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二十三.決着

 東海学園付属高校サイドは、速攻には出なかった。ゆっくりボールをスローインする。
「俺ら、油断しとったたい。あいつ、めちゃ上手いシューターやけぇ、気合入れ直せ!」
「ほんなこつ言っても、初めがだご目立たんかったたい。ばってん、もうだまされん」
「おっしゃ!」
 ゆっくり丁寧に攻めてくる。全員の強固なゾーンディフェンスで、如月チームは応戦する。見事なまでのパスの応酬に、危うく振り回されそうになるが、なんとかゾーンを保っていた。
 第2クォーターは木下監督の読みどおり、如月のプレイヤー全員にマークをつけざるを得なくなり、東海学園付属高校の一人に対するディフェンスが甘くなった。甘くならざるを得なかった、というべきだが。それをうまく使って、徳本らがガンガン突っ込んでディフェンスを撹乱し、斗音はフェイクと見せかけて逆にいきなりシュートを打ったり、第1クォーターとは勢いが逆転した。それに加えて嵐と翔一郎が本物の自分で攻撃を仕掛けた。
「行け、羽澄!」
「東雲、そっち回り込め!」
 メンバーもわざと彼らを見ずに指示を出すものだから、一度ならず、東海学園サイドは混乱した。彼らにとっては「ハネズミ」と「シノノメ」であったはずなのだ。本人たちもそう呼び合っていたではないか。もちろん、すぐに間違いに気づいたのだが、それまでに如月が稼いだ得点も少なくはなかった。第2クォーターが終了した時点で電光掲示板の数字は38対32。かなりの追い上げを見せた如月高校だった。
「よしよし、よくやった!俺の予想以上だ!勢いは今うちにある!」
 敵を撹乱するためにコート中を走り回った翔一郎がハァハァと荒い息をなだめるように、瞬から受け取ったスポーツドリンクを少しずつ口に含む。滝のような汗が全身から噴き出している。ほぼ同じくらい動いているけれど、門真と徳本はさすが三年生というべきだろうか、まだ余裕がある。別格の嵐も然りだ。
「斗音、大丈夫?」
 瞬が心配そうにタオルで肩を抱いたのを、ひやりと背筋が冷める思いでメンバーが振り返る。斗音はこくりと頷いた。アッシュの髪がぐっしょり濡れて、まるで今夕立の中に立っていたかのようだ。呼吸もかなり乱れている。誰の目にも、次のクォーターで続けさせるのは危険だというのが明らかだった。
「攻めは変えない。だけど、椎名と羽澄を休ませる。羽澄の代わりにサイドで暴れて来い、佐々」
「はい!」
「それから、シューターとしてはうちで二番手だ。岡崎、椎名のポジションに入れ」
「は・・・はい!」
「徳本、門真、お前ら二人で岡崎をサポート。フェイクでシュートを打ちまくれ。岡崎はあまり使えないと思わせる。リバウンドは東雲と佐々に任せる。どさくさに紛れて岡崎に渡せ。あの強烈なメンバーの前で通用するかどうかは賭けだけどな」
 メンバーは暗黙のうちに視線を合わせる。次の瞬間、声をそろえた。
「はいっ!」
 五人がコートに出て行くのを見送って、翔一郎はどかっとベンチに腰を下ろした。
「っ、はっ、・・・っくしょう、張り切りすぎた・・・」
「・・・・・・ん・・・・・・」
 斗音もがくんと膝を折るようにして、ベンチに身体を預ける。もう少しいけると思った。今のところ、身体に異変はない。それだけに、悔しかった。今のこの調子を保つには、恐らくベストメンバーであるべきだった。確かに最近食が進まないこともあり、体力的にはかなりきつかったのだが、それでも。呼吸の音と破裂しそうな心臓の音とで、聴覚の容量が一杯になった気分だ。次から次へと汗が伝って、顎から滴り落ちる。
(もうこの試合は、出してもらえないかもしれない)
 そう思うと、体力のない喘息持ちの身体が恨めしかった。
 そして、斗音の考えたとおり、第3クォーターは厳しい戦いになった。第2クォーターの戦いで如月の作戦に慣れてきた東海学園付属高校と、加わったばかりで、動きに慣れている三人に比べ、やや動きのぎこちない二人を抱える如月とでは、かなり分が悪かった。体格差に物を言わせて、まずリバウンドを遮ってくる。相手ボールになる時間が長ければ、そのレベルの高い攻撃を阻止しなければならない上、自分たちの攻撃の機会を作ることすら難しい。徐々にその不利が目立ち始めた。
