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四.近藤の想い

 時は半日ほどさかのぼる。

 都会の高級住宅地にこれだけ大きな土地、大きな家があるというのは、反則だろう。と、誰もが思うようなその屋敷には、九条という表札が掲げられている。

 午後六時半を過ぎた頃、その門に、大きな黒いベンツがつけ、中からその大きな門が開かれる。ベンツがその大きな庭へ入ると、まるでそれを飲み込むかのように大きな門が閉まった。

 これまた大きな玄関に車が寄り、立派な体躯の運転手が下りてきて、後部座席のドアをうやうやしく開ける。
 先のほうだけ上品にカールしたしなやかな長い黒髪を、慣れた仕草で肩の後ろへ流し、車から女性が一人、静かに降り立つ。

「ありがとう、三神」
 
年の頃は、三十くらいに見える。白い肌に、漆黒の瞳と長い睫毛が印象的な美人である。
「絢音様、お帰りなさいませ」
 玄関で女性が一人出迎える。
「雅成さんは、もう帰っていらっしゃる?」
「はい、先ほど。奥様のお帰りをお待ちでいらっしゃいます」
「そう。ありがとう」
 歩く姿は何とやら、と、美しい女性を花に例えた格言は、この女性のためにあるかと思われるほど、たおやかに開けられた玄関をくぐる。
「おかえり、絢音」
 広い居間のソファで待っていたのは、優しげな一人の男性。
「今日は、どうだった?」
 絢音と呼ばれた女性は、胸の前で手を組み合わせて、うっとりと先ほど見てきた光景を語る。
「ええ・・・・・・少しだけですけど、あの子が私を見てくれた気がしたの。とても精悍で・・・・・・貴方にも見て欲しかったわ」
 そんな絢音の言葉を、そう、と微笑んで男性は聞いている。
「お母様たちには、まだ知られるわけにいかないけれど・・・・・・今はあの子をこうして見ることができるのが、何より嬉しいの。もっと、あの子のことを知りたいわ」
 そして、ふと思いついたように言う。

「ね、雅成さんも、明日とか早めに帰ってらして、如月高校に見に行きません?」
 
一瞬、男性の顔には苦悩の表情が浮かぶ。しかし、自分の世界に没頭している絢音の方は、それに気づかない。
「僕みたいなのが行ったら、怪しまれるよ。それに、仕事もそんなに早く終わらないと思うし・・・・・・僕は君の話を聴いてるほうが楽しいよ」
「そう?残念だわ・・・・・・。部活だけじゃなくて、もっと普段のあの子も見てみたいわ。だって、部活だと剣道でしょう?最後くらいしか、顔を見ることができないの。でも、遠目に見ても凛々しい顔立ちで、背も高くて・・・・・・」
 永遠に続きそうな絢音の話を、雅成は少し寂しそうな顔で聞いていた。

   ***

 嵐の攻撃的な牽制により、斗音への非難は二割ばかり減った。もともと三年生の有志希望(しかも、オーディションに受かる自信がない者中心)の男子生徒という限定された不平分子たちは、全校生徒の中でそれほど多数を占めているわけではない。その日、斗音は心無い言葉を何度か浴びせられることはあったが、決して驕ることもなく、かといって弱気になることもなく、それらをやり過ごした。三年生の執行部の面々が中から動いているのも確かだった。
「斗音、ごめんな。嫌な思いさせてると思うけど・・・・・・」
 部活の始まる前に、いつものように執行部メンバーが生徒会室に集まっている。今井の言葉に、三年生の面々が申し訳なさそうにうなずく。
「東雲が朝、派手にやってくれたおかげでいくらかマシになったみてえだけどな」
 武知がおかしそうに笑った。ちょうど朝練の前に自分の教室にいた武知は、自分のクラスでも窓越しに斗音を見下すようにしていた輩が青ざめて、たじろいでいるのを目撃していたのだ。そこで、
「東雲か。あいつのすごいところは、低レベルな次元で言い争いをしないところだな。完全に封じ込められて、言われた方はぐうの音もでねえ」
と、付け足して釘を刺したのだが。
「それほど気になることはありません。先輩たちのおかげです」
「と、お前の頼りがいのある友達ね」
 斗音の言葉に、弓削が補足する。斗音は、肯定も否定もせず、ただ少し微笑んだ。
 改めて、今井がメンバーを座らせ、資料を配布した。
「全員受け取った?さて、じゃあ今日の本題。問題のオーディションの方法と、受付、それから部活の企画、クラスの企画。クラスの企画については、全クラスがやることになるから、学活の使い方も級長に伝達しなきゃいけない。確保できるのは二時間。申請してもらってから詰める分に関しては、各クラス裁量になる。そのことは顧問の伊藤先生から各クラスの担任の先生に了解を取ってもらってある。級長に計画させるようにしよう。申請は毎年六月末。こちらの審査を通して、承認もしなきゃいけないけど、間に合うかな?」
「いつも思うけど、それって厳しいわ。それで却下されたところは一からやり直しよ。せっかく早め早めに事を進めてるんだから、六月中旬に申請でもいいと思うわ」
 武知と藤堂がうなずいて同意する。
「けど、あんまり早くても、士気が持たないってのもあるぜ。盛り上がりに欠ける分、企画内容が希薄になるってことはないか?」
 弓削は慎重派である。今井がまだ意思を示していない慈恩に振る。

