« 十九.出そろうベスト8 | トップページ | 二十一.許し »

二十.頂上決戦

 準決勝は、飛馬対慈恩、光徳学園の加納対隼が、同時に行われた。
「椎名っ!頑張れっ!」
「慈恩!ここまで来たんだ、あとはぶつかるだけだ!」
「おもしか行け、飛馬っ!」
 始まる前に、試合場の外での激励合戦も派手な戦いが繰り広げられた前者に対して、後者の試合場は、先ほどと同じように片側のみの激励となっていた。
「二年に負けんな!」
「昨日のカリ返せ!」
 にも関わらず、先に決着がついたのは、こちらだった。しかも応援では圧倒的に負けていた方が、開始早々加納の構えた竹刀を払い落として鋭い面を一本決め、焦って取り返しに来た小手を難なくかわし、そのまま小手抜き小手を決めた。試合時間にして一分七秒という短時間だった。準決勝にして見せつけられた圧倒的な展開に、光徳学園サイドは完全に沈黙してしまった。借りを返すどころか、自分たちの大将である人物が昨日よりずっとあっけなく負けてしまったのである。しかも、相手は副将だった少年だ。
「馬鹿な・・・・・・」
 かなりのショックを受ける光徳学園を尻目に、隼はとっとと礼を済ませ、さっさと隣の試合見学に回った。
 こちらは対照的だった。0-0のまま二分が経過し、そのあとも激しい攻防はあるものの、どちらも一本につながる攻撃にはならずにいる。
(強い!攻撃が全部読まれる)
 面の奥で、慈恩の通った鼻筋を汗が伝った。慈恩がよく取る下段の構えは、飛馬相手には無理だった。技が臨機応変に繰り出されるので、いつでも止められるようにしなければならない。かといって、自分の出す技は瞬時に読まれ、返す体制に入られてしまう。ここまでこちらの動きを読めるということは、よほどの試合経験を積んでいる証拠だ。慈恩も相手の技に先んじて抜いたり返したりしているのだが、それでも止められてしまう。自分が全くスタンダードな戦い方をしているとは思わない。しかし、どんなパターンも飛馬の頭の中には入っていて、そのどんなパターンにもすかさず対応できるだけの技量を持っているのだ。何とか互角には持ち込んでいるものの、これほど強い相手と戦ったことは、ここしばらく慈恩の記憶にはなかった。
(どう戦ったら、こんな相手に勝てるんだ)
 打ち込まれた竹刀を食い止めながら、互いに引き技を繰り出す。そして、それを同時に飛びすさって避け、再び構え直す。そこへ一瞬たりとも間をおかず、飛馬が上段から飛びかかって来た。振り下ろされる竹刀を必死に受け止め、流すために二歩、三歩とあとずさると、そのままぐいぐい押され、試合場の隅まで追いやられる。右に逃げて再び引き技にいこうとするが、仕掛けたのは相手が先だった。強引なまでに踏み込んでくる。
「慈恩・・・・・・!」
 しんと静まり返る中、祈りに近いような、ハスキーボイスが微かに聞き取れた。
(そんなに思い詰めたら、ストレスになるだろ、馬鹿)
 ただでさえもひどいストレスを、与えてしまっているというのに。
 心配する気持ちと同時に湧き上がるのは、安心という嬉しさでしかないのだけれど。だから、慈恩としては本当に精一杯にやっているのだが、こればかりはどうしようもない。正直、相手が一枚も二枚も上手だ。斗音情報によると、隼はこの実力者と五分五分の戦いができるらしい。ということは、自分と隼の間には、まだ明らかに差があるということだ。どう見たって、慈恩が押されて、ラインぎりぎりにいる方が多かった。
「三分か。どんなに持ちこたえたって、個人戦に引き分けはない。決めることができなければ、延長に入っても苦しいのは椎名だ」
 篠田が苦い顔をする。篠田とでも互角に戦える慈恩だが、恐らくこの飛馬という少年は、若い分自分より勢いがある。体格も、篠田を上回る。技術で言えば慈恩も勝るとも劣らぬものを持っているのだが、経験とパワーで明らかに劣る。それがこの試合の差だった。
「俺が見た中で、こんなに上手い椎名は初めてだ。俺と戦ってる時の椎名だったら、あいつにここまで取らせずに粘ることなんて、できてないと思う」
 如月高校剣道部部長の言葉は、一縷の望みにすがるものであると同時に、絶望を予感させるものでもあった。その言葉が真実であれば、ベストの戦い方ができているにも関わらず、これだけ攻め込まれているということになるのだから。
(頑張れ、頑張れ、頑張れ!)
 指が白くなるほど強く握り締めた拳が震える。いつも慈恩が負けそうになる時、斗音はこんな状態だが、今回ははるかに複雑で、その分思いが強い。執行部をやっていたせいで、慈恩がどれだけつらい練習に耐えてきたことか。このインターハイに全力で臨むために九条との決着をつけようとして、椎名の家を出るにとどまらず、如月高校まで出なければならないという選択を強いられ、どれだけ苦しかったことか。その上、今まで家族だと思ってきた人たちが、全くのあかの他人だったのだという真実を突きつけられて・・・・・・。それでも、その思いを乗り越えて、こうして今、最強と目される相手と全力で戦う慈恩が、誇らしくて、誇らしくて、それと同じだけつらかった。自分が何かすることで慈恩が勝てるというのなら、何でもできた。しかし、今斗音にできるのは精一杯祈ることだけだった。
(厳しい練習してきたんだ!慈恩ならまだ絶対できる!)
 斗音の思いに同調するかのように、仲間から小声の檄が続く。
「そうだそうだ!考えて行け!たぶん頭脳ではお前が上だ!」
「近藤さんのしごきに耐えてきたんだから、強気でいけ!」
「おいこら、誰がしごいたって?」
 それらの密かな応援のひとつを近藤が咎めるが、発言者は肩をすくめて、淡紫色の髪を揺らした。
「ほんとでしょ?それにほら、そんな小さなことにこだわってる場合でもないし」
「む・・・・・・」
 そんなやり取りの間も、如月陣の視線は慈恩から離れることはない。その祈るような視線の前で、必死に慈恩は応戦していた。隙のない牽制から飛び掛ってくる飛馬を払い、流し、かわし、受けた。
「あと三十秒・・・・・・相手も焦ってるはずだ・・・っ」
 必ず隙が出るはずだと、祈るような若園。その隙を、慈恩なら決して見逃さない。
(でも、その隙がない・・・・・・)
 斗音にも分かる。飛馬も、慈恩を決して過小評価してはいなかった。威厳に満ちた構えにも、パワフルなのに技巧的なその技にも、付け入る隙が全くない。むしろ、延長戦でも何でも来い、と言わんばかりの堂々とした戦いぶりだ。延長戦に入ったとしても、最後まで戦い切れるだけの練習を、彼も積んできているのだ。
「やああああああっ」
「っ・・・」
 勢いよく七段の連続技で面を打ち込まれ、どどどっと白線ぎりぎりまで後退を余儀なくされる。
(足が出るっ)
 踏みとどまって、引き技に移るために相手を押し返そうとするが、ここで勝てない。飛馬の力が、ぎりぎりと竹刀にのしかかり、逆に体勢を崩された。
(なっ・・・・・・)
(あっ!)