「ここで踏み止まれよ、徳本!」
 木下が檄を飛ばすが、踏み止まるには相手の流れが強すぎる。相手を休ませるチャンスを作りたくはなかったが、タイムアウトを取らざるを得なかった。
「門真、羽澄と代わって休め。羽澄はいけるだろうな?」
「はい、もちろん!」
 既に呼吸を正常に戻していた翔一郎が勢いよく返事をする。代わりに門真が荒い息の下で悔しそうに頭を振った。そんな門真に、木下が言葉を投げ掛ける。

「門真も、第3クォーターの残り時間だけだ。第4は出てもらうぞ。それから、相手はここに来て全員動きが滅茶苦茶いい。特に6番、鈴来(すずき)。周りをよく見てるし、パスさばきが芸術的なまでに上手い。彼がいるおかげで、相手はのびのびと動いてプレイできる。だから、6番を東雲、止めろ。ガードとして動くことで、お前もパスをさばけ。徳本はゴール下。センターとしてプライド持って、絶対に譲るな。リバウンド勝負だ。佐々がスモールフォワード、羽澄がパワーフォワードだ。東雲と佐々、ちょっとポジションが変わるが、後3分ちょっと。何とか踏ん張れ!いいな!」
はい!」
 返事の勢いはよかったが、その声に第2クォーター終了時にはなかった疲労の色が混じった。勢いに乗っているときには感じなかった身体的な苦しさが、状況がつらくなるにつれて選手たちに圧し掛かってきていた。
 それでも如月のメンバーは信頼する木下の作戦通り、嵐はガードとしてコートを駆け回り、彼を中心としてパスが行きかったし、徳本はリバウンドで格上の相手と互角に戦った。しかしそれでも、東海学園のメンバーは総合的に能力が違った。ガードの嵐がどんなに上手にパスをさばいても、それを受ける側が上手に受け取らせてもらえない。リバウンドを取ろうとしても、相手のシュートがなかなか落ちない。何をしても歯が立たないという絶望にも似た雰囲気が漂い始めていた。
 第3クォーター終了の合図が鳴ったとき、電光掲示板の数字は東海学園サイドが64、如月サイドが48。この試合最大の14点差となっていた。
 木下は頭を抱えた。こんなにレベルの高いチームと、これだけ互角に近い戦いをしてきたのだ。全力を挙げれば、もしかしたら、もしかするかもしれない。こちらのスタメンを全員投入できたら。徳本は体力に問題はない。この男は鍛え方が違う。門真もほんの数分とはいえ、休ませてある分、次の動きは期待できる。嵐は体力があろうとなかろうと、使わざるを得ない。倒れはしない。翔一郎も使えるはずだ。だが、木下の頭を抱えさせた最大の難関は斗音だった。1クォーター、しっかり休ませた。だが、この体力的にも精神的にも激しい消耗戦となる試合で、もつだろうか。しかし、斗音以外のシューターでは、東海学園には太刀打ちできない。最後まで諦めない戦いをするためには、どうしても斗音が必要だった。
 観客席の目立たない一角で、自分の主人が夫の手を握り締め、神にだか仏にだか、祈りを捧げているらしい姿をちらりと見やって、三神が、ややつり気味の目に笑いを含ませる。
(素人の俺が見ても、ここは椎名斗音を出すしかないだろう。どこまでもつか・・・・・・ふふ、楽しみだな)
 己のためになら努力を惜しまない人間であった。もうすぐ望みどおりに自分の主人となる少年の病状は、しっかり頭に叩き込んである。
(あの性格だ。出たらきっと全力でやる。そしてきっと、耐えられない。蒼白な顔で悶える姿は・・・・・・さぞかし見ものだろう・・・・・・)
 背筋にぞくぞくしたものを感じながら、湧き上がってきた液体で喉を鳴らした。
「・・・・・・斗音が出るしかないよな、ここは」
 今井の呟きとも取れる唐突な言葉に、慈恩ははっと顔を上げる。そんな後輩に生徒会長は逆に不意を突かれたような顔をした。
「だろ?」
「え・・・・・・ああ・・・・・・」
 曖昧な返事をして、曖昧に頷く。もちろん、そんなことは慈恩にだって分かっている。でも、あの疲労具合から言って、斗音が出るのは自殺行為だった。あの状態で全力のプレーをしようものなら、いつ発作が起きてもおかしくない。木下がそこまで危機感をもっているかどうかは分からないが、慈恩が監督の立場だったら、絶対に出さない。斗音が全力でやらないわけがないからだ。木下も、きっと悩んでいるに違いなかった。