「慈恩はどう思う?」
 慈恩は少し考えてから、視線を上げる。
「六月中旬の方が、どちらにしても余裕はあるでしょう。弓削先輩の指摘されたことをどうするか、対策を立てられれば」
 うなずいて斗音が付け加える。
「盛り上げる手順を考えましょう。例えば、今までの如月祭のビデオを流すとか、こちらが挙げたテーマに沿っていた企画には、何か賞を贈るようにするとか、生徒の活動意欲を刺激してから企画の話し合いに持ち込むようにしたら?」
 今井が感心しつつも半分呆れ顔で笑った。

「よくもそうぽんぽん思いつくもんだな。なるほど、俺はなかなかいいと思うけど、みんなはどうだ」
「それなら、盛り上がると思う。アイデアを刺激されるし、競争心も煽れそうだし。とするなら、話し合いの二時間の前に、それをこっちで実行しなきゃな」
「じゃあ、その計画の担当者もいるわね」
「この時点で、既に斗音のアイデア実行決定だな」

 武知の言葉に今井がうなずく。
「もう少し、対策について吟味してから、残りのことも含めて担当者決めちまおうか。ちょっと時間押しちゃうけど、玄道、大丈夫か?」
「俺は三年だから、そう支障はねえよ。どっちかって言うと二年生の方が・・・・・・」
「俺は平気っす。前もって集まること伝えてあれば、お咎めはないっす」
 藤堂が元気に答える。慈恩は静かに伏目がちなまま答えた。
「大丈夫です」
 斗音が少し心配そうに慈恩を見遣る。近藤の慈恩に対するスパルタぶりはよく知っていた。慈恩の大丈夫、は、お咎めはあるが、その試練に耐えることができるから大丈夫だ、という意味なのである。
「斗音は?」
 言われてはっと今井に向き直る。
「あ、俺は・・・・・・平気です」
 恐らく今日は、無茶はさせてもらえないだろう。それに、バスケ部では斗音が副会長になった時点で、斗音の遅刻や欠席はカウントされなくなっている。甘いといえば甘いし、理解があるといえばある。逆に、斗音が信用されているという証拠でもあるのだろう。部長に気に入られているのは、慈恩と同じ(?)なのだが、身体の弱い斗音に厳しいお咎めをするような人間であれば、恐らく如月で部長などやってはいまい。
 今井はうなずいた。

「よし、じゃあまずは企画を立てる前の盛り上げ作戦からだ」

   ***

 結局四十分近く執行部の面々は遅れて部活にいくことになった。会長の今井と副会長の斗音だけは、それでもまだ足りなくて、残って仕事をすることになっているので、部活をやっているメンバーのことを考えた上で、最短の遅刻時間にしてもらえたのであったが。
「椎名、てめぇ、俺が練習できんだろうが!」
 剣道部全員が、ひいっ、と肩をすくめる。当の慈恩だけが、すっと頭を下げた。
「すみません」
「俺と対等にできるのはお前しかいねえんだ。分かってんのかっ!」

(ちょー自己中ーっ)