「あっ」
 慈恩の心の声と、斗音の小さな心の悲鳴と、篠田のこぼした声は同時だった。
「とぉおおおおおおおっ」
 咄嗟に左後ろに仰け反るようにした慈恩の喉元を、容赦ない勢いで飛馬の竹刀が襲った。
「うわ」
 慈恩の身体が突き崩されて、がくんと膝を折った。ばっと上がったのは、飛馬の赤旗。
「・・・・・・いってぇ・・・・・・」
 翔一郎が顔をしかめた。
「突あり、一本!」
 残り時間は、わずか十数秒程度。それを目の端で捉えながら、慈恩はげほげほと咳き込んだ。
(反らしてなかったら、骨砕かれてるんじゃないか、今の)
 竹刀を持たない左手で防具の上から喉をさする。竹刀が全く間に合わなかった。三分五十二秒の真剣勝負で噴き出した汗の中に、冷たいものが混じる。
(構え様に行くと見せかけてかわさせたところを狙う。それがラストチャンスだ)
 立ち上がって呼吸を整える。自分の技術に、それなりの自信はある。しかし、この相手にはそれがことごとく打ち返された。最後の十秒足らずという短い時間に、己の力量が試される。不思議と、緊張感に包まれた心が高揚した。
「二本目!」
 互いに中段の構えになるや否や、慈恩が鋭く踏み込む。読んでいたように、飛馬は軽く右足を引いて竹刀の切っ先で慈恩の小手狙いの竹刀を流す。そしてやおら竹刀を振り上げて、今度は飛馬が踏み込んだ。小手抜き面だ。慈恩は軽く左足を引いてその竹刀に空を切らせる。そして流されたふりをしていた慈恩の竹刀がそのまま飛馬の胴を狙った。
「うまい!」
 楠が思わず口にする。しかし、その半瞬後、信じられない速さで空を切ったはずの飛馬の竹刀の切っ先が下がり、慈恩の胴を止めた。踏み込みの勢いがなかった慈恩の竹刀は軽々逸らされ、更にぐっと握り直された飛馬の竹刀は、その流れで慈恩の胴を狙う。慈恩も意地でそれを食い止めた。何度目かのつばぜり合いである。そして、この試合中でつばぜり合いを制していたのは飛馬だった。どうしても慈恩がパワー負けして、先に引き技を出されてしまうためである。
(だったら、これでどうだ!)
 がっちり組み合ったつばを、軽く自分の方に引き寄せる。
「!」