 木下の周りに集まってきていたメンバーたちも、勝利の可能性を一パーセントでも残そうと思ったら、斗音が出るしかないということは痛感していた。それでも木下は唇を噛んで細い目を更に眇めた。
「・・・・・・ここまでよくやってきた。優勝候補の一角と、ここまで互角に戦ったんだ。お前ら、ほんとに大した奴らだよ。最後のメンバーだが、スタメンの徳本、門真、東雲、羽澄はそのまま出て、全力を尽くせ。・・・・・・あと一人は・・・・・・あと、一人は・・・・・・」
 決断し切れないのだろう。悔しそうな表情がよく分かる。あと一息のところまで来て、それでも選手を危険な目に遭わせることはできないという教師としての責任感と、持てる力を全部出し切って、最後までこの強豪と戦いきりたいという監督としての情熱の間で、揺れているのだ。それでも、勢いよく吐息して顔を上げた。その視線を送られた岡崎がぎくりと身体をこわばらせる。彼とて、自分が呼ばれれば、この試合に勝ち目がないことくらい重々承知だ。
「・・・・・・ここは」
「俺にやらせてください」
 木下の言葉を遮って、凛とした声が響いた。すっと立ち上がった斗音だった。薄茶の意志の固い瞳で木下を見つめる。
「俺の力じゃ不足かもしれません。下手するともっと迷惑を掛けることになるかもしれません。でも、ここまで来て何もできずに見てるだけだったら、俺はきっと一生自分を悔やみ続ける。今俺にできることがあるのなら、お願いします。俺を使ってください!」
「・・・・・・・・・・・・」
 迷いのない強い眼差しは、木下の心をぐらりと動かした。細めた目には、不安と期待が渾然としている。
「・・・・・・無茶をしないと、約束できるか」
「・・・・・・はい」
 木下の顔が、監督の顔に変わる。
「よし、第4クォーターはベストメンバーでいく。羽澄と東雲、鈴来の逆サイドから椎名をサポートしろ。とにかく14点差を何とかしなきゃ話にならないからな。門真と徳本でゴール下死守。これがうちのできる最後の仕事だ。さあ、全力でいこう!」
「おーっし!」
 疲れを忘れたかのような如月メンバーの声だった。これが最後。斗音を加えたベストメンバーで、否が応でも士気が上がる。
(・・・・・・斗音)
 慈恩は唇を噛んだ。いつも今を精一杯生きようとする斗音。ここで引き下がるわけがなかった。発作覚悟なのだ。そんな決意の彼を、一体誰が止められるというのだろう。
「・・・・・・馬鹿」
 そんな兄だったから、危なっかしくて、放っておけなかった。でも、そんな兄だからこそ、誇りだった。大切だった。
「今井さん」
 呼ばれた好青年は頷いた。
「ぶっ倒れたとき、お前がそばにいたほうがいいだろうからな」
「・・・・・・すみません、失礼します」

 慈恩はフロアへ向かう階段を駆け下りていった。

 如月は東海学園付属高校相手に果敢に立ち向かっていた。相手も既に斗音のシュート率の高さは承知だ。やすやすと持たせてはくれない。両サイドに嵐と翔一郎が陣取り、先ほどまでガードとして動いていた嵐が、相手の鈴来の動きを読んで、翔一郎と二人して鈴来を避ける。そして、なるべくゴール近くまで持っていって斗音に渡すのだ。単純なパスは読まれるので、ほとんどがスイッチか、戻したと見せかけてのパスなど、相手の不意をつくものばかりだった。さすがに進学校で名高い如月の頭脳プレーであった。
 受け取った斗音も、すぐにディフェンスに囲まれてしまうし、必ず何人かが斗音についているので、簡単にはシュートさせてもらえなかった。それをドリブルと見せかけたり、フェイクをワンプレーの中にいくつも織り交ぜたりして、見事にかわすのだが、それでもシュート率はなかなか上がらなかった。徐々に斗音の疲労の色が濃くなってくる。
 とはいえ、64-48の点数は徐々に変化していく。8分経過したところで、71-62の9点差まで迫っていた。このクォーターで入った14点のうち、斗音のスリーが3点、ミドルレンジのシュートが4点分ある。間違いなく斗音の功績である。しかし、残り時間は刻々と短くなっていく。焦ったのか、スティールを狙った翔一郎の手が相手の手を弾いてしまい、鋭く笛が鳴った。