 部員たちの心の声など、もし聞こえていたとしてもお構いなしの近藤である。慈恩は苦笑いした。
「そこまで自分のこと過信してるつもりはありませんけど」
(口ごたえかいっ!)
 近藤ははっきり言って怖いので、三年生の部員ですらあまり逆らうことはない。そういう意味で、慈恩は大物である。
「じゃあ、自覚しろ!お前、今日は残りの時間で全員が今日こなしたメニュー全部やれ。その後、遅刻した分残って俺の練習に付き合え」
 中堅で副部長の橋本が、控えめに近藤に意見する。
「って、もう部活時間かなり過ぎてんだぞ。今から全部なんて、無理じゃねえ?」
「無理でも何でもやらせる。部の規律を乱すようでは困るからな。例外はない。相手が必要な稽古に関しては、橋本、お前が相手しろ」
(げげ、とばっちり!?)

 橋本含め、全員が心の中で、近藤に意見する恐ろしさを思い知った。

「分かりました」
 慈恩がもう一度礼をして、橋本の横を通り過ぎる。
「すみません。お願いします」
 通り過ぎざまに掛けられた囁き声に、橋本は仕方なさそうに吐息した。
「笑ってそんなこと言われたら、俺、断ることもできねえじゃん」
(かっこいい奴め)
 田近が感嘆の溜息をついて、周りを見回す。そら、一年生部員なんて、うっとり陶酔してしまっているではないか。近藤が二年の夏に部長になってから、あまりに厳しくて、ほとんどいなかった女子部員は全員、幽霊部員と化すか、退部してしまったのだが、もしいたとしたら、間違いなく慈恩に惚れているだろう。
 そんなことを思いながら、ふと開いた扉の向こうに既視感を覚えて、田近は巡らせていた目を留める。
(あれ、あの人、昨日の・・・・・・?)

 昨日と同じ場所に、控えめにたたずんでいる黒髪の女性がいた。

 残りの時間で全員と同じ稽古をこなした慈恩は、剣道部員全員に、更なる尊敬の思いを抱かせるのに十分だった。
「ほんとに、やりやがった・・・・・・」
 ぜいぜい言っているのは、相手をした橋本である。基本的に受ける役ばかりだったのだが、慈恩に攻められる役というのは相当の力と技術を要するのだ。
「ありがとうございました」
 呼吸は荒いものの、しっかりした口調で慈恩は言って、頭を下げる。時間を短くする分、人の倍のスピードでやってのけたのだ。きつくなかったわけがない。
「まだ生きてるな。結構。よし、全員整列!」
 近藤の威圧感ある声に、全員がさっと動いた。
 礼に始まり、礼に終わる。防具を外すまできっちり全員でそろえて行う剣道部は、そこでようやく挨拶をして解散となる。
「頑張れ、慈恩。近藤先輩と心中しないように」
 田近が笑いながら言うと、慈恩は天井を仰ぎながら、まだ荒い呼吸のひとつで溜息をつく。
「俺が死んでも、あの人はきっと生きてるよ」
 くすっと笑う。田近もそりゃそうだ、と相槌を打った。そして、改めて慈恩をその視線で捉える。
「死ぬなよ。俺も含めて、剣道部にはお前を崇拝してやまないファンが大勢いるんだ」
「なんだそれ。・・・はは、激励にしては、大げさだな」
 田近は肩をすくめた。
「かもな。激励のつもりで言ったんじゃねえから」
 にやっと笑って、田近は慈恩の肩をたたく。
「じゃ、お先。そうそう、あの美人、今日もいるぜ。まだ残りそうなところを見ると、慈恩か部長のこと見てるのは確かだぜ」
「・・・・・・ほんとだ。でも、俺は見られるような心当たり、ないな」
 ふう、と大きく息をつく。田近は自分のことに鈍感な慈恩に、もう一度お先、と言って剣道場の更衣室へ歩を進める。

(慈恩なら、外にファンがいてもおかしくねえって)
 