 今まで力ずくで押さえ込んできた飛馬が、その勢いで微かに慈恩の方に重心をかしげる。その一瞬のバランスの乱れを利用して、競り合っていた飛馬の竹刀を己の右下に、強引に払い落とす。そして返す竹刀が飛馬の左胴を襲った。
 
ビィイイイイッ!

「やめっ!」
 
ぱしぃんっ!と、小気味よいほどの打撃音が響いたのは、試合終了の合図の直前か直後か、といったところだった。同時に行われていた試合の中で、最も時間をかけたこの準決勝の勝負の行方に、会場中が息を飲んだ。副審が一人、白旗を上げた。しかし、もう一人の副審と主審の旗は上がらなかった。
「勝負あり。1-0で出雲第一高校、飛馬選手」
 審判の旗が飛馬に上がり、会場中がどよめいた。慈恩は丁寧に礼を済ませてから、高い天井を仰いだ。
(間に合わなかったか・・・・・・)
 如月高校の生徒たちはみな言葉を呑んだ。大いに湧き上がる出雲第一高校とはまさに対照的に、完全に沈黙に支配されていた。
(・・・・・・あと、一息だったのに・・・・・・)
 悔しさに唇を噛みしめると、ただでさえも血の気の薄かった斗音のそれは、白くさえ見える。ずっと力を入れっぱなしだった細くて長い指は、こわばってかすかに震えていた。
「すげえな、慈恩は。全国大会の優勝候補とここまでの戦いができるんだから」
 感嘆の溜息をこぼしたのは嵐だった。初めから負け試合となる可能性は高かったけれど、それでも最後の最後まで諦めずに、抵抗して見せた。それだけの力が慈恩にはあるのだ。
「むしろ、そんな椎名に勝っちまうあの飛馬の方が大したもんだ」
 楠が肩をすくめると、うめくように橋本が言葉を漏らす。
「隼はこんなのと五分五分の勝負ができるのか。やっぱ化け物だな」
 ずっと力を入れっぱなしだったのだろう。ふう、と小さな溜息をついたのは、篠田だった。
「彼にはスキルがある。飛馬くんより技術と経験が勝っているから、パワーの差が相殺されるんだろう」
「道場の息子は、それだけ厳しい練習を積んでるってことか」
 嵐がつぶやいた。斗音がうなずく。道場の息子だから強いのではない。道場の跡取りとして稽古を余儀なくされ、強制され、でもそれから逃げなかったから強いのだ。そうしてつけた実力を非難する出雲第一の面々は、己のプライドが先に来てしまって、その事実を見落としているわけだ。いや、年下の彼に己のプライドを傷つけられ、不愉快な思いをするのが許せないのだろう。だから敢えて見ようとしていないのかもしれない。
(如月にだって、そういう奴らはたくさんいた。出雲第一も同じなんだ)
 人というものの悲しさなのだろうか。狭量な人物であればあるほど、そんな思いは強いに違いない。その証拠に、今井や近藤ら如月というある意味エリート高校でリーダーをはれるような人物は、年下であろうがなかろうが、力量のある人間を認めることができる。しかし、瓜生らのような素行の悪い連中・・・・・・特にそのとりまき連中は、それができない。
 自分はどっちだろう、と、思わず斗音は考える。たかがテストの順位ごときで発作を起こすほど、プライドが高い。慈恩の本当の力を認めることができていない証拠かもしれない。慈恩にできて自分にはあまりできないことはとても多い。でもそれだけは自分の方が、とうぬぼれていた。逆に、自分に勝てないことが多い分、その一点に懸けていたのかもしれない。そうだとすれば、なんて狭量なのだろう。なんて小さな人間だろう。
「お疲れ、慈恩。ラストの一本、惜しかったなぁ」
 面を外しながら近づいてきた慈恩に、真っ先に声を掛けたのは、翔一郎だった。続いて瞬が天使のような笑顔で迎える。
「すごいよ、あと一秒あったら、延長戦に突入してたよ!ちょ――かっこよかったぁ!」
 ぐっしょり濡れた手ぬぐいを取って、ぺたりと寝てしまった髪に手ぐしを入れながら、慈恩は苦笑した。
「強かった」
「その優勝候補が、きっと冷や汗かいてるぞ」
 ふっと笑って、近藤が慈恩の肩を勢いよくたたく。
「たっ」
「よくやったな。如月高校初のベスト4進出だ。最後に準決勝で自分の部の仲間が戦うのを目の当たりにできて、俺はほんとついてる。お前のおかげだ」
 近藤に続いて、剣道部の面々がわらわらと慈恩に駆け寄り、目一杯慈恩をはたいた。
「ほんとだ、よくやったよ!お前は強い!」
「お前は如月剣道部の誇りだぞ!」
「あたたっ、痛いですって!」
 たまらず慈恩が声を上げるのに、斗音はこわばっていた表情を和らげ、くすくす笑って、タオルを差し出した。
「お疲れ」
 目の前に差し出されたタオルに気づいて、慈恩が斗音と視線を合わせる。
「・・・・・・ああ」
 柔軟剤のフローラルな香りのする柔らかいそれを受け取って、その笑顔に安堵する。
「サンキュ」
 その言葉に、斗音もふわりと花のように微笑んだ。負けてもこんな顔を見せてくれるのか、と、改めて思う。
「ごめんな。勝てなくて」
 斗音はわずかにかぶりを振った。
「今の試合を見て・・・勇気付けられないわけ、ない」
「・・・・・・そうか」
 自分がこれまで剣道を頑張ってきた、その根本的な理由。
『俺、絶対頑張って勝って、あいつを元気付けてやるんだ』
 まだ幼かった自分の決意。忘れたことなどない。過去も今も、そして・・・・・・きっと、離れてしまったとしても、変わりはしない。
「よかった」

