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十七.隼 刀威 (はやぶさ とうい)

「久しぶりやな、椎名。えーと、もう一人は如月の近藤さんでいてはりますね?直接やったことはあれへんけど、勇猛果敢ぶりはよう知っとります」
 関西系の柔らかい訛りがある。短めの髪に、大人っぽい顔つきのくせに子供みたいな表情。慈恩に劣らぬしなやかな長身を折り曲げて、優雅に礼をした。
「・・・・・・隼?」
 慈恩がつぶやくように言うと、笑顔を上げた。
「よかったわぁ、ほんま覚えてへんかったらどないしよ思たわ。お前、反応鈍いさかい」
 屈託のない笑顔に、慈恩は思わず苦笑を誘われた。
「椎名、先に行ってるぞ。ゆっくり話して来い」
「はい」
 気を利かせた近藤を見送って、慈恩は改めて一度も勝ったことのない強敵を見やった。
「今そっちのブロック、試合してるんじゃないのか?」
 隼が肩をすくめる。
「ああ、うちシードやから今頃一回戦始まるとこやろな。けど、一回戦くらいでは俺二年やし、先生出してくれはらへん。俺出んでも、先輩らで十分勝ててしまうよって。けど準決くらいからは出たいわ」
「出雲って、関西訛りか?」
 やや唐突な質問を繰り出した慈恩に、隼は、にゃはは、と舌を出した。
「俺、母親が京都やさかい、京都訛り入ってんのやわ。どっちかゆうと、出雲はじじむさい言葉やし、今の若いもんはあんま使わへんよ」
 正直慈恩はそれほどこの全国優勝常連の少年と話したことがあるわけではない。しかし、今までそれぞれの代で最高学年として二度戦っているので、それだけでかなり心通わせている部分がある。
「如月は順調に勝ってはるやん。さすが、椎名がおるだけあるわ」
「団体戦はそういうもんじゃないだろ」
「何言うとん。強い奴があとに控えとったら、みんな強気になれる」
 隼がにぱっと笑う。
「如月、去年は二回戦で消えてもうたし、俺楽しみにしとったのに。今年は決勝まで来れそうなん?」
 最初から自分たちが決勝に行くのは決まっているような言い振りである。慈恩は肩をすくめた。
「とりあえず目標をやっと突破したってところだよ」
「へ?ああ、去年二回戦敗退やったから、今年は二回戦突破が目標か。なぁんか、安直やなぁ。目標はもっと大きゅう持ったらええやんか」
「大将クラスを緒戦で控えに温存できる出雲第一とはわけが違う。俺だって、三年生相手となると勝てない相手はぞろぞろいるし、近藤さんも、全国ではまだまだ無名に近い。ここまで勝ち残れるだけでも本望だ」
「ふぅん・・・・・・せやったら、今日は手合わせできへんか。残念やわぁ」
「負けるって決め付けるなよ。まだ終わってないんだから」
「お前、脳みそのできばえええくせに、勝てへんゆうたり負けるてゆうなてゆうたり、矛盾しとらんか?」
 心の底から残念そうだったり不思議そうだったりする隼に、慈恩は苦笑せざるを得ない。悪気がないから尚始末が悪い。
「とりあえず勝つために全力を尽くすさ」
 結局それしかない。隼もうなずいた。
「期待して決勝で待っとるさかい、勝ち残ってや。俺、お前と対戦すんのが一番楽しいんや。上の学年やとたまに負けることもあるけど、パワーで押されることがほとんどや。そやさかい、お前ほど、次に何出しよるか分からん、ハラハラさせられてわくわくさせられる奴はおらん」
 切れ長の瞳を無邪気に細める。外見はいい男なのに、中身が子供っぽい上、この訛りっぷり。それが逆にこの少年の魅力だろう。その隼がポン、と手を打つ。
「そや、おまんとこの双子の弟、今年も来てはるん?」
「・・・・・・弟?」
 ひどく予想外の台詞に、慈恩は思わず問い返した。隼は一生懸命思い出しながら身振り手振りをつける。
「ほら、色の白いべっぴんさんや。こう、ちょっと髪の毛の色も薄い・・・・・・なんちゅうんや、ああゆうのは?俺アホやし、分からへん。んーと、頼りなさそーな、女みたいな身体つきの・・・・・・」
 斗音が聞いたら、さぞかし気を悪くするだろう。慈恩は思わず笑みをこぼした。
「斗音のことか。斗音は・・・俺・・・の・・・」
 兄だ、と言おうとして、いっきに心を暗い雲に支配される。急に翳った慈恩の表情に、隼の方が驚く。
「どないしてん?俺の・・・・・・て、何や?」
 兄ではない。双子でもない。人にそんなことを言うつもりはないが、その事実すら忘れていた慈恩は、気分がぐんぐん滅入っていくのが自分でも分かった。とりあえず微笑で取り繕う。
「あいつは、兄だ」
「あれ、うそぉ。兄貴?へえ、何か信じられへんな。俺、どこで聞きまちごうたやろ。そやけど、双子とは思えへん。ほんっま似てへんなあ」
「・・・・・・ああ、よく言われる」
 当然だ。まったく血のつながりなどないのだから。斗音はあの父と母から生まれた、望まれた命。自分はあの若い絢音と、未だ見も知らぬ、父とも認められていない男との間に生まれた、疎まれた命。
 ますますテンションの下がっていく慈恩を見て、隼は関西に近い地域の性なのか、明るく盛り立てるように話し始めた。
「なあ、椎名。俺、小学校で初めてお前と対戦して、その兄貴初めて見た時な、女の子や思て、都会にはえらいかわええ子がおるもんやて感心したんや。男やて聞いてショックやったわぁ、ほんま。一応一目惚れゆうやつや。その日のうちに幼い隼少年は失恋してしもたわけや。憐れやろ?」