その背中に、慈恩が声を掛けた。

「悪い、田近。斗音に・・・・・・遅くなるから先に帰れって・・・・・・伝えてくれ」

「分かった。遺言として聞いとくよ」
 近藤の影響なのか、剣道部では縁起でもない言葉が飛び交う習慣になっているらしい。
「椎名。防具をつけろ。遅れた四十分、死ぬまできっちり相手しろよ」
 傲慢に笑って、縁起でもない大元が喉元に竹刀を突きつける。慈恩は顎を引いて、大きく息を吐き出した。
「はい。・・・・・・お願いします」
 近藤だって、他の部員たちと同じだけの練習をしている。プラス四十分の練習は、絶対につらい。まして慈恩を相手に、だ。インターハイを狙うには自分が強くなければ、という強固な思いが、近藤にはある。だからこそ、慈恩は敬服するのだ。この部長に。しかも。
「やああああああああっ!!」

「っ!」

(容赦なしかっ)

 他の部員だったら吹っ飛ばされる一撃を、受け止めて流す。流したというのに、腕がしびれるほどの衝撃だ。

 掟破りの練習試合八連続である。体力的には近藤が上回るので、七試合目ともなると慈恩は攻められっぱなしになっていた。

(どっからこの力が出てくるんだよっ!)
 
猛然と襲い掛かってくる竹刀をかわし、止める。防戦一方である。

「りゃあああああああっ!!」
 
その中でもひときわ強力な面への一撃を間一髪でかわす。大振りだっただけに、かわされて一瞬の隙ができる。

「小手ぇっ!」
 その隙を突いて、慈恩はその流れた腕を思い切り竹刀で打ち払った。近藤の竹刀が手から離れ、音を立てる。
「っやろぉ・・・・・・バテバテのくせに、てめえはどこまで鋭いんだ」
 手首をつかんでうずくまる近藤の息も、かなり荒い。
「いつも、しごかれてますから」
 軽口っぽく言い返す慈恩は、その何倍も乱れた呼吸である。
「くそ・・・・・・これで五対ニか。ラスト、絶対一本とってやる」
 普通にしていれば、きりっと意志の強そうな眉、彫りの深い目鼻立ちで、甘いマスクだと騒がれてもおかしくないくらいの近藤だが、何せその目がぎらぎらしているから、飢えた野獣のようなイメージの方が、剣道部では一般的である。慈恩も面の下のその目に、気圧されるような迫力を覚える。
「よし、ラストだ!」

「お願い、します」
 慈恩はよろめきそうな足を、何とか踏みしめた。

 剣道場で繰り広げられている、鬼のような試合の様子をじっと見つめていた絢音は、ふっと後ろを振り返った。それを合図に、道路の脇に止めてあったベンツがゆっくり近づいてくる。
「お帰りですか、絢音様」
 降りてきたガタイのいい運転手が、慣れた仕草で絢音の手を取る。
「とりあえず、終わったみたい。これ以上いると、怪しまれてしまいそう・・・・・・。でも、普段の姿を一目見てみたいわ。三神、校門へ回して頂戴」
 開けられた後部座席へ、優雅な仕草で乗り込む。
「はい」

 三神と呼ばれた運転手はうやうやしく頭を下げた。

 まだ慈恩と近藤が一騎打ちの真っ最中だった頃。
「なあ、斗音見なかった?」
 田近に声を掛けられて、部活帰りの翔一郎と瞬が振り返る。
「斗音、今日は執行部で部活来られなかったから、分かんないな」
「まだ靴はあったから、仕事してんじゃないかな」
「げ、まだ?参ったなあ」
 田近は頭を掻く。
「今日はあいつを待ってるわけじゃないんだ?」
 瞬がうーん、と首をかしげた。
「俺、塾があるからなあ。遅くなるかもって言ってたから、今日は先帰ろうと思ってたんだ」
「何で?なんか用事でもあった?」
 翔一郎の質問に、田近は困り顔でうなずいた。
「今日、慈恩が居残りで部長の練習に付き合わされてんだ。遅刻してきた分、きっちり四十分。だから、慈恩が先に帰ってくれって。そっかー、仕事長引いてんのかー。でも、だったら慈恩も一緒に帰れるかも知れねえじゃん。俺、生徒会室に行ってくる」
 自分で勝手に答えを導き出して、ぽんと手をうった田近に、瞬がにっこり笑って言う。