 慈恩の表情に、安堵の微笑と翳りが、同時に浮かんだ。

 あくまで決勝は最後に行うというのが、暗黙の了解であったらしく、慈恩はしばらくの休憩を挟んで三位決定戦で香川県光徳学園の大将である加納水樹と戦うことになった。同時に五位から八位までを決める決定戦も行われた。
 飛馬と堂々と四分間戦い抜いた慈恩は、精神的に高揚した状態でその試合を迎えることになり、片や加納は一学年下の、副将だったはずの少年にあっさり負けたという精神的なマイナスを抱えて試合に臨んだ。その差は埋めようもなく、第五シードが第二シードを打ち負かすという結果は必然のまま実現された。そしてその2-0という結果は、またしても如月高校の応援団が大興奮の渦を作るという結果を招くことになった。彼らの誇りである慈恩が、如月高校剣道部史上初の全国大会3位という事実を圧倒的な強さで打ち立てたということが、否が応にも彼らの心を沸き立たせたのだ。
 そして迎えた決勝戦。広い会場の真ん中の試合場で、会場中の視線を集めて、白の隼と赤の飛馬が向かい合う。
「今年も決勝は出雲第一同士か。ま、去年は三位まで出雲第一が独占してたから、それを思えば今年は結構波乱があったよな」
「なんたって、今まで大して出てこなかった如月の、しかも二年が三位だもんな」
「さて、お前、どっち応援する?」
 会場のあちこちでそんな会話が飛び交っていた。如月の応援陣も例外ではない。
「慈恩が負けてるからなあ。飛馬がやっぱ強いってとこ見せてもらいたい気もするなあ」
「いや、でも隼面白い奴だし、なんか応援してやりたいな」
「そうだよな。どうせ出雲第一は全員で飛馬の応援するんだからなあ」
「ちょっとあそこ、露骨過ぎるよな」
 出来過ぎ集団プラス慈恩は、言われるまでもない。
「隼っ、頑張れよっ!」
「慈恩の敵とってやれっ!」
 ある意味こっちも、十分露骨である。身近にいたし同じ二年生だし、彼には同情の余地も十二分にあった。親しい隼を応援するのは、ごくごく当たり前の選択といえるだろう。
「始め!」
 審判の声も気合のノリが違った。合図と同時に二人が構える。全く同じ、下段の構え。
(あの飛馬さんに下段・・・・・・?)
 互いに戦い方も何もかも、知り尽くした相手だ。そして、どちらも隼の家が営む道場で、隼の父を師に持つ。
「隼、お前、わかっちょーだらな。飛馬はこれが最後じょ」
「お前は来年があるだら」
 出雲第一からひそひそと、それでも聞こえるように発せられる声は、そっち一辺倒である。
「何だあれ。八百長で負けろって言ってんのか?」
 嵐が思わず形のよい眉をしかめた。
「あの言いっぷりじゃあ、まるで飛馬が実力では勝てないような印象を周りに与えかねないよね」
 瞬も花弁のように可愛らしいはずの唇を、感情に任せて突き出している。
「飛馬にしても、むしろ迷惑じゃねえのかな」
「去年の二位が飛馬だったんだろ?その時も、やっぱり三年生から飛馬にあんな野次飛んでたわけ?」
「ううん、今年ほど気にしてなかったけど、こんな言葉掛けられてなかったと思うよ」
 翔一郎の疑問に、昨年のインターハイを見に行っていた斗音が答える。
「でも・・・・・・そういえば、隼と去年優勝した出雲第一の三年生との準決勝はなんかあんまりいい雰囲気じゃなかった」
 これほどひどくはなかった気がするけど、と、さらりとアッシュの髪を揺らして首をかしげた。
「要はターゲットが隼ってことか」
「道場の跡取りだから、上手くて当たり前、練習も人の倍できるってわけか」
「自分たちがずっと通ってた道場だから、余計小さい頃からそういうの、根に持ってたのかもしんないね」
 瞬が小さく溜息をついた。
「可哀想だな。あんなに明るくて天然で面白くて、人好きのする奴なのに、きっと部活では居心地悪いんだろうね」
 斗音は、心臓がズキ、と痛んだ気がした。自分一人がつらいような顔をして、散々隼に大切な時間を割かせた。この大切な試合の前に。それでも隼は自分を力づけてくれたのだ。
(勝って欲しい。俺なんかのためじゃなくて、自分自身のために。出雲第一の野次になんか、負けないで欲しい)
 試合会場の中は、次第にしんと静まり返っていった。出雲第一の面々は全て飛馬の勝利に期待をかけ、その他の観客は、それぞれこのレベルの高い試合を、固唾を呑んで見守っていた。