 な?と同意を求めながら、カラカラと笑う。
「毎年お前が全国に来るたんびに、そのこと思い出すわ。ほんで応援席に目がいってまうんや。さすがにもう女の子には見えへんけど、いつ見てもやっぱべっぴんやなあ。あないな女の子おったら、俺絶対彼女にすんのやけど、最初にそんなべっぴん見てもうたのが運のつきやわ。あとがスッポンに見えてしゃーない」
 あ、もちろん似とらんでもお前もええ男やで、と付け足す。心の中のものを隠しもせず、おおっぴらにネタにしまくり、ちゃんと相手も立てようとする隼は、きっと人気者だろう。慈恩はようやく自然な微笑みを浮かべた。それを見て、隼もにかっと笑う。
「なんやよう分からへんけど、心ん中のもやもや、試合に引きずったらあかんで。もし万が一、そのこと思い出してもうたら、今の俺の話思い出してや。笑えて、リラックスできるやろ?な?そんで俺とやろうや」
 隼も、ただの変な奴ではない。しっかりライバルを元気付けるのだから。逆に言えば、それだけ自分に自信があるのだろうが。
 ふと柱の時計に目をやって、隼はやや慌てた。
「あ、あかん。俺、出してもらえへんなら如月見に行くわーとかゆうて出てきたんやけど、ちゃんと先輩の試合は応援せえゆわれとったんや。俺行ったらもう如月終わってはって、残念やったけど、お前としゃべれてよかったわ。お前、うち見に来るつもりやったんやろ?なら、一緒にいこか」
 肩をぽんぽん、とたたいて誘う。慈恩はうなずいて島根県代表
を見に向かった。

 出雲第一高校の試合を、隼の案内で間近で見ることができた如月高校の大将と副将は、隼の激励の言葉に見送られてその応援席を出た。
「圧倒的に強いな、出雲第一は。さすが優勝常連校だ。一人一人が椎名と同レベルか、それを上回る力の持ち主だ。お前と話してたあの隼も、全国の優勝候補だし」
「隼の家が昔からの剣術道場なんです。小さい頃からそこに通って、みんな剣道を習っている。もちろん少年団なんかも充実してるし、剣道を志す人にとっては理想的な環境でしょう。隼自身も、今は師範の一人だそうです」
 そんな道場の跡継ぎでもある人間が、妙な関西訛りの上、斗音を見かけて、女の子と間違えて一目惚れしてしまうようなうっかり者なんてなんだか信じられない。本当に笑い話だ。
「さて、そろそろ三回戦の準備に入るか。次に勝てばベスト8だ。如月にしたら現時点での全国ベスト16が最高タイ記録。俺たちの手で新記録を打ち立てるぞ」
 近藤の目は真剣だ。やれるところまでやりたいという近藤の熱意は、慈恩にもよく伝わってくる。
「次は宮城の大河原高校ですね。昨年度のベスト8・・・・・・確実に相手、強くなってきてますね」
「先生が資料を集めてくれてるはずだ。さ、行こう」
 如月が陣取っている席に戻ると、既に選手は集まってきていた。その中心に篠田がいる。
「お帰り。いいもの見せてもらえたみたいだね。お前たち、最前列で見てただろ」
 くすくす笑って、顧問は手招きする。
「さ、三回戦のことに頭切り替えよう。宮城県代表、大河原高校。まず先鋒で出てくるのが藤宮くん。小柄でスピードがあって、四分間動き続けることができるスタミナと、技術の持ち主だ。まあ、本来でいけば次鋒レベルかな。若園のスピードを一・五倍にして、技術は橋本レベルって感じかな」
 選手五人が、あとずさる。
「次鋒レベルでそれっスか」
 若園の声が裏返る。篠田は苦笑した。
「まあね。で、次鋒は浅井くん。去年個人戦で二年生にしてベスト16に入ってる。椎名、去年個人戦で当たって、彼に勝ってベスト8になったんだよな。もちろん、最後の夏に掛ける意気込みは半端じゃないと思うよ。まあ、間違いなくあのチームでは副将クラスだ。中堅は岩城くん。まあ、レベルからいって橋本くらいかな。体格がいいからパワー派だね。うん、橋本のパワーが一・五倍と思ってくれ。この子でこのチームなら先鋒くらいの実力かな」
 はあぁ、と橋本が溜息をついた。
「勝ち目、あるのかなあ?」
「作るしかないだろ」
 近藤が渋い顔をする。篠田はにっこり笑って続けた。
「で、副将が瀬田くん。とにかく実力がある。自分で打って出ても一本取れるし、返し技の切れ、鋭さ、どれも椎名とタメだね。パワーもある。ま、その力からいったら間違いなく大将だ」
 慈恩は軽くうなずく。
「そして大将は臼井くん。身長は椎名より少し低いくらいだけど、すごく筋トレしてて、さっき見たけど腕の筋肉とかすごいよ。だから竹刀の動きが尋常じゃない。椎名と同じくらい速いよ。それをこれまた四分間続けることができる。かなり強敵だ。まあ、相手校の中では中堅レベルだけど、うちにいたら・・・・・・ってとこだね。さて、そこでだ」
 不穏なことを口にしながら、それでも彼らの信頼する顧問はにこっと笑った。
「本来の実力では間違いなく相手が上だ。だから、それぞれのアドバイスは一番勝ちを取れる可能性が高い作戦でいくよ」
「はい」
 五人の返事は最も簡潔で、とても信頼に満ちていた。その表情を見やってから、篠田はまた微笑んだ。
「よし。じゃあまず若園」
「はい!」
 真摯な瞳で、篠田を見つめる。
「スピードは追わずにテクニック対テクニックだ。自分より上手は、二回戦で経験した。その経験をいかに活かせるかがこの試合の課題だ。相手の裏をかいて相手に先じろ」
「はい!!」
「次に楠」
「は、はい・・・・・・っ」
