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ニ.黒髪の美人

 いつしか、若葉が濃い緑に変わり始める季節になっていた。緑の少ない都会とはいえ、その季節が暑さを運んでくれば、いやでも夏が近づいてきていることは分かる。梅雨に入れば蒸し暑いのだが、まだからりと爽やかな日々が続いていた。
 如月高校はひとまず新入生歓迎会も終え、二ヵ月後のインターハイに向けて部活動が活発になっていた。
「あっ、ごめん!」
 運動場の一角にあるテニスコートから、大きく黄色いボールが跳ね上がり、アスファルトでもう一度派手にバウンドして、学校の敷地から飛び出していった。
「しまったー・・・・・・」
 眩しげにボールを目で追った部員の一人が、後方を振り返る。
「おい一年、ボール取ってきてくれ」
「はいっ」
 目線の合った一人が、元気に返事をする。
「悪い、三村」
「いいです、稲垣先輩。ところで、どっちに行きました?ボール」
「ごめん、駐車場越えて道路まで行っちまったかも」
「わかりました」
 言われたとおりに道路まで出てボールを捜す一年生テニス部員だったが、これがなかなか見つからない。
「ちくしょ、どこだよ?」
ややイラッとしながら吐き捨てた彼に、しなやかな白い手が静かに、探しものを差し出した。
「もしかして、これをお探しじゃなくて?」
 驚いて三村がその白い指の持ち主に目を向けると、艶やかな長い黒髪を下の方だけ巻いた、黒い瞳の印象的な女性が一人、にこりと微笑んでいた。
「え、あ、ありがとうございますっ!!」
 あわてて受け取った少年がぺこりと頭を下げる。
「いいえ、どういたしまして。部活動がとても盛んなのね、ここは」
 感心したような物言いに、如月の一生徒としてプライドをくすぐられた少年は嬉しそうにうなずいた。
「はい!文武両道がうちの学校のモットーなんです。特に武道系は去年も全国に行ってるらしくて」
 女性は美しく微笑んで、そうなの、と返す。
「武道場はどちらのほうかしら?」
「あー、体育館の西に建ってる二階建ての建物で・・・・・・」
 ほら、あそこに見える建物です、と指をさす。その時、テニスコートの方から彼を呼ぶ声が聞こえた。
「あ、いけない、戻らねえと。あの、ボールありがとうございました!」
「いいえ。頑張ってくださいね」
「はいっ、ありがとうございます」
 大急ぎでコートまで駆け戻った三村が、先輩に小突かれる。
「おい、誰だよあの美人」
「へっ?あ、見てたんですか。いや、よく知らないっすけど、美人でしたね」
「なんだあ、知り合いじゃねえのか。あんな美人が拾ってくれてたと知ってりゃ、俺行ってもよかったなあ」
「よく言った、稲垣。次ボール出たら、お前取りに行けよ」
「え、あの美人がいなきゃ行く意味ないッスよ」
「一年が入ってくるつい最近まで、お前らが拾ってたんだろうが。既に先輩面が定着してやがる上に、えらく都合がいい奴だな」
 テニスコートの片隅でささやかな笑いが起きているのを、遠くから眺めながら、噂の女性はくるりと方向を変え、体育館の西に向かって姿を消した。

   ***

「え?黒髪の美人?」
 昼休みの時間である。購買で買った焼きそばパンの袋をもてあそびながら、慈恩が聞き返す。
「うん。昨日あれから武道場の方に行っちゃってさ。俺も近くで見たかったなーと思って。見かけなかった?」
 前日の練習で、テニスコートからホームランをかっ飛ばしたらしいクラスメイトが、軽く肩をすくめて言うのに、慈恩はふむ、と首をかしげる。
「稲垣、ひとつ聞いていいか?」
「何?」
「何で遠いのに、美人って分かるんだ?」
 質問というよりはツッコミに近いものがあったが、稲垣は同じく購買で買ったハムカツサンドを頬張りながら、ウーロン茶でそれを一気に押し流した。
「何でって、もうオーラが出てんだよ。お嬢様って言うか、いいとこの人だなっていうのは一発で分かるし、上品な感じとか、長くてきれいそうな髪とか、優しそうな感じとか、全てが美人って感じなんだ」
「・・・・・・お前、フィーリングで物しゃべってて、長島とかあだ名つけられなかった?」
「もう、慈恩。ツッコミ入れてる場合じゃねえって。さっきから論点ずれまくりじゃねえか。とにかくだ。雰囲気まで美人をまとってる女の人がいたんだ。間近で見た後輩も美人だったって言ってたんだから、間違いないって。で、その人が武道場の方に行ったの。で、お前見かけなかった?」