 試合そのものは、なかなか動きを見せなかった。どちらも相手の出方をうかがっている。よく分かっているからこそ、相手が動いたのを見てその技に先んじようとしているのだろう。それだけで一分強が過ぎてしまった。
 先に動いたのは隼だった。ゆらり、と竹刀が揺れ、同時にその身体もしなやかに揺れる。どこに何が来るのか分からない動きだ。飛馬がやや竹刀を上げる。それを見透かしたかのように、ダン、と隼が踏み込んだ。飛馬の竹刀が来るべき隼の竹刀が描くはずの軌道に合わせて、それを止めようと動く。隼の竹刀はさほど早くもない動きで、彷徨うように飛馬の構えた竹刀の下で揺らいだ。それがするりと飛馬の左小手に吸い寄せられる。待ってましたとばかりに飛馬はそれを開き足で、右足から斜め右後方に退きながら、左拳を外側にひねるようにして竹刀の先を下げて、その左側で応じる形を取った。
(返し小手が来るぞ)
 慈恩の鋭くなった目が厳しくその動きを見極める。その視線の先で、隼が、もう一歩強気で踏み込んだ。そして次の瞬間、飛馬の竹刀が斜め左に跳ね上げられ、跳ね上げたその竹刀が、場内がどよめくよりも早く、飛馬の左小手を厳しい音で弾いた。
(払い・・・・・・小手)
 おぉっ、と会場全体の空気がどよめく。
「は、はやっ!」
「なんか、隼がゆらゆらっとしたような気がしたけど、そのあとダンッ、ダンッって踏み込んだと思ったら、一本決まってんだもん。よく分かんなかった」
「あの飛馬から、あっさり一本取りやがった。ほんとに五分五分なのか?」
 その隼の踏み込みの一瞬の攻防で、どれだけ高度な技が繰り出されていたかということを、はっきり見切れた人物は少なかったに違いない。慈恩は背筋がぞくりとするのを感じた。
(隼は最初からこれを狙っていた。いつもはあのタイミングで本当に小手に行ってるんだ。飛馬さんの防御に迷いがなかった。それを利用して、返し小手が来るように仕向けておいてから、それに応じる払い小手。いざという時のための対飛馬さん用の技を、ずっと前から仕組んでいたんだ)
 この一瞬をつくための技を、同じ学校だからこそ培ってこられた布石で見事成功させた隼は、そこからひたすら防御の体制に入った。その防御も全く隙がない。飛馬は非常に積極的に、前へ前へと出てくる。焦ることもなく、様々な技を繰り出し、どんどん踏み込んでいく。時折返し技を出そうとする隼だが、それも上手に止められている。やはり飛馬とは普段、五分五分の戦いをしているように見える。たちまち残り三十秒となった。
「おい、やばいんじゃねえの?飛馬、一本返せねえよ」
 飛馬応援側の者たちが、徐々にざわつき始める。中でも一番焦りを見せているのは、飛馬本人ではなく、出雲第一高校応援席だった。密やかに、独り言に近い感覚で、彼らは彼らの仲間に向かって声を掛けていた。
「飛馬、頑張れ!」
「勝つのはお前じょ!お前しかおらんだら!」
「隼、先輩に華持たせやれ!」
 それに応えるわけでもなく、飛馬は変わらず積極的に自分のペースで攻める。隼はそれを止めずに、全て流したりかわしたりして、一歩飛馬が隙を見せればいつでも返し技に入れるようにし始めた。飛馬とて、隼相手にそう簡単に連続技を持っていけない。しかしながら、二段三段の技を持ってしないと、この完全な隼の防御体制を破ることはできそうになかった。本人もそれは重々承知だったのだろう。覚悟を決めたように、上段に構えた。
「いけ、飛馬!延長戦に持ち込め!」
「あと十秒ちょっと!」
 飛馬が踏み込んで、勢いよく面を狙う。隼は当然のようにわずかに右へ身体をかわし、次いで両腕を伸ばして竹刀を上げ、面応じ面の体制に入る。しかしその前に飛馬が空を切らされた竹刀で、空いた胴を狙う。隼も素早く竹刀の先を下げ、その竹刀を流し、直ちに面を狙いに行く。ところがその面は繰り出す前にがっちりと竹刀で受けられ、つばぜり合いとなった。こうなると、パワーのある飛馬が強い。無理やり踏み込んで、隼の身体を押し戻す。隼の足が一瞬もつれそうになり、半歩退いた。そこへ力強く飛馬がもう一度打ち込んだ。わざと竹刀を狙って打ち込まれた衝撃に、隼の手の動きが鈍る。次の瞬間、飛馬の竹刀は隼の喉元を急襲していた。
「いけ!」
 隼の身体がゆら、と揺れた。その首をかすめて、飛馬の竹刀が隼の後方に突き抜けた。そこにタイムアップの合図が上がり、審判が両手の旗を同時に上げ、声を張り上げた。
「やめ!」