 慈恩と近藤の如月二強がいるため、副将と大将の座はこの二人以外が務めたことはない。だから、楠にしてみれば全国大会に出てくるような、しかも副将クラスの選手とは対戦したこともない。しかし篠田はにっこりのままである。
「さて、はっきり言おう。浅井くんに楠が勝てる確率は正直かなり低い。それほど実力の差がある。たったひとつ、狙うとしたら」
 言って楠の額を軽く弾いた。
「上段に構え終わった瞬間だ。思い切り面に行け。彼の構えは上段だ。二回戦で椎名が見せた最後の一本と同じタイミングで入れば、浅井くん相手でも必ず一本は取れるだろう。それをとにかく守り抜くんだ」
 具体的な策が授けられ、やることがひとつに絞られたからだろう。楠の瞳に決心が宿る。
「はいっ!」
「それから、橋本」
「はい!」
 橋本が緊張を帯びた、ぴんとした声で応える。篠田はうなずいた。
「いい返事だ。橋本が最も実力を発揮できるのは、適度な緊張感を伴って、それでいて自然体でいられる時だ。その気持ちのまま臨めば、先鋒レベルの相手には絶対勝てる。なぜなら、普段中堅を勤めている分、お前の方が勝たなければならない切羽詰まっている経験を何度もしているからだ。あと、ついでに言えば、相手がパワー全開で来る時は、かなり大振りになるから、テクニックでいくらでも補える。最強のお前で戦ってこい」
「はいっ!」
「椎名」
「・・・・・・はい」
 静かな返事は、既に決意が込められている。ここまでで判断すると、若園と楠は負けると仮定した勝負である。となると、絶対に勝たなくてはいけないのが、中堅、副将、そして大将戦だ。
「ここまでに絶対一勝はしていることが最低限の条件だ。そうでなければ、うちは一番の切り札を消化試合に使う羽目になる。一勝していて初めて五分の勝負ができる。実力レベルはそう変わらない。ただ、僕が見る限りでは椎名に分があると思う。相手は三年生で、二回戦の時と同じように、絶対に二年生には負けられないという意地で臨んでくると思うからだ。逆に言えば、そこをつくのは二年生の椎名にしかできない」
 相手は大将クラス。確実に勝つために出てくる副将だ。逆にそんな気負いもあるかもしれない。どちらにしろ、最初の二試合が厳しい分、近藤につなぐには、自分が勝つしかないということだ。
「いつも通りのお前で行け。お前は十分強い」

「・・・・・・はい」
「そして、近藤」
「はいっ!」
 勢いのいい近藤の返事は選手たちの背を押し出すようだ。篠田はにっこり笑った。
「うちのパワー№1はお前だ。相手の最も自慢の筋肉パワーを完全に打ち負かしてこい。相手はあくまで本来の中堅。パワーとギリギリの試合を勝ち抜く精神力で相手を上回れるのは、お前しかいない」
「はいっ!!」
「じゃ、防具つけて準備しようか」
 生徒たちと同じように緊張感を帯びていた篠田は、またいつもの柔らかい笑みを表情に載せた。
「ねえ、先生」
 応援席から今井が問い掛けた。呼ばれた剣道部顧問の教師は肩越しに振り返る。
「相手は結構メンバー入れ替えてきてるんですね」
 人好きのする笑顔で、篠田はうなずいた。
「そうだね。剣道は途中でメンバー変えるとしたら、控えと入れ替えることしかできないからね。いろんなことを想定して、必ず勝てると思うところに最強の選手を置くんだ」
「相手は次鋒戦と副将戦で勝つ気なんですね」
「まあ、そうだね。あと、先鋒かな。先鋒で勝つか負けるかでは、かなりあとの選手の負担が違うから」
 いつもの柔和な笑顔が、自信ありげである。斗音も思わず質問した。
「だったら、こっちも先鋒を橋本先輩、次峰を慈恩、中堅を近藤さんとかにしたら、かなり最初に三勝取れる確率が高いんじゃないですか?」
「そうだね。でもそうなると、万が一前半戦で一人こけたとき、勝てる確率が激減するんだ。若園と楠で、副将と大将を相手にしなきゃいけない。今回にしても、若園に与えた課題、楠に授けた攻撃、どれも可能性は低いけど、勝てる見込みがなくはない。可能性の低い試合でも、二つあればどっちかがもしかしたら拾ってくるかもしれない。だけど、もし若園か楠を副将に据えてたとしたら、今回の副将瀬田くんには、絶対に勝てないんだ。それくらい、全国の副将、大将クラスは強い。そう、若園や楠が椎名に勝てないようにね」
「はあ・・・・・・なるほどね・・・・・・」
 心底感心したのは嵐である。いろいろな場合を考えての最善の賭け。こういうのは剣道のみではないが、スポーツというのは頭脳戦でもあるようだ。
 コールが入り、先鋒の若園が試合場に足を踏み入れる。その瞬間、観客席に珍客が紛れ込んだ。
「今度は間におうた!あ、ちょっとお邪魔させてもらいますよって。さっき部長さんと椎名に、うちの特等席で見てもろたさかい、代わりにこっちもいい席で見学させてもらえしまへんやろか」
 言わずとしれた隼刀威であるが、剣道部以外の如月高校応援団は彼の存在を知らない。ちゃっかり最前列の斗音に声を掛ける。
「あんた、椎名の弟、あ、いやまちごうた、兄貴やろ?俺のこと、知ってはる?」
 変な関西系の訛りで、なんだかおかしなことを言う珍客に、緊張感をすっかりかき消されてしまい、斗音は大きな瞳をぱちくりさせて、まじまじと声を掛けてきた少年を見やる。防具をつけていないので、名前は分からない。しかし、慈恩と対戦したことのある相手だ。黙っていれば、結構シャープで整った顔立ちの・・・・・・
(あっ、この人!)