「このままだと厳しいな。くそっ、もっと斗音にスリー打たせたいな」
 手を挙げた翔一郎が小声で嵐に囁く。嵐も頷くが、滝のように流れる汗をリストバンドで拭いながら舌打ちした。
「スリーはことのほか警戒されてるからな。こうなったら俺らが直接ゴール狙って、斗音に的を絞れなくした方がいいと思うんだけど・・・」
 ちらりと木下のほうを見る。すると、木下がOKサインを出している。同じように顧問に目をやっていた翔一郎が首をかしげた。
「聞こえたのか?」
「なわけねえだろ。いつも見てるだけに、俺たちの考えることはお見通しってことさ。たぶんな」
 嵐は大きく腕をぐるんと回した。
「よし、相手にぜってえ取られねえパス、ゴールの上に出せ。ぶちこむぞ」
「え、まじ?跳べるか?」
「やってやるさ。最終的にあいつが打てるようにしなきゃ、俺たちもどうにもできねえんだ」
「おっけー。まかしとけ」
 相手のスローインから試合が再開される。相手のパスさばきは大したものだ。しかし、鈴来にぴったりマークしていた嵐には、再三カットのチャンスが訪れる。それを嵐が何度も見逃すはずがない。相手が止まると見せかけてドリブルの速度を変えようとした直前のボールを、相手の手に届く前に奪い取った。
「ちっ!」
「翔!」
 振り向きざま逆サイドをゴールに向かって走っていた翔一郎に投げると見せかけて、相手チームの全員がそちらに気を取られた瞬間、すぐ後ろにいた門真へ送る。しまった、といった顔の彼らの視線が、一斉に門真に集中したその後ろで、翔一郎が軽く手を挙げた。門真は躊躇うことなく翔一郎へパスを出す。二度も不意を突かれた東海学園側は、みすみすそのパスを通してしまった。その翔一郎は軽くドリブルで前に進んだ。たちまち追いつかれ、足を止めたまま腰をかがめてドドドドっと短いドリブルで敵を足止めしたあと、やおら立ち上がってすごい高さにボールをあげる。まさに、ゴールの上。しかし、勢いがありすぎる。
「そんなシュート、入らんばい!」
 叫んだ鈴来は、次の瞬間息をのんだ。その目の前にひらりと淡紫色が舞う。
(馬鹿な・・・・・・っ!)
「高ぇっ!」
「おらぁっ!」
 ガコォッ、とゴールに衝撃が加わり、リングにぶら下がった嵐がふわりとフロアに下りた。同時にボールがとーん、とゴールの真下で高く弾んだ。
(・・・・・・・・・・・・人間業じゃないぞ、あれは)
 初めて彼らのアリウープを目の当たりにした慈恩は、思わず身震いした。前回見逃しただけに、フロアでそれを見た衝撃は大きい。歓声が会場を揺るがさんばかりだ。
「よっしゃ!成功!」
「ナイスパス、翔一郎。調子いいぜ、俺。斗音、次から俺も点取りに行くからな」
「オッケー。にしても、相変わらず、すごいジャンプ力だなぁ」
 やや擦れた声の斗音の、ぐっしょり濡れた背を、優しくなでるようにしながら、嵐はおおらかな笑顔を見せる。
「なんのなんの。まだあと二十回は飛べるぜ?」
 冗談半分に言いながら、電光掲示板に目をやる。71-64。この試合の中でその差はかなり縮まっている。
(あと7点・・・・・・)
 スリーが二本でも追いつかない。相手も点を入れてくるのは間違いないから、とにかく攻めるしかない。
「あいつらがびびってるうちにちょっとでも取らせてもらわねえとな」
 東海学園側からのスローイン。ゾーンをがっちり固める。相手はじっくり時間を使って攻めてくる。センターラインを越えたところで、相手が一気にペースを上げた。めまぐるしいパスにドリブルで、たちまち攻め寄ってくる。そして強引に中に入ってくるのを、門真と翔一郎で食い止める。強引に入ってきた選手が、ふとドリブルしていたボールを両手に持った。そして軽く膝を浮かせる。
(シュートか?!)
 門真がブロックしようとジャンプしたが、相手は腰を落としたままである。
(フェイク!)
 翔一郎は読んでいた。びたりと張り付いている。相手が再び膝と肘を上げた。翔一郎が跳ぶのと、相手が跳ぶのは同時だった。翔一郎の腕がシュートコースを塞ぐ。しかし。
(なっ!?)