 試合場の隅まで追いやられていた隼と、竹刀を突き出したままの飛馬は、しばらく互いを見合っていたが、飛馬が竹刀を引いたのをきっかけに、それぞれの開始線に戻った。
 主審の旗が、高く掲げられた。
「勝負あり!1-0で出雲第一高校、隼選手」
 場内が揺れんばかりにどよめいた。
「うおおおおっ、二年がとった!」
「やった、隼優勝だ!」
「すっげえ!勝っちまいやがった!」
 如月陣もかなり盛り上がった。そんな中で、慈恩は大きく息を吸ってから、吐息した。
(最後の攻め、飛馬さんは焦った。先の試合で、俺に突を決めてたから、突に行ってしまった。隼の腕はあの力任せの打撃で、かなりダメージがあったはずだ。狙うのなら、小手にすべきだった。小手だったらあるいは、決まっていたかもしれない)
 斗音も、騒ぐのではなく息を飲んでいた。
(ほんとに・・・・・・優勝しちゃった・・・・・・)
 心臓がバクバク言っている。礼を済ませた隼は、一度出雲第一の監督のところへ行って、何やら頭を下げていたが、丁寧に小手を外し、面を外すと、如月の応援陣を振り返った。そして、一瞬視線を彷徨わせてから、斗音と目が合うとぱぁっと明るい笑みを浮かべる。斗音は思わず、派手に脈動する心臓の辺りを、手で押さえつけた。