「隼くん!?出雲第一高校の・・・・・・!」
「ぴんぽーん。さっすが椎名の兄貴や。脳みそのできはよう似てはる。なあなあ、俺に椎名の試合、見学させてくれはらへん?」
 屈託ない笑顔で、な?と言われれば、斗音としてはうなずくしかない。少し嵐の方に寄って、今井との間を開ける。遠慮なくそこに入り込んだ隼は、にこーぉっと笑った。
「おおきに。あ、こっちの方も、おおきに。あれ?ちょっと怒ってはる?」
 如月高校生徒会長の方を見て、首をかしげる。今井は大きく溜息をついた。
「俺の心が狭いと、示しがつかねえから、怒ってねえよ」
「?それって、怒ってはるんと違うん?」
 きょとんとした表情が、大人っぽいシャープな顔に載ると、妙に子供っぽい。斗音は慌てて説明した。
「この人はうちの生徒会長。だから、うちの生徒の前では常に理想の姿でなきゃってことだよ」
 すると、隼は心の底から感嘆の吐息をこぼした。
「はぁー、如月で会長やってはるんか。すごいなぁ。頭ええんやろなあ。羨ましいわ」
 言って、また首をかしげる。
「けど、人間やしな。示しがつかんからゆうて怒らんわけでもないような気ぃする。それにえらいご機嫌斜めみたいやさかい」
(それ以上突っ込んでやるなよ・・・・・・)
 如月高校の生徒がみんなそう思った時、先鋒戦が始まった。
「さて、ここで勝ってくれたら、あとはいっきに楽になるんだけど・・・・・・」
 つぶやいた篠田に、隼が反応する。
「そら無理でっしゃろ。藤宮さん、俺一回当たったけど、あの人はすばしこうて、隙見つけたって打ち込む前にいつの間にかこっちが攻め込まれとる。先んじられへんのや」
 篠田に向かって言ったというよりは、独語に近かった。少し不安そうに斗音が見つめる。それに気づいて、隼は慌てて笑って、手をぶんぶん振った。
「あ、いやそら俺がやったときの話やさかい、しかも、二年くらい前の話やし、あんまし参考にはならへん」
 斗音と嵐がやや青ざめた。二年間、更に磨きがかかっているということではないか。
「ちなみに・・・・・・どっちが勝ったの?」
 控え目に、やや上目遣いで斗音がたずねる。隼はからりと笑った。
「藤宮さんくらいのレベルやったら、俺は負けへんよ」
 悪気は全くない。嵐が身を乗り出した。
「どうやって勝ったんだ?」
「そないなもん、応じ技しかあらへん。先にやられるんやったら、それを受けて返す。正確に言やぁ、それも相手が動いた瞬間を見計らってなできへんのやけど、とにかくそうやってこっちから隙を作るんや。椎名もそういうタイプやん。ある程度技極めとれば、瞬時に技に対応できるようになるもんや」
 言いながら、試合場で既に竹刀を交し合っている二人に目をやる。
「けど・・・・・・こうゆうたらあれやけど、先鋒戦は如月さん、勝てやしまへんな」
 さすがに今井が苦い顔になる。斗音は慌てて隼の道着の袖を引っ張った。
「ここは如月高校の応援席だよ。みんな確率低いって分かってても精一杯応援して、悔いのない試合をして欲しいと思ってる。周りにも配慮しなきゃ」
 薄茶の大きな瞳で、厳しく見つめる。一瞬瞬きした隼は、あちゃ、とまずい顔になって頭をかいた。
「かんにん・・・・・・俺、アホやさかい、剣道のことんなると己の世界に没頭して、平気で己のウンチクぶつぶつゆうてしまうんやわ。如月の皆さん、かんにんな、ほんま、このとおりや」
 周りにくるくる顔を向けて、「かんにん」を連発する。とことんどこまでも悪気のない、正直な男である。今井も仕方なさそうに吐息した。
「罰として、如月を精一杯応援してもらおうか」
 顔だけはシャープで大人っぽい少年は、ぱっと笑った。

「ほんま、そんで許してくれはる?それやったら、もともと俺、如月には決勝に来てもらいたい思てますのや。心の底からこっちの応援させてもらいますわ」
 如月高校はこうして一人応援団員を増やしたわけだが、その甲斐もなく、そして隼の予言どおり、確率の低さを裏返す結果にはならなかった。若園は必死に攻めたが、如何せん、実力の差が大きかった。
「ドンマイ、若園。一本しか取られなかったんだから、よくやったよ。課題どおり、相手をよく見てた証拠だね」
 にっこり笑って篠田が若園を迎えた。若園も、自分が負け試合になることを仮定としてアドバイスされたことは分かっている。篠田の言葉に、一言「はい」と強く返した。課題を必死に意識していたことを、誰もが悟った。
「お前の分は俺たちが絶対に取り返す。如月の団体戦の一員として、胸張って待ってろ」
 若園がしっかりうなずいたのを確認して、近藤も力強くうなずいた。
「うわぁ、近藤さん立派やわぁ。やっぱ部長はこうでないとあきまへんな」
 なにやら感動しているらしい隼に、斗音が首をかしげる。
「出雲第一の部長さんって、どんな人?」
 言われた途端、隼の笑顔が固まる。
「あ、あーと、ええ人やで?堅物で洒落もギャグも笑ってくれはらへん人や」
「お前のその説明の中に、いい人の要素はないぞ?」
 翔一郎が思わず突っ込むと、更に隼は慌てる。