 うーん、と首をかしげながら、慈恩はペットボトルのお茶を一口飲んだ。
「全然知らないな」
 大体よそ見なんかしたら部長に殺される、と言って笑う。
「なんだー、そっかー。残念。しかし、お前クールだね。ふつー美人がいたって聞いたらもうちょっと興味示さねえ?」
「見たことのない美人なんて絵に描いた餅と一緒だろ」

「そうか。やっぱ見なきゃあの雰囲気は伝わんねーよな」
「そうだな。少なくともお前のフィーリングは伝わってこなかった」
 くすくす笑う慈恩に、稲垣はふくれっ面になる。
「お前、俺苛めて楽しい?」
「苛めてるつもりはないよ」
「じゃあ何だよ、全く。人の話ろくに聞きもしねえで」

「聞いてるって。ただからかってるだけ」
「お前ねー」
「おまたせ、慈恩。って、稲垣がここにいるのは珍しいな」
 後からやってきた嵐が窓際の椅子に座る。昼食時は誰の席も関係なくなっていた。
「遅かったな。購買混んでた?」
 慈恩がペットボトルのふたを再び開けながら微笑する。
「混んでたは混んでたけど、それ以上に女子に付きまとわれて」
 なるほど、と慈恩は苦笑し、稲垣が肩をすくめた。
「さすが東雲。モテる男は言うことが違うなぁ」

「ま、そうだな。ところで、俺、今慈恩が楽しそうに笑ってるのを目撃した気がしたんだけど、何話してたんだ?」
 さらりと流してしまう辺りがさすがである。
「稲垣からかってたんだ」
「あのなあ」
「なんだ、そうか」
「東雲まで乗るなよ。俺は真剣に黒髪の美人の話をしてたんだ」
 買ってきたお茶のペットボトルを開け、嵐は一口飲んだ。
「へえ。で、慈恩に軽くかわされたわけだ」
「かわされたっていうか、まあ、知らないってあっさり片付けられたって言うか」
「聞く相手が間違ってるよ、お前。慈恩は女に不自由してねえもん」
 慈恩がもてあそんでいた焼きそばパンの袋を破りながら、肩をすくめる。

「嵐、語弊がある」
 稲垣が驚いて、飲んでいたウーロン茶を気管に入れ、思わず咳き込む。咳き込みながら慈恩を凝視する。
「え、お前、彼女いるのっ!?」
「ほらみろ」
 嵐はおかしそうに笑って、自分の買ってきたたらこおにぎりを包装から取り出す。
「今はいねえよな」
「そうだな」

 稲垣は訝しげに眉間にしわを寄せる。
「不自由してないって?」
 たらこおにぎりをかじりながら、嵐が意味ありげに慈恩を見る。
「それ以上に大事なものがあるってとこ?」
 慈恩は苦笑した。嵐はかなりの切れ者である。おまけに洞察力も半端ではない。彼への隠し事は、隠そうと努力するだけ無駄なのだ。
「今は・・・・・・そうかもな」
「何だよそれ。剣道?」
 興味津々に覗き込んでくるクラスメイトに、悪戯っぽい笑みを浮かべる。
「違うって言ったら殺されるから、そういうことにしとくよ」
 嵐も笑いながらうなずいた。
「近藤さんの口癖は『死ね』『殺す』だもんなあ」
 二人の間に、自分にだけ伏せられた暗黙の了解があることは、稲垣にもよく分かったし、それを探ろうとしても二人にはかわされるだけだということも、普段からの言動でよく分かっていた。
「まあいいや。もし今度その黒髪の美人見かけたら、教えてくれよな」
 自分の出したごみをくしゃっと丸めると、稲垣は、じゃ、と言ってテニス部の仲間の方へ向かった。その後ろ姿を見送ってから、改めて嵐は慈恩を見つめた。
「何だよ、黒髪の美人って」