「斗音、携帯持ってるから、メールで教えてやればいいじゃん」
「へ?でも、携帯って先生とかに許可もらわねえと、持てないだろ?」
「万が一発作が起きた時にさ。そう言われて許可出さない人、いないだろ」
 翔一郎が軽く片目を閉じて見せる。かっこいいくせに、お茶目である。
「いいなあ。でも、俺携帯持ってねえし、あいつの番号も知らない」
「俺持ってるから打ってあげるよ」
 瞬がちゃきっとシルバーの携帯を取り出す。
「お前は何で持ってるんだよ」
「ん?ただの校則違反」

「ダメじゃん」

 三人で笑い合う。笑いながら、瞬が可愛らしく首を傾けて見せる。
「ちょっとね。親が心配性でうるさくってさ。持てって聞かないんだよ。塾で遅くなるし」
「一応正当な理由、あるんだ」
「うん、あるんだけどな。ただ単に、こいつめんどくさがって許可取ろうとしねえの」
 翔一郎が小さな頭を小突く。瞬はにっこり笑った。

「うん。だから、校則違反」
 可愛い顔して、ずぼらだわ小悪魔だわ。田近は笑いつつ呆れ顔である。
「じゃ、メール打っとくよ。田近、ごくろーさん」
「おう、じゃ、頼んだぞ」
 待たせていたらしい友人のところへ走り出す田近に、翔一郎は爽やかな微笑みを浮かべる。
「あいつ、いい奴だな」

「ん、なんで?」
 メールを手早く打ちながら生返事をする瞬に、翔一郎はご丁寧に説明した。
「だって、友達待たせて斗音を探し回ってたんだぜ。俺たちに声掛けたのも、俺たちに伝言させるためじゃなくて、あくまで斗音の居場所を聞くためでさ。居場所知って、生徒会室まで行こうとしただろ。慈恩からの伝言を、確実に伝えようとしてたんじゃないかな」
「でも、俺にメール任せたよ?」
「お前がやるって言ったからだろ。そこはお前を信用したんだよ」

「ああ、なるほど」
 送信ボタンを押して、瞬はうなずいた。

「確かに、いい奴だね。ていうか、きっとあいつも慈恩のことが好きなんだよ」

 翔一郎もうなずいた。

「ん。だろうな」

「あ」
 小さく声を上げた斗音に、今井がちらりと視線を送る。
「どした?」
「いや、ちょっと失礼します」
 生徒会室から出て、そっと細かく振動を伝えてきている携帯を開く。許可されているとはいえ、許可されている内容以外に使うのはやはり躊躇われる。その辺り、瞬と違って斗音は真面目である。それに、携帯を持っていることを快く思わない者もいるのだ。
(瞬から、メール?)

 液晶画面に「今日は慈恩が居残りで部長の練習に四十分、遅刻した分きっちり付き合わされるみたいだよ。だから、先に帰ってくれ、だって。慈恩からの伝言。慈恩、かわいそー。By田近。P.S.斗音も仕事頑張れ!あんまり無茶しないよーにね!」と、瞬らしいといえばらしい言葉が連なっている。「By田近」は、「~伝言。」の後につけるべきだろうとか、そのメールを見た斗音は思う余裕がなかった。

「・・・・・・慈恩」
 申し訳ないと思う。自分が慈恩を執行部に誘いさえしなければ、剣道部のしごきに合うこともなかったはずだ。「了解。ありがと」と、短く打って、メールを返しながら時間を見ると、部活が終了してからそろそろ二十分ほど経過しようとしていた。
(・・・・・・もう少し仕事して、待ってようかな)
 ぱちん、と携帯をたたんで、斗音はそれを制服のポケットに片付けた。
 生徒会室に戻ると、今井がニヤニヤ笑っていた。
「何?彼女からメール?」
 誤解はあるが、ばれている。
「あ、いや、友達から伝言です」
「別に、堂々と使えばいいのに。許可されてるんだろ?」
「許可された内容以外で使ってたら、示しがつかないでしょう?」

「まあ、確かにそうだけど。俺は気にしねえから、俺の前で気を遣わなくていいぞ」
 この気さくさは、今井の魅力のひとつだろう。更に付け加える。
「誰か待ってるようなら、もう帰っていいぞ。あとは俺だけでも何とかなる。部活もサボらせちまったし、いくら副会長だからって、これ以上つき合わせるのも悪いから」