「あ?おかしいな、真面目で頑固で融通きかへん人なんやけど」
「ますますダメじゃん」
 思わず瞬が吹き出す。隼はぶんぶん首を振った。
「ちゃうで。真面目って、ええことやんか」
 嵐が苦笑する。
「それもギリギリだぜ。その上、頑固で融通きかねえってのは、明らかに欠点だろうが」
「え、あかん?うわ、俺あかんことばっか、よう部長にゆうてるから、いつもどやされんのやろか・・・・・・」
「本人に言ってんのかよ!」
 全くツッコミどころ満載の客だ。そんな中、篠田がいつも通りの微笑みで、楠に声を掛けた。
「思いがけないリラックスができたな。よし、この肩の力が抜けた状態のまま、さっきの作戦で、一本集中だ。大丈夫、後ろには橋本も椎名も近藤も控えてる。さ、自分のやるべきことを、きっちりとやってこい」
「はい!」
 勢いのいい返事で、楠は試合場に向けて歩き出した。
「相手は浅井さんか。次峰で出さはるんか。確実にここで一勝ってとこやな。けど、逆に言えばこっちは上手く外してるとも言えてるわ。瀬田さんより勝ち目あるしな」
 妥当なとこや、と言いながら隼がうなずく。篠田の意図を当たり前のように汲み取っているのだ。斗音は自分の中のこの少年の認識を、改めた。
(自分でアホやアホやって言うけど、そんなことない。こと剣道に関しては、作戦も含めてやっぱり天才だ)
 大河原の副将クラスに、どうやら緊張の色はない。当然だ。負けることなど頭の片隅にすらない。
「始め!」
 審判の声が掛かり、互いに気合の声を発する。浅井の掛け声は甲高く、やや奇声に近い。そして、上段の構え。楠は、いきなり狙いはしなかった。様子を見ている。
「・・・・・・ほぉ・・・・・・」
 興味深そうに隼は試合場を見つめる。
「ええ試合になりそうやな」
 出来過ぎ集団が思わず剣道の実力者を見つめた。この少年は本音で予想する。そして、先鋒戦の予想は当てている。
(実力差で言えば、圧倒的不利のはず。これでもし勝ってくれたら・・・・・・いや、引き分けだって、あとはすごく楽になるはずだ)
 既に斗音の心臓はかなりの緊張状態である。
 浅井はさすがに強かった。とにかく攻めまくるところは、近藤に近い。しかし、近藤と違って荒々しさがなく、代わりに洗練された動きがある。それを、たった一本狙うために心に決めた集中力で、楠は必死にかわした。二分十二秒が経過したところで、ついに浅井の一本が決まった。如月高校の応援席九十九パーセントが失意や落胆に襲われた。無理もない。今まで見てきて、楠が一本取れそうには、間違っても見えなかった。
 一人だけ違ったのは、出雲第一高校の控え選手だった。ひょいと斗音の肩を組むようにして引き寄せ、耳元で囁いた。
「椎名の兄貴、見ときぃや。ここやで」
 驚いて隼を見ると、いつものおどけた顔ではない。まるで獲物を狙う鷹のような目で、にやっと笑った。
「ほら、こっち見てる間に見逃してまうで」
「あ、うん」
 慌てて試合場に目を向ける。審判が双方に視線を送った。
「二本目!」
「キェ――――――っ!」
 独特の掛け声で浅井が上段に竹刀を構えた時だった。既に中段に構えていた楠が、ダンッと踏み込んだ。
「どぉおぅ―――っ!」
 これまで、完全に受けに回って、自らほとんど仕掛けなかった楠の不意をついた動きに、とっさに浅井は反応し切れなかった。防具と竹刀が派手に音を立てる。
「胴あり、一本!」
 うぉおおおおおおっと応援席が湧いた。
「やりやがった、あいつ・・・・・・!」
 今井の声も興奮状態を隠しきれない。斗音も篠田の作戦を聞いていただけに、思わず肌が粟立つ。
「ほらな。あの人、ずっとそれ狙ってはったんや」
 隼は得意そうに言う。きっと彼の頭の中では、全く同じように自分が試合運びをしているのだ。斗音は感心どころか、尊敬に近い思いを抱いた。
「すごい・・・・・・」
 その声は、楠に対してのものではなく、むしろそれを当てて見せた隼に向けたものだったが、隼はうなずきながら笑った。
「力の差は歴然や。そやけどあんだけできるのは、大したもんや。あとはとにかく守り切ることや。おんなじ手は通用せえへん」
 相変わらずそれ以降も、浅井の攻めは厳しかった。しかし、楠はもうひとつの課題「何が何でも守りきる」を遵守した。四分が経過した時、次鋒戦は審判の「引き分け!」と言う声で幕を閉じた。
「ほんとにいい試合になった・・・・・・」
 翔一郎が呆然とつぶやいた。またしても珍客の予想は完璧である。
「ここまで一敗一引き分け。どのみち後半戦勝負か」
「でも、こっちは強い選手が残ってる」
 応援席でちらほらと声が聞こえる。返ってきた楠を、慈恩が静かに迎えた。
「お見事です」

「ごめん、結局一本取られちまった。取られてなかったら、お前らに重荷、背負わせなくてよかったのに」
 楠の息は荒い。たった四分でも、どれだけ精神的にも体力的にも消費しているのかが分かる。慈恩は軽く首を振った。
「大きな引き分けです・・・・・・特に、橋本さんには」
 既に試合場には橋本が構えている。鋭い開始の合図が響く。
「やぁああああああ!」