 焼きそばパンを飲み込んでから、慈恩が答える。

「昨日の部活の時間に、美人のオーラをまとった人が武道場の方に来たらしい」
「ふうん・・・・・・美人のオーラねえ・・・・・・。ま、斗音一筋のお前には関係ねえか」
 流し目を受け止めて、慈恩はまたもや苦笑いである。
「微妙だな。一筋って、まるで俺が斗音に恋してるみたいだろ」
「近くないか?」
 しれっとした顔で嵐は小さくなったおにぎりを口に放り込む。
「どの辺が?」
「んー?」
 嵐は残りのものを飲み込んで、お茶を喉に流し込む。
「だってすっごく大事にしてるだろ?」
「そりゃしてるけど、でもそれはお前らだって・・・・・・」
「いくら喘息が心配だからって、そこまでなかなかできねえよ。それこそ、兄弟逆転のポイントはそこだと思うけどな。可愛い弟を溺愛するお兄ちゃんって感じだ。しかもその弟は、性格も外見も含めて本当に可愛いからな」
 お前くらい近くにいたら、俺も好きになるかも、と言って笑う。
「あいにくもう手一杯だけどな」
 そんなことをあっさりと言えるところが、嵐のかっこいいところなのだろう、と慈恩は思う。嵐には命に代えてもいいと思えるほどの相手がいる。まだ高校一年の頃に出会った相手で、年上だということらしいが、関東一帯を占めている暴走族にいるのだと言うから、なかなかハードな世界である。この嵐が心底尊敬し、敬愛していると言うのだから、人間的に間違った人ではないのだろう。
「お前の斗音への関わり方は、俺が滝さんを大切にしたいと思ってとるような行動に似てる」
 説得力のある嵐にそう言われると、慈恩も思わず考えてしまう。
「・・・・・・過保護過ぎるかな?」
「いや、そういう問題じゃないだろ。お前ね。多少なりとも彼女いたことあるんだったら、恋愛対象に対する想いとか行動とか、自分で経験してるだろ。お前の愛情は過保護か?」
「・・・・・・どうかな。しっかりした子が多かったから・・・・・・」
 嵐は苦笑した。
「天然ボケなのか、確信犯なのか。お前、曲者だな」
「天然ボケ?それも初めて言われたな」
 ゆっくり焼きそばパンを消費しながら、真面目に考えている。
(そういや自分の事には鈍感なんだ、こいつは)
 クスクスと嵐が淡紫色の髪を揺らす。
「何、俺、笑えるようなこと言った?」
「まあね。なんにしろ俺はお前が好きだよ、慈恩。お前はいい奴だ」
(自分が大切に思う相手を、自分が犠牲を払って守れるんだから。その上自分が犠牲になってるとかそんなこと、思いもしねえんだから)

 そんな友人をもてたという喜びが不意に胸にあふれ、嵐はごく自然に笑みをこぼす。
ふわりと微笑む嵐は、それはもう綺麗で、慈恩は一瞬見とれた。さすが、校内一の美貌だな、と思う。
「・・・・・・変な奴」
 言って慈恩も微笑んだ。
「さて、生徒会室に行くか・・・・・・」
 ゆっくりと立ち上がると、嵐がえびマヨネーズおにぎりを開けながらにっと笑って見せた。
「執行部も大変だな。如月祭の有志の件、決まったのか?」
「これで最終決定だ。まだみんな悩んでる。ほぼ、方向は決まったんだけどな」