「一応、俺の仕事は会長のサポートだと思ってますから。それに、もう少し残ってた方が、都合がいいんです。これだけ片付けます」
 斗音の知的な笑顔の中に、少し陰があるような気がして、今井は一瞬言葉を詰めた。しかし、それを聞くほど野暮でもなかったので、そのままうなずいた。

「そうか。助かるよ」

 一仕事終えてから、斗音は剣道場へ向かった。ちょうど、慈恩の居残りが終了して、もう片付け始めているくらいの時刻である。視界に、扉が開け放たれている道場が入った。
(あれ、まだ終わってない?)
 不審に思って、そっと入り口からのぞいてみる。広い場内。二人分の防具がバラバラに置いてあるのが、まず目に入った。おかしいと思う前に、壁に寄りかかるようにしている人の姿を見つける。
(・・・え?)
 一瞬、自分の目が悪くて、二人の姿がしっかり識別できないのかと思った。でも、そうではないとはっきり認識したとき、斗音は反射的に中から見えないように、外の壁に背中を張り付かせていた。心臓が激しく踊り狂い、息をすることさえ苦しい。その上、頭の中は今見たものを否定しようとか、自分を何とか納得させようとか、どうやらやりたいことがありすぎて大混乱に陥っているようだ。
(何?今の、何?)
 斗音は思わず、自分の網膜に焼き付いてはなれない一瞬の光景を、払いのけるかのように、激しく首を横に振った。
 壁に押し付けた慈恩に、剣道部の部長が覆いかぶさるようにして。
(・・・・・・・・・何で?!)

 唇を押し付けていた。

 意識が朦朧としていたせいか、ちょっとの間、何が起こっているのか分からなかった。
(・・・・・・息、苦しい)
 慈恩は凛々しい眉を寄せ、喉でこもった声を立てる。呼吸を遮るものを振りほどこうとして、首を振ったら、強い力で後頭部から抱え込まれて、ますます強く唇を塞がれた。
(な・・・に・・・・・・・・・?)
 肩や背中が硬いものに押し付けられて、痛みを訴えている。
「・・・んっ・・・・・・」
 苦しくてもがいたら、唇が圧迫感から開放され、一気に呼吸が楽になった。
「・・・・・・すまん」
 非常に聞き覚えのある声が耳の後ろで聞こえ、今度は上半身が束縛された。自分が抱きしめられていると分かったのは、数瞬を置いてからである。
「・・・・・・・・・・・近藤・・・さん?」
 なぜこうなったのだろう、とぼんやり考える。
 ラストの一戦、完全に体力が限界に来ていた。後ずさりながらも、気力だけで近藤の攻撃をかわしていたが、膝ががくがく震えてきて、まずい、と思った瞬間、身体ががくんと揺れた。そこへ力一杯胴を打ち込まれ、文字通り吹っ飛ばされたのは覚えている。身体が鉛のように重くて、起き上がれなかった。それで、近藤が自分の防具を取り払い、投げ捨てるようにして駆け寄ってきた。
「おい、椎名!椎名、大丈夫か!?」
 自分の力では、指一本動かせなかったので、近藤の声に反応することができなかった。こんな時、いつもの近藤なら、生きてるか、とか、死んだか、なんて言いそうなのに、と、どうでもいいことを思っていた。

 近藤は自分の防具を外しながら、ずっと大丈夫か、しっかりしろ、と呼びかけていた気がする。

「椎名、立てるか?」
 かなり意識に濃い霧がかかっているようで、うなずきはしたものの、全く身体は言うことを聞かなかった。近藤が肩に自分の腕をかけ、身体を引っ張り上げたので、この期に及んでなんて馬鹿力、となんだかおかしくさえ思った。この人には、敵わないと思った。