 相手の腕は上がってこなかった。そのまま下で待ち受けていた鈴来にボールがわたる。
「あっ」
 慈恩が小さく声を上げた。その目の前に斗音がいた。ボールを持った瞬間、勢いよく一歩踏み込んできた鈴来に斗音の身体が突き飛ばされる。ピピィーっと笛が鳴った。
「オフェンス!プッシング!」
「俺!?マジっスか!」
 鈴来が声を裏返す。しかし、如月のメンバーはそんなことに気を取られる暇はなかった。
「斗音!」「椎名!」
 同時に一人の名前を二通りで呼んで、四人が駆け寄る。
「大丈夫か?」
 翔一郎に抱き起こされながら、斗音は微かに眉根を寄せた。とっさに庇ったものの、気管の辺りに直接外部刺激が加わったのだ。微かに不快感がある。だが、発作につながるほどでもなさそうだ。
「・・・大丈夫です」
 徳本がほっと胸を撫で下ろす。嵐が片目を細めるような仕草をした。呼吸音がいつもより擦れている気がしたのだ。翔一郎に支えられながら、斗音が立ち上がる。そっとぶつかられたところをさするのを見て、嵐は斗音を覗き込んだ。
「本当に大丈夫か?無茶しないって約束だぞ」
 薄茶の瞳を細かい瞬きでニ、三度隠してから、斗音は微笑んだ。
「まだできるよ」
(・・・・・・まだ、か)
 嵐は小さく頷いてその華奢な肩を抱いた。
「お前はスリーの位置に行ってろ。そこまでは俺たちで運ぶ。無茶するなよ」
「・・・ん、ありがと」
 如月からのスローイン。絶対にカットされないように、慎重に運ぶ。そして、翔一郎と嵐が再び二人で強引に攻めに行く。たちまち二人がディフェンスに囲まれる。
 もちろん斗音もフリーにはしてもらえない。むしろ、フリーになったのは徳本だった。それを見逃さず、翔一郎が隙を狙ってワンバウンドでパスを送る。それが横から伸びてきた手に、いい音を立てて弾かれた。ボールが誰もいないスペースに転がる。すかさずそれを奪い取った徳本が、更に強行突破せんと突っ込んでいく。相手がゾーンを固めた瞬間、徳本から素早く斗音にパスが渡った。
「打たすなっ!」
 東海学園サイドが声を上げる。その声より早く、斗音の跳躍は頂点に達し、そこから放たれたシュートは美しい軌跡を描いて真っ直ぐにリングを通った。慈恩が拳を握り締めると同時に、わぁあああっと歓声が上がる。
「スリーポイントだぁっ!」
 電光掲示板の如月側に3点が加わって、71-67となる。残り時間はあと3分。
「こっちのリードは変わらんばい」
 落ち着きのある東海学園の背番号4は、キャプテンの緒方である。二年生トリオの活躍に浮き足立ちかけていたチームが、すっと表情を引き締める。
「あのスコアラー、背番号11のハーフっぽい奴、あいつ止めて俺らが点取り行くばい」
 東海学園の次の速攻は目覚ましかった。鈴来にさばかれたパスでいっきに如月メンバーが抜き去られる。ゾーンを固めたと思ったら、その間をまるで手品師のようにすり抜けて、ジャンプした嵐をあっさりとかわして、緒方の見事なダブルクラッチを入れたシュートが決まった。
「くそっ、なんて奴だ。空中で二度もフェイク入れやがった」
 何もできなかった門真が悔しそうに舌打ちする。ぴたりとつかれて身動きが取らせてもらえなかった斗音と翔一郎も、そのスピードに唖然とする。鋭い反応でシュートコースを塞いだ嵐ですら、たやすく抜かれてしまったのだ。73-67。再び開いた差が重く圧し掛かる。

「今は攻めるしかねえよ、キャプテン。そうだろ?」
 相手より7点分余分に入れなければ、勝ちはない。残り時間2分とちょっとの間に。いつもはそれなりに敬語で応対してくる嵐の勝気な言葉に、徳本は頷いた。
「ああ、ここまで来たらやるしかねえな」
 如月のスローインで攻撃に入る。決して取られてはならないという意気込みが、全員の顔にみなぎる。しかし、敵もさるもの、この疲れ切った最終場面で、如月の気力を折れさせるようなオールコートのマンツーマンディフェンスに切り替えてきた。
(こっの、化け物軍団!)
