで!」
 うおおおおおおっ、と如月の応援席が揺れた。残り二秒、2-0で慈恩がベスト4に進んだ瞬間だった。
「欲張りな奴め、最後相手が絶対打てない距離まで詰めておきながら、おまけで一本取りやがった」
 近藤の声がわずかに震える。斗音は感動のあまり、目頭が熱くなった。
(すごい・・・…すごいよ、慈恩・・・)
「っしゃっ!」
 翔一郎と瞬が踊りだしそうな勢いで、ハイタッチの小気味いい音を響かせる。
「すっげえ。近藤さんより上の相手に、隼より短い時間で、同じ結果出しやがった、あいつ」
 嵐の声も嬉しさや感激が隠し切れない。そこへ戻ってきた慈恩は、たちまち人だかりに埋もれた。あちこちばしばしたたかれて、小手と面を外しながら慈恩は首をすくめた。
「たたっ、イタッ、あ、ありがとう」
 かなり汗をかいている。相当厳しい戦いだったのだろう。それでもたたかれながら嬉しそうに笑った。
「ただいま第五回戦が全て終了しました。第六回戦、準々決勝と、五・六・七・八位決定戦は、十分休憩ののち、行います。五回戦で敗退した選手は、トーナメントを組みますので、本部まで来てください」
 場内アナウンスが流れ、全員がほっと一息つく。そこへ、突然飛び込んできた珍客、再び。
「椎名―――っ!」
 外すのが面倒だったのだろう、胴はつけたまま、軽々と猛ダッシュをかまして、如月の席に飛び込んできたのは、同じようにたった今ベスト4に進出した、出雲第一の二年生である。その勢いのまま、慈恩の首をかき抱く。
「やるやん椎名!あと一回勝ったら、俺ら対戦できるで!」
「隼、ちょっと、無理無理っ」
 胴二つを挟んで無理やり首にしがみつくものだから、首だけさらわれそうになり、慈恩はギブギブ、と目の前の椅子をたたいた。隼が慌てて腕をほどく。
「あ、すまん、かんにん、椎名。ええかいな?」
「よくない。首がどうにかなる」
「あーと、ええかいなっちゅうのは、大丈夫かいなっちゅうこっちゃ」
「だから、大丈夫じゃないって」
 周りからどっと笑いが起きる。隼は照れたように笑った。
「ほんまかんにんな。俺、あんまり嬉して、つい我を忘れてもうたんや」
 そんな隼を、出来すぎ集団がそれぞれぺしぺしたたく。
「ベスト4おめでと」
「お前こそ、すげえじゃねえか、ベスト4なんて」
「近藤さんを負かした分、勝ってもらわなきゃこっちの面目が立たないからな。もちろん決勝まで行くんだろ?」
「そうだよ、隼圧倒的に強いもん。慈恩と試合してる時間がかぶってなかったら、絶対応援に行くからね」
 隼は満面の笑みを浮かべた。
「おおきに。とりあえず、決勝までもう敵対することはないさかいな。そうゆうてもらえると、嬉しいわ」
 慈恩は苦笑する。
「お前は決勝まで行くだろうけどな、俺はかなり厳しいぞ?分かってるか?」
 はっと衝撃を受けて、大人びたすっきり系の目が、滑稽なほど見開かれる。
「嬉しすぎてすっかり忘れとった。もしかして、次飛馬さんか?」
「もしかしなくてもそうだよ」
「う・・・・・・」
 普通にしていれば、かなりかっこいい系のクールな顔なのに、あまりにくるくる変わる表情のせいで、全くそう思えない。今度はここに飛び込んで来た時とは正反対の、がっくりした表情を見せる。
「椎名やったら勝てるて言いたいけど、あの人はほんま強いさかいな・・・・・・俺、気休めはよう言わへん。けど、もし勝ってくれたら、俺、めちゃめちゃ嬉しいし、助かるんやけどな・・・・・・」
 最後の一言に、如月高校の面々は思わず顔を見合わせた。嵐がにやっと笑って、隼の肩をたたいた。
「俺らだって、慈恩が勝てることを望んでるよ。でも、実力者二人が言うんだから、厳しいのは確かみたいだ。だから、もし慈恩が負けたりしたら、俺たち全員全力でお前を応援してやるよ。慈恩の敵取ってやる、くらいのつもりで思いっきりやっちまえ」
 情けない顔をしていた全国大会第三シードの少年は、にっと笑った。
「おおきに。東雲みたいに賢うて妙に説得力ある奴にゆうてもらえると、なんや安心するわ。けど、ほんまの話、俺、真剣勝負、椎名とやりたい。正直飛馬さんには堅苦して厳しいこと以外、あんまり欠点見あたらへん。悪い人ちゃうんや。嫌いやないし、同門として勝って欲しいとも思う。けど、それ以上に俺は、椎名の剣道に魅力感じてんのや。せやから、椎名、俺は椎名応援するさかいな」
 心ん中でやけど、と付け足したため、いつも飛馬にやられるように、如月高校剣道部の部長に小突かれた隼であった。
「てめえは一言余分なんだよ」

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