(・・・・・・ああ、そうか、そこで俺がよろけて・・・・・・)
 壁にもたれかかった。そんな自分に、近藤は確か馬鹿野郎、とつぶやいて、襟の合わせをつかみ上げて・・・・・・自分は壁に押し付けられた。そして・・・・・・
(・・・・・・俺、キスされた・・・・・・?)
 結構ショックな気がするが、なにしろ考えてくれるはずの脳細胞が、恐らく酸素や水分不足で、しっかり働いてくれない。脳貧血の一歩手前といったところか。
「・・・・・・あの・・・」
「すまんって、言っただろ!」
(怒るし)
 まだ霞がかった思考のまま、自分をその両腕できつく縛り付ける相手に問いかける。
「・・・・・・・・・どう、して・・・?」
 しばらく、反応はなかった。この人らしくない、と思ったら、耳の後ろでぼそりと、もっとらしくない言い方で、つぶやくような声。
「・・・・・・お前が好きだ」

 沈黙のまま、何瞬かが流れた。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・え・・・・・・?」
 いつもはものすごく切れる慈恩の頭だが、ただでさえ朦朧としている上に、理解しがたい言葉だったものだから、慈恩はものすごく時間をかけてぼんやり考えた挙句、間の抜けた声を出す羽目になった。瞬間、近藤の血管のひとつが、ブチッと音を立てたような気がした。両の二の腕を力いっぱいつかまれ、頭の上から覆いかぶさるような怒鳴り声が降ってきた。
「お前に惚れてるって言ってんだよっ!!!」
(・・・・・・うわっ!?・・・・・・えぇっ?)
「・・・・・・ほ、惚れ・・・?」
「鈍いな貴様はぁっ!」
 また怒られる。首をすくめて、耳に響く声を受け止める。その衝撃というわけでもないのだろうが、疲れきっていた膝が、いきなりがくんと折れて、身体が壁からずり落ちる。
「椎名!」

 近藤があわてて膝をつき、その身体を抱き留めて支えた。
「すいませ・・・・・・」
「馬鹿野郎が」

 なんだか、聞いたような台詞だと思い、以前も似たようなことがあったな、などと思う。
「この近藤勇鯉(ゆうり)
が一世一代の告白をしたってのに、お前は」
 困ったような、呆れたような苦笑いを見せる近藤である。支えながら、ゆっくり慈恩を床に座らせる。片足は曲げたまま、もう一方の足はすべるままに伸ばした。慈恩は壁にもたれて、自分を上からのぞくようにしている近藤を、見上げた。頬を大きな両手で包まれる。
「・・・・・・俺は・・・・・・・・・・・・」
 続く言葉が見つからない。考えるのは、近藤のその想いに対して、自分がどう反応したらいいのか、ということ。少なくとも、嵐に言われた「好き」と種類が違うことくらいは、よく分かる。しかし、女の子ならともかく、こんな告白には、どう言ったものかさっぱり見当がつかない。これはもう、頭がボーっとしているせいだけではあるまい。仕方なく、そのままの混乱振りを言葉にする。
「・・・・・・同性に、そんな風に言われるの・・・・・・ちょっと、慣れてなくて・・・・・・」
「当たり前だ。そんなのがしょっちゅうあってたまるか、アホ」
(アホ・・・・・・?)
 一生懸命考えた挙句の言葉だったのに、とちょっと思う。近藤は慈恩の伸ばした足の両脇に膝をついて、その困惑した顔を両手で包んだまま、しっかり自分の方を向かせた。
「俺はお前に、俺を見て欲しいとか、同じ想いを感じて欲しいとか、そんなつまらんことは求めてない。いいか、俺がお前のことをそう想ってるっていうのは事実で、俺にとっては、それが全てだ。お前はお前で、それを知っててくれればいい。お前にそれを引きずってもらう気もないし、当然何か応えようなんて、思う必要もない。ていうか、態度変えたらぶっ殺す」
「・・・・・・・・・・・・」
 慈恩は向けられるまま、近藤の顔をまじまじと見つめた。滅茶苦茶な練習をさせておいて、強引にキスしておいて、とんでもない告白でこっちを散々混乱させた挙句に、ぶっ殺すと来たものだ。理不尽この上ない。思わずくすっと肩を揺らす。
「何がおかしい」
「いえ・・・・・・近藤さんらしくなった・・・・・・と思って」
 自分の頬に手を添える、その左手首にそっと手を掛ける。ようやく、意識にかかった霧も晴れてきたようだ。
「応えるとか、そんなのは・・・・・・よく分からないですけど」
 ふ、と微笑む。

「俺は・・・・・・純粋に強さを求める、近藤さんのこと・・・・・・尊敬してますよ」

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