「そっか。何かを変えるには、リスクが必要さ。俺はお前らの意見に賛成だぜ」
嵐のさりげない激励に、慈恩も笑みを載せて応えた。
「さんきゅ。心強いよ」

   ***

 その日は生徒会主催の全校集会があった。生徒会から委員会などの活動報告、企画に対する呼びかけ、今年の如月祭(前期の締めくくりとして行われる三日間の行事で、文化祭が二日間、最終日に体育祭が行われる)のテーマや構成の提案などが行われた。如月祭は執行部担当なので、まだ六月に入ったばかりにも関わらず、相変わらず執行部は忙しかった。もう六月下旬には各クラスや部活で何をやるのか申請してもらわなければならず、七月には具体的なことをまとめて夏休みに入ってもらわねばならない。夏休みに色々な準備をするところも多いのだ。その上で九月に入ったらすぐ色々な準備を進め、九月下旬に如月祭開催となるのである。
 全校集会が設けられ、会長の今井から、如月祭に対する思い入れや、全校生徒に願うことなどの発表があり、細かい構成などの提案は副会長である斗音が行った。今までの伝統的な部分は大事にしながら、生徒会スローガンのテーマに沿った企画なども行う予定であること、昨年度希望者全てを受け入れ、日程的にクラスの劇などとかぶったり、観客争奪のための妨害など、様々なトラブルが起こったため、有志のバンドやパントマイムなどの発表枠を最初から決め、希望する生徒にはオーディションを受けてもらって、その合格者のみが発表するように制限を設けることなど、声柔らかに、しかし明確に全校生徒に告げた。
 有志の発表の制限については、発表した瞬間澱んだざわめきが起きた。如月に来ている者は、芸達者も多い。よって、有志による発表は人気コーナーでもあったのだ。しかし、制限されるべきれっきとした理由があり、反論が出場希望をもくろんでいた生徒たちの胸の中でくすぶる結果となったのは確かだった。
「有志はオーディションかあ。いったい誰が審査するんだ?先生?」
「んなの、俺らは絶対出られないぜ。学校否定してるような歌詞だし」
「執行部じゃねえの?生徒に理解あるし、選挙で選ばれた人が会長なんだし」
「けど、会長以外はそれこそ有志じゃねえか」
「いや、でも会長が声かけたり承認してるんだから、選んだ俺たちに口挟む権限ねえだろ」
「あのバンドの演奏だけは見たいよねえ。落ちちゃったらやだなあ」
「男の子のバンドが多い中で、あたしたち演奏も下手だもん。絶対落ちちゃうなあ」
「まずはオーディション突破に向けて練習しなきゃなあ」
 集会の帰り道、生徒たちの話題はそれに集中した。
「つめてーよなあ。みんなが楽しみにしてるコーナーに制限加えるなんてさー」
「でも、確かに去年みたいに妨害とか客取り合戦になると、すさんじゃうじゃん。仕方ないよね」
「斗音くんだって、きっと言いたくなかったよね。みんなをがっかりさせることなんて」
 如月は、女子生徒が少ない。文武両道というモットーのせいなのか、学力レベルの問題なのかは分からないが、各学年六クラス、一クラス三十五名の中、各クラスに女子は五名から十名しかいない。その中で、当然女子生徒を彼女としてゲットするための競争率は高い。女子の中にも、ここまで学力を強要されると、がり勉タイプかお堅い女史タイプか、可愛くてスポーツもできて勉強もできるというパーフェクトタイプかに別れる。前者二つのタイプはあまり競争率が上がることはないのだが、残りのパーフェクトタイプの競争率は嫌でも上がる。

 集会が終わって、有志発表制限を公言した斗音に非難を浴びせる女生徒は、まずいなかった。斗音が普段から誰にでも優しく、同級生はもちろん、下級生にも上級生にも人気があったからだ。しかし、その女子の人気を快く思わない男子生徒はたくさんいた。普段、斗音が敵視されることがあるとすれば、斗音の人柄を知らず、その女子からの人気のみを見てひがむ者がいる場合だ。全校六百人いれば、直接斗音と話したこともない人間はたくさんいる。しかし、斗音は一年の後期から執行部役員を務めているので、斗音のことを知らない生徒は少なかった。
  斗音が全校の前に出るとき、人の神経を逆なでするようなことはまずなかったし、その外見も手伝って、それのみで悪印象を持たれることはあまりない。だが、今回はそうはいかなかった。
「あいつはまだ一年しか如月祭経験してねえから、有志がどれだけ大事か分かってねえんだよ」
「でも、それって執行部が決めたことだろ。椎名斗音が代表で言ってるだけで」