 ボールを持ったはいいが、動かせてもらえない。嵐は何度もドリブルで抜こうと試みたが、抜いたと思っても追いつかれる相手の動きの素早さに、どうすることもできずに翔一郎にパスをする。辛うじてそれを取った翔一郎も、動かせてもらえない。そこへ回り込んでいた斗音が自分のマークを振り切るようにして翔一郎からボールをもらい受ける。
「スイッチ!」
 身軽にコートの隙間を縫って一気にスリーの位置までボールを運ぶが、そこで三人に囲まれて身動きが取れなくなる。フェイクを入れても、低い姿勢から切り抜けようとしても、まるで隙がない。必死でボールを取られまいと動き回りながら、斗音の動きが一瞬固まる。
(・・・・・・まずい・・・・・・頼む、もう少しもってくれ!)
 その一瞬の隙に、三人がボールに群がってくる。
「後ろだ!」
 聞き慣れた声に瞬時に反応して、斗音は後ろを見ずに、一瞬前に踏み出すようなフェイクを入れてディフェンスを半歩遠ざけると、そのまま後ろへパスを送った。
「ナイスパス!」
 斗音の耳元で声が横切っていった。如月チームのキャプテンが、斗音の前の三人を素早く抜いて、がら空きになっている相手チームのゾーンに突っ込んでいった。
「させん!」
 ディフェンスが襲い掛かってくる。その瞬間、徳本はやや強引にジャンプシュートの体勢に入った。その身体を、ディフェンスの一人が勢いで突き押す形になり、徳本は声を上げてバランスを崩した。そのままドン、と床にしりもちをつく。ピイーっと笛が鳴った。
「ツースロー!」
「よっしゃあぁ!徳本ナイス!」
 門真が飛びつく。鈴来がちっと舌打ちする。
「あいつ、狙っとったたい」
 フリースローの確率が、徳本は決して高いとはいえない。せいぜい五割か六割である。しかし、この土壇場での彼の集中力は、彼が如月のキャプテンに如何にふさわしいかを物語った。一本目は文句なく綺麗に決まった。そして、二本目のボールを渡されたとき、徳本は嵐と斗音に素早く目配せをした。そしてシュートする。
 ボールが手を離れた瞬間、嵐が飛び出していた。それに続いて何人かが押し寄せ、ゴール下は戦場と化す。中でも一番早く跳んでいた嵐は、信じられない高さでボールをキャッチすると、なんとそこから無理やり身体を捻じ曲げて、戦場の外へボールを放り出したのだ。ボールが向かった場所は、スリーポイントのラインの外。そして、斗音が逆に行くと見せかけたフェイクを二度入れた上で、必死にマークを外してそこへ滑り込み、ボールをキャッチする。そのまま軽く自分の前の床を蹴るようにして斗音が跳んだ。
「フェイダウェイ!?」
「くそぅっ!」
 軽く後方に傾いた斗音の体から、すっとボールが放たれる、その寸前、鈴来が斗音の傾斜と同じ角度で斗音に突っ込んだ。鈴来の指が軽くボールに触れ、その勢いのまま斗音の喉元を指で突く。直後、斗音の手からボールが放たれた。二人の身体が勢いよく床に、もんどりうって倒れ込む。ボールは、斗音のシュートとしては珍しく、ボードにぶつかった。その勢いで、リングの上を一周、二周転がってから、すとん、とネットをくぐった。空気を引き裂くような笛の音とともに、審判が三本立てた指を振り下ろした。
「カウント!ワンスロー!」
 どぉおっと会場が割れんばかりに沸いた。73-68だった電光掲示板が73-71となる。
「ワンゴール差だぁっ!」
「斗音!!」
 慈恩が叫んだ。大騒ぎの場内でも聞こえるくらい、その声は響き渡った。如月チームのメンバーも、声と同時に、再び不安要素を抱えていた少年を取り囲む。
「てて、痛ちゃ・・・・・・悪ぃ、平気かや?」
 ぶつけたらしい額を押さえながら、鈴来が起き上がる。しかし、自分が下敷きにしてしまった方は、起き上がるどころかうずくまって激しく震えている。なにやらヒューヒューという細い隙間風のような音も聞こえる。
「まずい、発作だ!」
 翔一郎が抱き起こすと、その蒼白な顔は苦しげに歪み、何か言いたそうに唇が動くが、途端気道に異物が絡んだ嫌な咳を立て続けにする。
「え・・・・・・なん・・・・・・そぎゃんひどかこつ、俺、しよったか?」