 出雲第一陣にはかなり重苦しい雰囲気が漂っていた。誰も口を開こうとする者がいない。開けば間違いなく隼に対する非難にしかならないだろう。そして、それは言っても虚しいばかりだということは、みんなが感じているに違いない。
 
そんな中で、同じように小手と面を外した飛馬が隼につかつかと近づき、出雲第一の面子全員の目の前で自分に勝った後輩の頭をぐしゃぐしゃとかき乱した。
「よーやった。お前、かたから狙っちょったな。そぎゃん普段から狙っちょるとはさすがに読めなんだ。お前の作戦勝ちじょ」
 優しく、少し苦味を込めて笑っている。隼はクールに整った顔をくしゃりと歪めた。
「・・・・・・飛馬さん、かんにんですわ。俺、飛馬さんとこの頂上決戦で自分に後悔せえへん試合しよて決めてましてん。もちろん、絶対勝つつもりでずっとやってきたし・・・・・・それに、落ち込んではる人に、勝つて約束したんですわ。せやから、飛馬さん最後やったけど、俺、手も抜けへんよって・・・・・・」
 そんな隼の頭を、飛馬は軽くはたいた。
「何寝ぼけたこと言っちょー。手やなんか抜いてみ。俺が許さん」
「飛馬さんならきっと、そうゆうてくれはると思いました」

 にっこり笑った隼だが、この重苦しい空気の中では、心からの笑顔というわけにはいかなかった。

 宿泊先に戻ると、如月高校の面々の興奮もまだ冷めやらぬうちに、翌日試合を控えているバスケ部のメンバーは出発の予定を立て始めた。名古屋で夕方から夜にかけて練習できるように、体育館を五時から八時まで押さえてあるのだ。移動は電車で約一時間なので、五時くらいに乗れたら、十分に練習時間がある。
「試合、早めに終わってよかったね」
「まあ、ほぼ予定通りだったな。今四時十分だから、剣道部員の部屋においといてもらった荷物持ってタクシーに乗れば四時半くらいの電車には乗れるかな」
「六時には練習してるはずの徳本さんたちと合流できるな」
「じゃあ、四時半にロビー集合で」
「りょーかい」
 出来過ぎ集団プラス三名のバスケ部員がうなずいて、朝にはチェックアウトしているため、自分の荷物を預けた剣道部員の部屋へ散っていった。
 当然出来過ぎ集団四人の荷物は、慈恩と斗音が使っていた部屋に置いてある。鍵を受け取りに行った慈恩に嵐、翔一郎、瞬の順に続く。最後に斗音が続こうとして、廊下の窓からふと昨夜入り込んだ中庭に目を向けた。
(・・・・・・あれ?・・・・・・人がいる・・・・・・しかも、何人も?)
 
その情景に、何となく疑問を感じて足を止める。
「斗音?どうしたの?」
 振り返った瞬に、やや躊躇ってから小さく微笑んだ。
「ん・・・・・・何でもないけど、先に行ってて。すぐ行くよ」
「?うん、分かった」
 とととっ、と軽やかな足取りで翔一郎たちに追いつく瞬を見送ってから、斗音は昨夜外に出たところへ向かった。

|

« 十九.出そろうベスト8 | トップページ | 二十一.許し »

十字架の絆」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1084546/26976227

この記事へのトラックバック一覧です: 二十.頂上決戦:

« 十九.出そろうベスト8 | トップページ | 二十一.許し »