「三年の連中が有志の制限なんかするかよ。あいつがしゃしゃり出たに決まってる。副会長の権限もあることだしな。仕事てきぱき片付けるって、有名だぜ」
「厄介ごとは切り捨てるってか」
 特に三年生の有志希望の男子からは、かなり痛烈な言葉もちらほら聞かれた。
「三年が有志楽しみにしてるの、知ってたからさ。結局斗音に言わせちまったけど、いい判断じゃなかったかな」
 武知が少し顔をしかめる。
「仕方ねえよ。今更変えられるわけでもないだろ。俺たちで内側からきっちり説明していくのが、一番波風立てずに済むだろう」
 弓削も溜息ごと、言葉を吐き出した。莉紗は可愛らしい目を吊り上げている。
「言ってやればよかった!!あの場で、全員で決めたことだって。斗音くんに対する侮辱だよ!」
「言える訳ねえだろ。反論が起きると決め付けてそんなこと言ったら、一気に執行部の信用は地に落ちるぜ。今より結果はまずくなってるさ」
  今井も苦い顔である。女子の人気なんか考えもしなかったので、まさか、ここまで斗音に三年男子の反発が集中するとは思わなかったのだ。
「・・・・・・やっぱり俺が言えばよかった」
 ポツリとつぶやいたのは、慈恩である。斗音に柔らかく断られて断念したのだが、慈恩は有志制限の発表は自分がすると申し出ていた。三年生のしがらみもないし、斗音ほど派手に女子に人気があるわけでもない(本人が気づいていないだけで、結構人気はあるのだが)。標的にされて動じない自信もあった。ここまで予想していたので、尚更苦い思いを禁じ得ない。しかし、斗音は毅然と弟を見据えた。
「会長がスローガンと願いを言ったら、副会長が詳しいことを言うのが筋だろ。慈恩。最初に言った通りだ。そこで俺が言わなかったら、逆に逃げたって言われるだけだ」

 普段は儚げな印象を与えるくせに、こんな時はやたら男らしい。このリーダー性は天性である。三年生のメンバーは固唾を飲み、武知はその後にひゅっと口笛を鳴らした。
 
慈恩は悔しそうに視線を逸らし、唇を噛んだ。ここにいるのは、斗音をサポートするためであり、それなのに何もできなかったことが、慈恩はとにかく悔やまれて仕方なかった。
 
斗音はそんな慈恩を少し悲しげに見つめて、硬く握り締められたこぶしにそっと手を添えた。
「それにさ、俺、別に何言われても平気だよ。俺たちは一生懸命考えてこの手段を取ったんだ。それが間違ってるとは思わないし、変なところで逆恨みしてるような人たちには、勝手に言わせておけばいいんだ。そんな野次に、俺が負けることはないよ」
 にこりと笑って見せる。
「それとも、みんなは俺が挫けるとでも?」
 挑戦的なまでの視線を、笑顔のままで生徒会室に集まっているメンバーに向けた。
「・・・・・・斗音・・・・・・・・・・・・」
 今井がにやりと笑った。
「俺にそんな挑発的な笑いを見せた後輩は、お前が初めてだぜ。お前がその覚悟なら、これ以上俺たちが気にするのは、かえって斗音に対する侮辱になる。俺たちはできる限り三年の不平分子を抑えよう。そして、執行部は本格的に如月祭に向けて計画を進めなきゃいけないし、選考会のことも決めて発表しなきゃならない」
 一同はその言葉に自然に背筋を伸ばした。