 不安そうに東海学園付属のエースが周りを見回す。全身がこわばって、動けない斗音を、翔一郎が抱き上げてベンチに向かう。それを追いながら、徳本が振り返った。
「お前のせいじゃねえよ。・・・・・・分かっててわざとやってたんだったら、ぶっ飛ばしてたけどな」
 ベンチではあわただしく介抱体制が整えられていた。運んできた翔一郎が、華奢な身体を慈恩に預ける。慈恩は慣れた手つきでその身体を支えるようにして、バスケ部が常備している携帯の吸入器で薬を投与する。そのシャツを、斗音がこわばったままの指でぎこちなく引っ張る。
「どうした?」
 あくまで慈恩の声音は優しい。余計なストレスを与えないためだ。斗音の薄茶の瞳が、苦しそうに潤んだまま訴えかけてくる。唇がかすかに動いた。
 あ・・・と・・・す・・・こ・・・し
「・・・・・・!」
 審判も心配そうにこちらをうかがう。
「大丈夫ですか?喘息ですか?」
 木下が沈痛な面持ちで頷いた。
「フリースロー、メンバーチェンジになりますね?」
 質問というより、確認だった。その言葉にも、如月チームの監督は同じように頷いた。慈恩は唇を噛んだ。残り時間、1分半弱。フリースローを決めて、あとワンゴール入れたら、如月の逆転勝利だ。もちろん、相手にはこの1分半、1点も入れられずに、が大前提だが。そのシュートを決められる確率が一番高いのが、今この腕の中で苦しげに身を捩る斗音だった。斗音なら、フリースローもまず外さない。このフリースローが入ると入らないでは、大きく違う。入らなければ、スリーを狙うしかない。尚更斗音のいないメンバーでは厳しい。木下はうつむいたまま、きりっと歯を食いしばった。もちろん、翔一郎も嵐も、スリーポイントは打てる。打てるが、驚異的な7割という斗音の成功率に比べれば、程遠い。門真と徳本は、どちらかというとゴール下タイプなので、期待はできない。
「岡崎、あとは頼む」
「せ、先生・・・・・・!」
 木下に指名されて、岡崎が固まる。木下は人のよい笑顔で微笑んだ。
「お前だってうちの立派なシューターだ。三年のお前が決めてこい」
「あ・・・は、はい・・・っ」
 がちがちになっている岡崎の肩を、徳本は勢いよく叩いた。
「ラスト1分半だ。そんで流れは今こっち。俺らの三年間、ここでぶつけようぜ」
 門真も満面の笑みで頷く。嵐と翔一郎は顔を見合わせた。そして軽く頷き合う。
「・・・・・・っ・・・・・・!」
 聞こえるか聞こえないかの小さな呻き。支える身体を、慈恩はそっと抱き寄せた。
「先輩にとっては最後の夏だ。・・・・・・あとは任せよう」

 大きな薄茶の瞳に透明な膜がかかった。雫となって溢れ出すのに、何秒もかからなかった。

   ***

 医務室のベッドで、冷たい汗ごと大きなタオルに包まれながら、斗音は慈恩にしがみついていた。その背中は嗚咽のたび頼りなく震える。そんな背中を、慈恩は優しく抱く以外、何もできなかった。
 試合は最終的に75-71。フリースローを外して完全に狼狽してしまった岡崎は、いとも簡単にディフェンスを突破されてしまった。それでも何とか崩れずに持ちこたえて、それ以上の得点は許さなかった。二度と抜かれはしなかった。しかし、追いつくには、時間も戦力も、不足していた。試合終了の合図とともに泣き崩れた岡崎を、徳本と門真が引っ張り上げて頭も肩も背中も、これでもかというくらい小突いたり叩いたりして、彼らなりにその活躍を褒め称えた。木下も、笑みを浮かべて何度も頷いた。そんな光景をあとに、とりあえず発作のおさまりつつある斗音を、医務室まで運んできたのだった。
「・・・・・・お前はよくやったよ。今のお前にできること、全部やってきたんだろ?」
 諭すように囁くが、斗音は小さく首を横に振る。あの残り1分半が悔やまれてならないのだ。もし自分が発作など起こさなければ。フリースローを決めていたら。あと一本でもシュートを打っていたら。
「あ・・・んな、大事、な、時に・・・・・・俺・・・・・・は・・・・・・っ!」
「・・・・・・でも、あれで倒されなくても、お前かなり無理してただろ」
「・・・・・・でも・・・っ」
 慈恩はそっとアッシュの髪をなでた。
「今のお前にはあれで限界だったと思う。あれ以上無理してやっても、シュートが入ったとは限らない」