 冷静に、己に気合を入れる掛け声。橋本だ。それを見て、隼はほぅ、とうなずく。
「あの人、ええ精神状態で構えてはる。結構な腕の持ち主やな」
 大河原高校の先鋒も、怒声のような掛け声で、まるで己を叱咤しているようだ。
「掛け声勝負でいくと、如月の勝ちやな~」
 隼が冗談のように笑いながら言う。如月高校の生徒の中には、密かに眉をしかめるものもあったが、全くお構いなしである。
 だが橋本は、隼の言ったとおり、最高の精神状態で試合に臨んだ。やや相手の方が上手だったようだが、力任せで押し切ろうとするところで素早く引き面を決め、あとはつかず離れず、徹底的に相手の仕掛け技を受けまくった。最後まで攻められっぱなしだったが、岩城はどうしても一本橋本から取ることはできなかった。
「ほぅら」
 最初から分かっていたかのように、隼は片目をつぶった。斗音は思わず息を飲んで、全国大会常連の少年を見つめた。
「まさか、本当に掛け声だけでこの勝負が分かったの?」
 隼はにっと笑った。
「技術では大河原の中堅が上やったけど、精神的に如月の中堅が凌駕してはった。剣道は精神面が普段からいかに鍛錬されとるかや。あの緊張感と気合のバランスが取れた掛け声は、相当鍛え上げとる証拠やさかい、総合的に見て如月さんが上やと思たんよ。あと、あちらさんの中堅、あの中では先鋒くらいの実力ちゃうかな」
「へえ・・・・・・隼、お前、すごいね。俺は剣道そんなに分からねえけど、おまえ自身も相当力があるんだろうな」
 嵐が興味深そうに、綺麗な形をした唇の端だけをやや持ち上げるようにした。隼はやはり笑顔で返す。
「俺は一応椎名のライバルのつもりや。まだ負けたことはあらへんけど、あいつは本物やわ」
 言ったあとで、あんさんえらい男前ゆうか、べっぴんゆうか、イケメンやな、と付け加えた。それには嵐も苦笑するしかなかった。
 橋本が篠田の元に帰ってくる。
「よくやった、橋本。ほんと、集中してる時のお前は強いね」
「なんか素直に喜べない表現っス」
 篠田の言葉に、橋本はそれでも嬉しそうだった。そのまま慈恩に目線を向ける。
「とりあえずこれで白紙だ。一からやり直しになっちまうけどな」
「いえ、ずいぶん気分的に楽になりましたから」
 慈恩が答えつつ、近藤に視線を向けると、こちらを納得させるように強くうなずいている。それだけで十分近藤の気持ちが伝わってくる。精一杯やれ。と。
 軽くうなずき返して、慈恩は試合場に向かった。相手はまだ周りの監督や仲間と話をしている。定位置についてから、慈恩はいつものように目を閉じ、精神統一に入った。
「きばりや椎名。こないなとこで負けてまったら、俺一生恨むで」
「隼くんは、慈恩と試合がしたいの?」
 慈恩へのこだわりぶりに、斗音が思わず訊ねる。隼が、ん?と首をかしげて、それからいかにも嬉しそうに笑った。
「もちろんや!今まで二回当たったけど、小学校の時も、荒削りながらえっらい鋭い技持ってはるし、応用技も上手いし、大したもんや思たわ。特に前回、中体連の個人戦、決勝で椎名と当たったやろ?今でも覚えとるわ」
 試合場の慈恩を切れ長の目で捉え、それを細めた。
「ほんま、ぞくぞくした。こいつとずっとやってたいとさえ思た。俺の知ってるあらゆる技に、椎名は対抗してくるんや。力で撥ねのけようとする上の学年とはわけが違う。身につけた全ての技総動員したんは、あれが初めてやった。めっちゃくちゃ楽しかったんや」
 陶酔したように熱っぽく言ってから、ふと我に返る。そして、照れたようにくしゃっと表情を崩した。シャープな顔なのに、とても親しみやすく感じる。斗音はつられるように笑った。
「あ、俺けったいなことゆうてる?気にせんといてな。俺剣道馬鹿やから、かんにんな。あ、それから」
 にこーぉっと笑顔になる。
「隼、でええよ。刀威でもええけど」
 本当に剣道をやるためにつけられた名前だ、と斗音は思う。この少年の家が剣術道場であることは、慈恩から聞いたことがあるので、それほど不自然だとは思わないが。斗音もふわりと微笑み返した。
「じゃあ俺も、椎名の兄貴じゃなくて斗音」
「とおん?」
「北斗の斗に音楽の音」
 説明を聞いて、へえ、と感心したような声を上げる。
「なんや綺麗な響きの名前やな。それに、椎名、ああ、あっちな。あいつの慈恩ってのと韻ふんでる感じなんやな。双子やから」
 瞬間、斗音の薄茶の瞳に翳りが落ちた。隼が敏感に反応して、心配そうに斗音をうかがう。
「・・・・・・どないしてん?・・・・・・なんか・・・・・・さっきも椎名としゃべっててこないな感じになってもうたんやけど・・・・・・俺変なことゆうてる?」
(こんな、全然普段しゃべったりもしない人にまで心配されるなんて・・・・・・情けない)
 胸の内に巣くう憂鬱を、斗音は一生懸命振り払った。
「何でもないよ。気に、しないで」
 今井が不安定になりかけた空気を押しのけるように、ほら、と促した。
「始まるぞ」
 隼と斗音が、はっと試合場に目を向けた瞬間、開始の合図が下った。