   ***

「なんか、あの人こっち見てんじゃないか?」
 部長の目が逸れたのを見計らい、田近が慈恩に囁く。この日の放課後、何とかぎりぎり遅刻を免れて、全員と同じ練習をこなしていた慈恩は、田近が顎で指し示した、開け放してある扉から見える景色を視界に映す。
「・・・・・・あれ・・・・・・?」
 武道場と道路に挟まれたアスファルトの通路の隅に、密やかにたたずむ女性の姿を認めた瞬間、慈恩の脳裏に、昼のクラスメイトの言葉がよみがえった。
『とにかくだ。雰囲気まで美人をまとってる女の人がいたんだ』
(黒髪の・・・・・・あの人か)
「綺麗な人だな」
 田近がわずかばかり浮かれた声を出した瞬間、部長の鋭い檄が飛んだ。
「椎名!田近!!ぼんやりするな!打ち込みはじめっ!!」
「はいっ」
「はい」
(確かに、近くで見なくても雰囲気がお嬢様だな。稲垣のフィーリングも的を射てる)
 それ以上ほかごとを考えていたら、間違いなく近藤に半殺しにされることは目に見えていたので、慈恩は目の前の相手に集中した。団体戦の中堅を務める橋本である。しかし、はっきり言って近藤以外の相手で、慈恩が実力を発揮することはできない。相手が吹っ飛んでしまう。当然近藤も然りである。
「橋本、代われ」
 近藤の指示に、橋本はぜいぜい言いながら低い返事で従った。近藤が慈恩の前で威圧感を漂わせて構える。
「椎名、外の美女に目を取られてたら、俺が速攻殺すからな」
 結局こうなるんだな、と思いつつ慈恩は悪戯っぽく聞いた。
「近藤さんもよそ見したんですね?」
 しかし部長もさしたるもの、全く動じない。

「お前が練習中によそ見をするほど気をとられるものが何なのか、興味があってな」
(ス、ストーカー!?)
 田近の心の中など知る由もない近藤は、野獣のような笑みを面の中で閃かせ、慈恩は苦笑する。
「もう気を取られることはありませんから、お気遣いなく」
 合い向かった二人の間の空気が、まるで真空にでもなったかのような緊張感を帯びる。近藤の、周りを怯えさせんばかりの気合の声を合図に、二人の足が同時に床を蹴り、竹が激しくぶつかり合う厳しい音が、宙に響き渡った。

 体育館の中に、床にボールが弾かれる音、バッシュが床をこする音、そして仲間への声が響き渡っている。
「よーし、そこまで!」
 男子バスケ部の部長、徳本の声が体育館中に響いていたボールの音を一瞬で消す。
「次、五対五でミニゲームするぞ。門真、岡崎、佐々、羽澄、俺が赤。宮本、東雲、高野、椎名、佐野が白だ。言われた者はゼッケンつけてコートに入れ。残った三年は審判、二年は記録。一年は声出しだ!」
「うすっ」
 全員が一斉に返事をすると、素早く部長の指示に従う。
「斗音、大丈夫か」
 嵐がゼッケンを渡しながらさりげなく友人を気遣う。斗音は弾む息を整えながらにこりと笑った。
「平気だよ。対等にするために岡崎先輩と嵐が入れ替わってるけど、一応あっちがスタメンチームってわけだ」
「俺一人で対等になるとも思えねえけど」
 嵐は好戦的な瞳で、赤いゼッケンをつける五人を見つめる。
「勝ちにいこうな」
 斗音はうなずいて微笑む。学校一の美貌の持ち主は、男でも見惚れるほどかっこよかった。
「嵐が言うと、心強いな」
 斗音の言葉を聞いた瞬間、嵐は不思議そうな顔をして、次にくすくすと肩に触れるさらさらの髪を揺らした。
「ああ、似てないって言われるけど、やっぱお前ら双子なんだな」
 きょとんと大きな薄茶の瞳を見開く斗音に、嵐は柔らかそうな薄い紫の髪をかきあげる。
「今日の昼に、慈恩から同じ言葉を聞いた」
 それを聞いた斗音は、爽やかな風が通り過ぎたかのような微笑みを浮かべた。
「へえ。さすがだね」
 今度は嵐が目をしばたたく。そんな友の肩を、斗音は軽く叩いた。
「俺たち二人の信頼を、お前はその肩に背負ってるってことだ」
 楽しそうに笑う斗音と苦笑して見せる嵐は、傍から見るとこの上なく見目麗しい光景だった。しかしこの数分後、ミニゲームで気持ちを昂ぶらせていたバスケ部員たちは、一気にその足を凍りつかせることになった。
「佐々!飛びつけ!!」
 叫んだ徳本に応えて、佐々がコートから出そうになったパスミスのボールに飛びつこうとした。が、勢いあまってボールが跳ね飛ばされる。
「くそっ」
 ピピッと笛が鳴り、審判の三年生部員が騒音に負けじと怒鳴る。
「白ボール!」
 ステージの幕の下まで飛んでいったボールを、一年生部員があわてて取ってきて、大急ぎで白チームの佐野に渡す。斗音がすかさず赤チームの間を縫って、パスを取れる場所に動く。
「東雲、走れっ!」
 白のリーダーである宮本の指示と同時に嵐がゴールに向かって走る。白チーム含め、全員がそちらに気を取られた隙に、佐野は勢いよく斗音にパスを出した。ぱしいん、と斗音の手の中でボールが音をたて、斗音は絶妙の高いパスで嵐にボールを回す。走る速度を全く落とさず、嵐はボール落下地点でそのパスを受け取る。