 斗音の声が詰まる。慈恩はつらそうに柳眉を寄せた。
「誰もお前を責めたりしないよ。だからお前も、自分を責めるな」
 こらえきれない声が、斗音の喉の奥から漏れる。慈恩は片腕でそんな斗音の頭を、もう片方の腕で背中を、抱き締めた。
「・・・・・・分かってる。・・・・・・そうだな。そんな簡単に割り切れることじゃない。・・・・・・悔しかったよな。・・・・・・つらかった・・・よな」

 抑えていた声のたがが外れる。まるで子供みたいに声を上げて泣く斗音の背を優しくさすりながら、母親が死んだ時のことをふと思い出した。斗音がこんな泣き方をするのは、そのとき以来だった。慈恩の胸の十字架が、まるでその涙を受け止めるかのようで、斗音を誰よりもかわいがり、心配していた母の意志が、そこに宿っているように思えた。

   ***

 医務室の外まで来ていた如月のメンバーたちは、そのドアを開けられずに顔を見合わせていた。中から聞こえてくる号泣は、間違いなく斗音のもので、いつも、どんなに苦しくても決して弱音を吐いたり、まして泣いたりなどしない彼が、今どんな思いでいるのか痛いほど分かる。それゆえ、入るのが躊躇われた。
 慈恩の言った通り、誰一人として斗音を責める気持ちをもつ者などいなかった。そもそも、第4クォーターに出たこと自体、かなり無理をしていたのだ。それでも、誰もが彼を必要としていたように、彼も自分でそのことを痛感していたのだろう。自分から買って出たのは、自分のことよりチームのことを考えた結果だったのだ。それをどうして責められようか。
「岡崎、お前がへこんだりしてたら、椎名が余計つらい思いするぞ。あいつの前ではもう絶対へこむなよ?」
「分かってる。俺がもう少し、あいつの代わりができるくらいの技術を身につけていれば、あいつにあんな思いをさせずに済んだんだ。って、それを伝えたかったんだけどな」
「ま、今はもうちょっと、慈恩に任せといた方がいいんじゃねえ?あいつのこと、一番知ってるのは、なんだかんだ言っても慈恩だろうからな」
 なぜかメンバーに混じっていた今井が、軽く吐息する。木下も頷いて同意を示す。
「俺も、あいつが思った以上に点を取ってくれるもんだから、つい欲を出して、引っ込めずに無茶させたからな。少し落ち着いたら、椎名と、あと弟の方にも一言謝らにゃ」
 嵐と翔一郎は思わずくすっと笑った。さすが、みんなに慕われる「プーさん」だ。一人一人の気持ちを大事にしてくれるところが、慕われる一番の要因だ。
「斗音の気持ちを汲んで、第4クォーター、あいつを出したんでしょ?ほんとはあと一人、岡崎さんを投入するつもりだったんでしょ?」
 嵐に図星を突かれた木下がにやりと笑う。
「ばれてたか」
 岡崎が肩をすくめる。
「俺も目が合った瞬間、俺かよ!って思って、うわー俺では無理だーって、心の中で叫んでたから」
「でも、椎名を出したかったのも確かだぞ」
「そんなこと言っちゃって。でも、ほんと俺たちの考えてることお見通しだもんな。ほら、斗音のスリーが滅茶苦茶警戒されてたとき、俺たちがゴール狙おうって話してたら、先生OKサイン出してたじゃないスか。一瞬俺、あんなとこまで聞こえたのかと思いましたよ」
 笑いながら翔一郎が言うと、木下はきょとんとした。
「え?」
「覚えてないんスか?」
「いや、OKサイン出したのは覚えてるけど、そんなこと話してたのか」
 木下は磊落に笑った。
「俺はてっきり、椎名がこれ以上無理するようなら、やめさせなきゃいけないって言ってるんだと思って、そういうときはちゃんとメンバーチェンジしてやるから、任せとけって意味だったんだが」
 何度か素早い瞬きをしてから、翔一郎は嵐をちらりと見た。嵐は軽く肩をすくめる。
「だから、たぶんって言ったろ」
「・・・・・・しかも、任せとけとか言ってメンバーチェンジしなかったし」
「だから謝らにゃって言ってるだろ」
「・・・・・・・・・・・・何だよ」
 みんなの視線を一斉に浴びた翔一郎は、やや不服そうに唇を尖らせた。

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