「あちらさんは勝つしかあらへん。残ってんのは中堅クラスやろ?負けは必至や。ここでできれば二本とって勝っときたいとこやで。大将戦で近藤さんが一本しか取れへんかったらそんで勝てるし、最悪でも代表戦に持ち込みたい思たら、一秒を惜しんで攻めるしかあらへん。近藤さん相手に、そういう試合慣れしてる椎名には、絶対的に有利や」
「冷静にチャンスを待ったりはしないのか?」
 嵐の問いかけに、すっかり慣れた様子で隼は試合から目を離さずに応えた。
「やってる方にしたら、結構なごう感じるもんやけどな、実質たったの四分や。相手の出かた待ってチャンスねろとるうちに、あっとゆう間に終わってしまう。まして椎名は強敵な上、あとに近藤さんがいてはるから別に自分から仕掛ける必要あらへんのや。一本決めよ思たら、一回でも多くそのチャンスつくらな」
「・・・・・・なるほど、な」
 如月一モテる男が、ごくりと唾を飲んで、はは、と笑った。大河原高校の大将クラスである瀬田が怒涛の攻撃に出たのだ。
(勘なんかじゃない。理論に裏打ちされた理由で、この人は試合を読む)

 相手も実力者である。さすがの慈恩もやや苦戦しているように見える。嵐のように襲いかかる技を受け、流し、応じ技に転じようとしてもそれを許さないほどの猛攻だった。
「なんか、近藤が技巧派になったような感じだな」
 今井がつぶやく。その間も、慈恩は上段からがんがん打ち込まれる技に対応していた。本人はそこそこ冷静だったが、返してもなかなか隙を作り出せないのには確かに苦労した。これだけの攻撃を続けようと思ったら、相当な体力と技術が必要だ。気合とともに一本取りに来る近藤とはまた違う。
(・・・・・・強いな。気を抜くと取られる)
 そのためには一本取っておきたいのだが、それがなかなかできないのだ。
「ふうん・・・・・・椎名苦戦やな。俺、あの瀬田さんとやったことあるけど、中学校の一年の時やし・・・・・・参考んならへんもんな」
 斗音の心臓は爆発しそうなほど派手に脈打っている。
(頑張れ・・・・・・頑張れ!)
 祈るように、握り締めた手に力を込める。その状態で、長いような短いような一秒が積み重ねられていく。タイマーの表示では分単位の表示が消え、秒単位のみの表示に変わる。大河原の副将が、上段から小手に落とし、慈恩がそれを受けるが、思ったように応じられない。その隙を突いて、今度は二段攻撃の面が正面から襲ってきた。素早く右後ろに退いて空を打たせ、右足で踏み込んで面抜き面を狙う。ところが読んでいたのか、相手も慈恩とほぼ同じ動きをし、慈恩の竹刀が空を打たされた。そして次の瞬間に、瀬田が踏み込んできた。
(ちっ)
 面抜き面が来る。そう思うと同時に慈恩の身体も反応する。右足で踏み込んだ。互いの距離がぐっと近づく。
「めぇええええんっ!」
 先に打ち込んだのは瀬田である。その手の右ひじが伸びようとする瞬間、慈恩は身体をごくわずかに右にかわした。
「打ち落とし!」
 隼が小さく声を上げる。慈恩の竹刀が鋭く瀬田の竹刀の左側にかかり、瀬田の竹刀が右下に弾かれた。
「めぇんっ!」
 ばしぃっという音と、慈恩の鋭い声と、慈恩の背に揺れるのと同じ色の白旗の上がるのが同時だった。
「面あり、一本!」
 わああああっと場内が歓声に包まれる。三分間の長い攻防の均衡が、ついに破れたのである。
「よし、こんで一本。もう取られんなや」
 まるで自分のことのようにガッツポーズをして、隼がうなずく。
「目にも止まらねえ・・・・・・」
「一体今の動きの中に、いくつの技があったんだろ」
 嵐も瞬も、放心状態に近い。斗音は固く握り締めた右手を更に左手で固く包み込んで、みぞおちに押し付けるようにしていた。
(守り切れ・・・・・・早く終われ!)
「二本目!」
 審判の掛け声とともに、瀬田が素早く上段に構える。構え終わっても隙は全くない。慈恩は中段に構えた。瀬田の攻撃は速いので、下段では面や小手に間に合わない。
「とあああああああ!」
 掛け声とともに打ち込んでくる。
(くぅっ)
 その鋭さと力に、慈恩は面の奥で顔をわずかしかめた。最後まで全く気は抜けない。ものすごい精神力と持久力である。先ほどのように技を繰り出そうと思えば、それを上回る集中力が必要だ。しかし、三分強、相手の猛攻を一切自分の身体に触れさせなかった慈恩の精神力、体力は、既に残り少ない。先ほどの動きが、瞬間的にできるかどうか。
(逃げ切るしか、ない)
「あと三十秒。持たへんようでは、俺には勝てへんで、椎名」
 隼は腕を組んでじっと見つめる。斗音は固めた両手が震えそうなほど力を込めている。
「8、7、6、5、4・・・・・・」
 如月高校の応援席から、自然発生的に囁くようなカウントダウンが始まる。慈恩は最後の力で、相手の小手を竹刀のつば近くで受け止めた。がちりと竹刀がかみ合い、つばぜり合いとなる。
「3」
 瀬田がぐんっと体重をかけて竹刀を押し込んできた。それに耐えようとしたが、次の瞬間その力のまま弾き飛ばされるように、半歩後ろに下がる。わずかな隙ができる。
「2」
(やばいっ!)