「・・・・・・!?」
 
一瞬不審そうな表情を浮かべた嵐だが、そのまま勢いよくジャンプして、ボールをリングに叩き込んだ。
「うおおおっ、ダンクかよ!」
 全員がそのプレイに見とれた瞬間、嵐は着地した足でそのまま今来た方向へ駆け出した。
「「斗音!」」
 同時に叫んだのは得点を担当していた瞬と、嵐と同じ位置まで走っていた翔一郎だった。一人は得点板を突き飛ばし、もう一人は嵐を追って猛ダッシュする。全員が、その異変にぎょっとして三人が駆け寄った方に目を向けた。その視線の先で、斗音が激しく咳き込んで崩れ落ちる。
「椎名!まずい、おい、救急箱持ってこいっ!!」

 徳本が一年生部員に指示を出し、斗音に駆け寄る。
「発作だ。早く薬を!」
 斗音は技術も高く、チームに貢献できるプレイヤーだったので、試合にも出られることが多かった。しかし、いつ発作が起こるかわからないという爆弾も抱えていたので、現在如月高校男子バスケット部の救急箱には、斗音のための喘息の薬と吸入器が常備してあった。
 精一杯のスピードで一年生部員が持ってきた救急箱を乱暴に開け、嵐が簡易吸入器の準備をする。
「瞬、翔一郎、斗音を支えてくれ」
 血を吐きそうな勢いで咳き込む斗音の身体全身から、汗が噴出している。その口元に吸入器をあてがって、嵐が二人に抱き起こされた斗音の頭を抱え込む。
「吸えるか?」
 斗音の真っ白な指が激しく震えながら、嵐のゼッケンをぎゅっとつかむ。
「おい、一年!誰でもいいから先生呼んでこい!!あと、タオルをぬらしてもってこい!」
 部長の声に一年生の数名が駆け出した。言った本人は斗音の脇にひざまずく。
「椎名、すまん」
 紙のように白くなった顔色のまま、斗音は苦しげに綺麗な顔を歪める。嵐のゼッケンをつかんだ手は、まだがたがた震えているが、時折咳き込みながらも薬を吸い込むことができたおかげで、既に発作はおさまり始めている。しばらくそのまま全員がその光景を見守る時間が続いた。斗音の頬に、わずかながら赤みがさしてきて、全員がほっと胸をなでおろす。斗音の指が徐々に震えを小さくしていき、嵐のゼッケンから離れた。
「タオルくれ」
 持ってきたタオルをどうしたものかと困っていた一年生が、徳本にしっかり絞られたタオルを手渡す。
「・・・・・・す・・・みま、せ・・・ん・・・・・・」
 力なく、いつもの何倍もかすれた声で言葉を紡ぐ斗音の額を、徳本はそっとタオルで拭う。
「大丈夫か?」
 はい、と小さくうなずく。ほとんど声にはならなかったが、翔一郎と瞬はようやく緊張した顔をほころばせた。ぐったりした斗音を嵐が軽々と抱き上げる。
「保健室行って、休むか?」

 ふるふる、と斗音が首を振る。細いアッシュの髪が汗で顔に張り付いている。
「ここ、で、いい・・・・・・よ・・・」
「そっか」
 コートから少し離れたところに、そっと力の入らない華奢な身体を横たえる。瞬が自分や翔一郎のタオルをかき集めて持ってきて、斗音の頭の下に敷いた。翔一郎は自分のウォームアップシャツをその身体に掛ける。
「暑いかもだけど、それだけ汗かいたんだから、身体冷やさねえようにしねえとな」
「・・・ありがと」
 瞬は近くにいた一年生に得点係を押し付けると、部長から受け取った濡れたタオルで斗音の汗をふき取る。
「ここにいていい?」
 可愛らしく、悪戯っぽい笑みを浮かべる瞬である。言外に、ここにいればサボれるから、と含ませている。斗音はわずかに微笑んだ。
「ん・・・・・・ありがと」
 その言外に含ませたものこそが、瞬の気遣いであり、そんなことは斗音もよく分かっていた。
「よし、じゃあゲームの続き始めるぞ。椎名に代わって芹沢、入れ。芹沢の代わりに審判、板頭。赤のスローインからだ」
 徳本の指示で、ゲームが再開する。それと同時くらいのタイミングで、顧問の教師が呼びに行った生徒と一緒に駆け込んできた。

 練習が終わった頃には、斗音もだいぶ元気を取り戻していた。いつもの出来過ぎ集団がそんな斗音を気遣いながら、ロッカー室で下校の準備をしていた。
「今日は慈恩、待ってなきゃな」
「うん。斗音が途中で倒れたりしたら、洒落になんないからね」
 さりげなく翔一郎が斗音の荷物を一つ持つ。
「大丈夫か?とりあえず自分の力で帰れるよな?」
 嵐の言葉に、斗音はうなずいて、いつもの三割増のハスキーボイスで答える。
「うん。もう平気だよ。翔一郎、いいよ、荷物持てる」
 翔一郎は、途中までだけだから、と言って荷物を返そうとしなかったので、斗音は顔をほころばせた。
「うん・・・ありがとう」
 そこに着替え終わった徳本が近づいて、いきなり斗音に深々と頭を下げた。
「すまない、椎名。無茶させちまった。悪かった」
 斗音は座っていた椅子から立ち上がり、部長の肩をそっと押し上げる。
「練習がきつかったわけじゃないです。だから先輩に謝られるようなことは、ありません」
 これくらいのことで発作を起こすと思われちゃったら困るし、と苦笑して見せる。嵐が学生服のボタンを留めながら、部長に視線を流す。
「俺が斗音からのパスを取ったとき、ボールが埃で滑ったんです」
 徳本が、はっとした顔をする。
「そうか、それでお前、すぐに斗音の異変に気づいたんだな」
 うなずいて、嵐は続ける。

「おそらくボールがステージの隅まで転がっていったときに、大量の埃が付着したんです。一年生はあわてていたから、そのまま佐野さんに渡してしまった。斗音が絶妙の位置にいて、絶好のチャンスだったから、佐野さんもそのままパスを出してしまった。鋭いパスだったから、取った瞬間に斗音の目の前で埃が舞い散った。不幸な偶然が重なった結果ですよ」
「よく分かったな、あの一瞬で」
 感心したように、徳本が声を上げる。斗音は、見ている者が切なくなるような微笑みを、一瞬浮かべた。
「それだけ普段から、嵐は斗音に気を配ってるってことだね」
 にこやかに瞬が補足するが、嵐は軽く首を振って、斗音の淡い色の髪をくしゃりと乱した。
「ただの偶然だ」
 気にするな、と。はっと口をつぐんだ瞬を含め、その場にいた者は全員、さりげない嵐の優しさと、それ以上に、斗音が自分の身体のことで心に負担を強いられていることに気づいたのだった。

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