 瀬田が竹刀を振り上げた。慈恩は続けて左足を斜め左後方に引いた。
「1」
「めええええええんっ!」
 慈恩の身体が瀬田の竹刀の前から消え、代わりに瀬田の右小手を慈恩の竹刀が強襲する。
「0!」
「やめ!」
 小手を打つ寸前で、慈恩は力を抜く。ぱしん、と瀬田の小手が音を立てた。
「よっしゃあああ!!」
 如月高校の応援席が湧きかえった。
 最後の小手は時間切れで無効だったが、一本取った慈恩が見事、勝者の宣告を受けた。
(か・・・・・・勝ったぁ・・・・・・)
 斗音は大きな息とともに、身体中に張り巡らしていた緊張の糸をほどいた。ふと隣を見ると、隼がシャープな目を大きく見開いて、笑みを載せた唇をわずかに震わせている。
「・・・・・・隼・・・・・・?」
「・・・・・・やっぱ、あいつええよ。最後、隙作られて取られるか思たのに、あいつそっから面抜きかましよった。俺全身鳥肌立ったわ」
 言って武者震いをする。一瞬斗音は、羨ましさを感じた。斗音には剣道の云々はほとんど分からない。慈恩の本当のすごさも、この隼のように実感することができない。
「あ~あかんわ!俺も試合したなってきた!あー、なあ、如月のせんせ、うちと練習試合組んでや~。俺あいつとやりたい。めっさやりたいんや~」
 篠田は思わず苦笑した。出雲までの遠征はいくらなんでも無理である。まして、慈恩以外で出雲第一の相手ができる人間はいないだろう。
「決勝まで残れたら、対戦できるかもしれないけどね。とりあえず目の前の一勝、ひとつずつ目指して頑張るから、勘弁してくれる?」
 この緊張した試合の中で、隼はいい緊張緩和剤である。
「近藤さん、今現在、如月の団体戦の運命は、あなたが握ってますから。あなたに二勝一敗一引き分けで回した俺の努力は、報われますよね?」
 戻ってきた慈恩が、息の荒い中、囁くように言葉を送る。威厳ある部長は不敵に笑った。
「今の一戦で、責任の重さを感じながらの、最高の精神鍛錬に励めたな。安心しろ。そんな場をこれきりで終わらせてやるほど、俺は優しくねえ」
 言い捨てて、試合場に向かう。慈恩は微笑し、隼は目を輝かせた。
「近藤さん、カッコええわぁ~。なんかゆうてることはけったいやけど、こいつやったら耐えられるてことやん。椎名のこと信頼してはるんやな。椎名もや。俺もそないなこむずかしい会話、してみたいわぁ」
 いつでも直球の隼には無理だろう、と、如月応援団は思ったが、みんな理性のある人物ばかりだったので、それを本人が自覚することはなかった。
 本来の中堅クラスを相手にした近藤は、目を瞠るばかりに強かった。大河原の大将は、篠田の情報通り、竹刀さばきの速さが尋常ではなかったけれど、その技は近藤のパワーに押し戻され、跳ね飛ばされ、隙ができたところで確実に小手応じ小手、最後は先手で思い切り打ち込んだ面に相手がひるんだ隙に、思い切り二段技の小手を決め、臼井の手からは竹刀そのものが叩き落されてしまった。
「うっひゃー、ほんまかいな。近藤さんて、正直ゆうてバケモンやわ」
 思わず声を上げた隼が、慌ててまた周りを気にする。
「あ、俺またやらかしてもうた?」
 それには嵐がククッと肩を揺らして応えた。
「それは大丈夫だ。みんな思ってるけど、近藤さんが怖くて言えないだけだから」
 ほっと胸を撫で下ろして、変な関西訛りのつわものは、にぱっと笑った。
「ほんならええわ。また如月さんの席でそそうしてもうたら、俺ここにおられへん。せっかくこの場所確保さしてもろたのに」
「よくねえぞ、隼。誰が化け物だ」
 いつの間にか全員での挨拶も終えて戻ってきていた近藤に睨まれ、飛び上がらんばかりに驚く。
「うわぁ、聞いてはった!耳まで常人離れしてはるんやなあ」
「あのな。普通そこでやばいと思ったら、何とか取り繕おうとするもんだろうが。化け物扱いに輪をかけやがって」
 勢いよく溜息をついて、大将戦の勝者が面の奥から呆れたように睨む。周りは思わず笑いを誘われた。今の今までずっと緊張でカチコチになっていた斗音も、例外ではない。
「あ、あれ?いややわ、俺よいしょしたつもりやのに」
「それを言うなら、褒めたつもりだったのに、だろ」
「そうそう、『よいしょ』は心にも思ってないことを言って、相手を調子に乗らせて陰で馬鹿にしてるってニュアンスがあるんじゃない?」
 翔一郎と瞬が思わず突っ込む。へ?と困り果てた子供のような顔をした隼に、みんなして笑いさざめいた。例外なく笑みを浮かべた篠田が、近藤の肩をポン、とたたいた。
「三勝一敗一引き分け。思った以上の戦績が残せた。如月高校剣道部初、全国大会ベスト8達成だ」
 如月チームは力強くうなずいた。

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